「予想通り10万の負け。帰り、ヤケ酒とラーメン」――あるギャンブル中毒者(男性・50代・会社員)の日記を読む

 自宅からほど近くに「手帳類図書室」という施設がある。

人が記した手帳や日記やネタ帳など、あらゆる「手帳類」を収集する志良堂正史のコレクションを読むことができます。ギャラリーの一画で、誰にも見せるつもりじゃなかった手帳類を、1時間1000円からご覧いただけます。手帳類の筆致や筆跡、手触り、音、においなどを、あなたの五感で解釈してみてください。

 興味をそそられる人も少なくないだろう。現にテレビ・ラジオ・新聞・雑誌など、さまざまなメディアでその取り組みが紹介されている。私もかねて興味はあった。とはいえ、自らピーピング・トムになるということは少々気恥ずかしく、“気にはなるけど行ったことがない”施設のひとつとして、その横を通り過ぎるだけだった。
 そんな手帳類図書室に行ったという友人から一通のメッセージが届いた。
「この間、参宮橋の知らない人の手帳が読めるところに行ったよ。中年ギャンブラーが死ぬまでの手帳もあったな……」
 かねて、市井の博打打ちに関心を抱き続ける人間には「行く」「読む」以外の選択肢は残されなかった。“最後は死んでしまう人の日々が綴られた日記”ということで、ためらうような気持ちもよぎったが、好奇心には太刀打ちできない。

 

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 メッセージを受け取った週末。早速行ってきた。洒落た雰囲気、入りづらいアートギャラリーの受付で「手帳類図書室」の利用を伝えると、その奥にある小さなスペースに案内される。リングで綴じられた収蔵手帳リストを渡され、一つひとつの手帳に割り当てられた番号を受付の女性に伝えるとその手帳が読めるシステムであることを知らされる。 脇目も振らずに目的の手帳を探す。あった。
 番号を伝えて手渡されたのは想像以上に大きな手帳だった。大きさはB5、厚みはおよそ3cm。茶色の革張りで、表面には21世紀からの10年日記というタイトルが刻まれている。

 

※あとで検索してみるとこの手帳のようです。日本直販

 

  日記の内容はというと…… 仕事の愚痴やスナックでの色恋、そしてギャンブルについての断片的な記録が端的に残されていた。正直な感想として、それはギャンブル愛好者の普遍的な日常だった。

 もちろん時々でグッと胸が絞られるような内容も日記に残されているのだが、それはきっと私たちの人生ともそう大差はない。私やブログを読んでいる人と違うことはといえば唯一で、すでに書き手が死んでしまっているということくらいだろう。忌憚ない言葉で書くと、あまりにも普通なギャンブル好きとしての日常があった。

 しかし、その日記を記していた人はすでにこの世にいない。つまり、私たちのような人間にとってあり得た(あり得る)一つの人生かもしれない。だからこそ、自分自身、そして、同じようにギャンブルを愛好するこのブログの読者にも紹介したいと思った。「手帳類図書館」に寄贈した人のメッセージを読むと「このような生き方をした人がいたことを知っておいてほしい」と書いてある。
 ならば、ブログで紹介してもいいだろう…… そんな思いで、こうしてブログを書いている。故人の日記を紹介する軽忽さを指摘されれば言い訳のしようもないのだが、一切収益化していない(そもそもできない)ブログでの紹介ということで、どうか勘弁されたい。

 

 日記を書き始めたのは2001年1月1日。以下、引用部は誤字・脱字を含めてすべて原文ママ(ただし読めなかった文字は××と記しています)。

2001/1/1
51歳で始めての日記ドキドキです。
年始の計画につつましく節約を勤めることをせず、年初に毎年正月はオケラになる。ゴルフだけにしておきなさい

 そんな思いとともに新年を迎えたにもかかわらず、男性は数日後早々に博打を始めてしまう。

 

2001/1/6
本日船橋オート初日。又気持が高ぶる。行くのをよそうと思いきや、行ってしまい、予想通り10万の負け。帰り、ヤケ酒とラーメン餃子で北区。正月休みは本日で終り。個人的には、いい休みとは言えなかったね。

 数日前の自分はなかったことになっているのだろうか。オートレース場に出かけて10万円の負け。さすがに大きな負けに懲りたのか、以降はギャンブルに精が出ない日々が続く。この二日後の日記には「まだ若い。70才まで仕事がしたいと思う」ともある。

 

2001/1/23
きのうもらったネクタイをしめ、はりきって出勤。相変わらず肩が痛くてダメのよう。会社の女性鈴木が薬とシップをもってきて朝から塗り込む。夜、サロンパスを貼ったら、少し軽快。金も無いので、自宅で食事を作り食べる。自分ちの食事は、自分で言うのも変だけど、本当においしい。

 いたってまともな生活を送っている。倹約に努めているようにもとれる。そう思いながら読み進めると、こんな日記が目に留まった。

 

2001/3/26
自己破産免責決定となる。会社へ行き、打ち合わせの後裁判所へ。(中略)僕は幸福な男だと思う。

 なんというか、懲りてない。私も人様のことをとやかく言えた立場ではないが、自己破産免責決定日に「幸せ」だとなるんだろうか。いや、なるのかもしれない。わからない。少なくとも男性はなっていたらしい。借金の原因はわからないが、日記を読むに事業を興しているわけでもなく、企業勤め(不動産関係)のサラリーマン。十中八九ギャンブル絡みの借金だろう。
 以降も男性のギャンブリングライフは続く。数千円、時に数万円の勝ち負けを繰り返し、仕事に努め、たまの贅沢に「台ワンクラブ」に出かけ、大きな変化の起こらない日常が続いた。ように思われたが、男性の心の中はそうではなかったらしい。

 

2003/1/16
本日パチンコを止める決意。56才にして始めてパチンコを止める決意

 これまでも、自分に向けて「よくない」とは書いている日記はあったものの、「決意」というほど強い言葉は出てきていなかった。新年を迎えたにあたって、ついに意志を固めたのだ。
 しかし、男性はその十数日後マルハンに赴いた日記を残している…… 次につながる日記がこうだ。

 

2003/2/5
止めようと思っているパチンコが止められず、本日は朝10:00出勤のパチンコである。本当にバカは死んでも治らないね。一日中して結局2万負け。そごうで買物し、×××の湯でくつろぎ、自宅には9:00過ぎ。今度はパチンコを止められそうかな!

どんな思考で「止められそう」と思ったのかはわからないが、男性はどうやらパチンコを止められそうだと思っているらしい。

 

2003/2/6
本当にパチンコを止められそう。今日最後の勝負で始めて、自分にはパチンコは向いていないと思った日はない。頑張れよ!!!(注:今日最後の気持ちでパチンコに行って負けた。自分は本当にパチンコに向いていない。これほどまでに痛感したのは生まれて初めてだ。の意だと思われる)(注注:これまでの日記でも何度となくパチンコに向いていないことについての呪詛は記されている)

案の定である。さらにその翌日。

 

2003/2/7
今日も仕事は真面目に行う。久しぶりに単チラを××××で2,000枚ほど巻き、多少昼寝もしたけど。あいみと××が木下サーカスへ行ってしまったことを聞き、残念。ゴルフ練習もとりやめ、パチンコへ行く。久しぶり2万プラス。

またパチンコに出向いている。ここまでくると、男性にとってのパチンコはあらゆる感傷を癒やしてくれるたったひとつの遊戯だったのかもしれない。

 

2003/2/8
仕事的にはヒマな一日。土曜日なのに。今日は2.8の日なので、パチンコウラノスの出る日だとのこと。又、仕事の帰りに行ってしまった。プラス0.8万の為、だんだんツキが回ってきたのかな。

 こんな風に、罪悪感を抱きながらも、ギャンブルをする自分を受け入れる日々が続く。ギャンブルの沼にはまった人間であるなら一度ならずとも抱いたことのある感覚だろう。

 日記は鉛筆であったりボールペンであったり、おそらく自分の身の近くにあったであろう筆記具で綴られている。一時は「今日はフデで書きたい気分」として、筆文字で日記をしたためていた日もあった。

 本人の言葉では「10年日記も半分を迎えた。なかななかな根性である」とのことであったが、その実日記を書くことを楽しみにしていたように感じらていたんじゃないだろうか。筆記具にこだわらず、その日あった出来事、感じた思いを、どの日も、スペースいっぱいに書き込んでいた。

 しかし、死期が近づくにつれ、どんどん文字がか細くなり、筆圧も弱まっていた。最後に記されていた一文はこんな内容だった。

 

2007/5/21

本日も朝から吐き出し、食べなくても胃酸が出っぱなしである。12時に××クリニックに行き診さつ。胃の中に胃酸1.8l入っている。これを取り除き、胃と胸の間にポリープ発見。××病院入院手続き。

  日記の巻末に(おそらく寄贈にあたって)貼られていた戸籍謄本によると、日記を書きしたためていた男性は2011年1月14日に亡くなっている。入院後も数年生き延びられたようだ。しかし、体調が芳しくなかったのか、日記が更新されることはなかった。

 入院している間、男性はギャンブルを楽しむことはできたのだろうか。日記に残されていないだけにわからない。しかし、いまはきっとどこかでギャンブルを楽しんでいることだろう。どこの誰かも知らないが、同じギャンブル好きとして冥福を祈った次第。