『賭ける魂』を読んだ

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「もしも君が競馬を、騎手が楽しんでいるように楽しみたいのなら、そして騎手が苦しんでいるように苦しみたいのなら、騎手が感動しているように感動したいのなら、いまあなたの生活が不自由になる程度の金を賭けなさい、そう、そうやって賭ければ、あやたは騎手とともに地獄も見れば、一瞬の輝きの一時をも知ることができる。日常には決して現れてはこない、悪魔と天使の後ろ姿を垣間見ることができる。」
 元ジョッキーの田原成貴が騎手時代に記したエッセイに収めた言葉だ。

 

 私はというと、すっかり「生活に問題が生じないよう金額と時間の限度を決めてその範囲内で楽しむ娯楽」として競馬を楽しむ、しみったれたパンター(賭ける人・相場師・投機筋・売春婦の客…すなわちカモの意)になっている。しかし、田原の言いたいことはわかる。
 ギャンブルの醍醐味は「負けられない状況で勝つ」ことにあるのだ。そして、その「負けられない状況」が深刻であればあるほど、ギャンブル好きはヒリつく。自分に真似できない無頼への憧れなのかなんなのか、気持ちの正体はわからないものの、とにかくヒリつくのだ。

「乾坤(天地をかけて)一擲(賽を一振りする)」なんて四字熟語は、そんなヒリつきを表すに最適な言葉であろう。それにしても、「乾坤一擲」という四字熟語をギャンブル関連のメディア以外で目にすることはほとんどない。それだけギャンブル好きは天地を賭けるほどの大勝負…「負けられない状況で勝つ」ことに血を滾らせるということだろうか。

 そんな風に血を滾らせ続けた一人の男が、かつてイギリスにいた。その男こそ、『賭ける魂』で取り上げられているコックニー訛りの小柄な英国人、テリー・ラムスデンだ。週に90時間働き、移動中もコンピュータと電話でビジネスをしては、バブル期直前の日本の株や債権で大儲け。サッカーチームを買い、馬を買い、馬券の買い方も鮮やかだった。毎週100万ポンド、当時の価格で2億円以上の勝負を繰り返した。


 この人の前では「人生なんてギャンブルみたいなもんだよね……」と嘯くこともできない。テリー・ラムスデンほど、自分の人生とギャンブルが同化した人物はいないのだから。

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 日本の株式で巨万の富を築き競馬で200億円負けた男。バブルの紳士、会社乗っ取り、ワラント債デリバティブブラックマンデー、逃亡犯罪人、サラブレッドビジネス、ヒシアマゾンの母馬、そして。世界中の誰よりもギャンブルに狂い、いくら負けても賭けることをやめなかったその男。世界のギャンブル史上もっとも激しく没落した実在の人物、テリー・ラムスデンをめぐる数奇な運命の物語。

 豪放磊落に賭けを楽しみ、英国版wikipediaでは職業を「gambler」として紹介される男。彼を日本で初めて詳細に(余談:競馬絡みの書籍初出は『競馬漂流記』だと思う)紹介した一冊が『賭ける魂』だ。

 

 労働者階級として生まれ、16歳から社会に出た彼は、丁稚奉公を重ねながら、着実に金融の世界でのし上がっていった。経験を積んだ彼が目をつけたのは日本の金融市場。スキを突いたデリバティブ取引で連戦連勝を収め、巨万の富を得た。飽くなき欲求は止まらない。次に目指したのは馬主としての成功だった。

 もともと競馬ファンである彼にとって競走馬を所有するのは当然の夢といえる。さらにいえば、馬主としてのステータスを高めていけば、世界でも有数の貴族的クラブ、イギリスの競馬を主催運営するジョッキークラブへの仲間入りもできる。それはつまり、イギリスの階級社会で名実ともに頂点に立つことを意味する。労働者の町に生まれ、コックニー鈍りの英語を操る長髪の男は階級の突破を目指したのだ。

 この時点でケイティーズは6戦して2勝、血統も平凡、しかも馬体を見ていないというのだから、3億円で買い取ろうというラムスデンの意図がわからない。
 ラムスデンはこう言っている。
「そうだよ、見もせずにケイティーズを買ったさ。ぼくはリスクってものを恐れたことがないんだ。だってそうだろう、リスクってのは、まさに人生というものそのもののことなんだから」
 ケイティーズが予定通りアイルランド1000ギニーに出走するとなると、ラムスデンは確信を持ってケイティーズの単勝を買った。もしもこの馬券が的中したら、彼はケイティーズをタダで手に入れたことになる。それくらい、買った。
 レースでは、フィリップ・ロビンソンはケイティーズを前々で競馬させるようにした。このタフなコースで追い込みを決めるのは難しい。ゴール前の直線入り口から先頭に並び、残り1ハロンくらいで先頭に立って、そのままぎりぎり粘り込む。

 勘の良さ、大胆さを駆使して勝利を掴み取る。ギャンブルの寵児かのようなエピソードだ。競馬サークル外の人間でありながら、馬主になってすぐに重賞を勝つような馬を持てるというのも、運がいいとしかいいようがない。
 しかし、いつもこんな風に勝ってばかりではなかったという。むしろギャンブラーとしては痛快なくらいに負け続けていたらしい。彼の話をするブックメーカーは破顔しながら答える。

 とってもいい奴さ、だけどギャンブラーとしては最低のぼんくらだね。

 最高払戻額が決まっているブックメーカー相手に、その限度額を超えるベットを申し出ることも珍しくなかったのだという。負ければ損をするだけだし、勝っても配当は変わらないのにである。そんな向こう見ずな賭け事を毎週楽しんだという。
 もちろん、それを有り余って上回る儲けが、本業の株取引でいくらでも入ってきて、負けても彼の懐が痛まなかったからこそできた芸当ではある。
 とはいえ、そんな栄華も長くは続かない。豪胆な賭けは、1987年10月のブラックマンデーによって鳴りを潜めることになる。

「イヴニング・スタンダード」1991年9月15日
 テリー・ラムスデン、ワルソール・フットボールクラブの前オーナーで、1980年代の日本ワラント市場の帝王だった男が、ロンドン市警と重要詐欺事件捜査局の要請でロサンゼルスで逮捕された。億万長者だったコックニー1984年のロイヤルアスコット開催の勝ち馬であるケイティーズを所有していた彼は、株式仲買人クームズと組んで大変な資産を築いたのだが、いまや強制送還の手続きが整うまで再拘留されている。
 先週末に逮捕されたラムスデンは、最大60日間、英国当局が送還のためのヒアリングの準備を整えるまで、待たなくてはならない。

 自己資産の焦げ付きでブックメーカーへの支払いができなくなった彼は起訴され、さらにその後自身が運営する投資会社グレン・インターナショナルの杜撰な運営が詐欺にあたるのではないかと、訴追される。以降、テリー・ラムスデンは表舞台から姿を消してしまった……

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 と、そんな特異な人物紹介だけでも充分に面白いのだが、『賭ける魂』という本の持つ魅力はそこからさらに広がりがある。ある理由から、著者の月本 裕氏がイギリスに赴き、ラムスデンの足跡を辿るのだ。
 その理由とは(大変勝手ではあるが、最近の私と同様に)公私ともに停滞が続き、しみったれたギャンブルしかできない自分自身と比較したときのラムスデンという人物への興味・憧れが一つ。もう一つの理由が、当時日本の牝馬戦線を蹂躙していた“ヒシアマゾン”に著者の月本 裕氏が翻弄されていたことだった。
 これだけ書いても「はて?」という具合かもしれない。しかし、上で引用したケイティーズという馬名を見て、好事家はピンときているのではないだろうか。テリー・ラムスデンが所有していたケイティーズは、ヒシアマゾンの母馬なのだ。ラムスデンに一瞬の栄華をもたらしたケイティーズは、彼が訴追を受けた際に金策のためになくなく手放した一頭で、それを10,000ドルで競り落としたのがヒシの冠名で知られる阿部雅一郎だった。そんなヒシアマゾンに翻弄された著者が、姿をくらましているラムスデンをあの手この手で追っていくさまが、純粋なノンフィクションとして面白い。ラムタラ、ゴズデン、バーニー・カーリー、デットーリ、骨太な馬や人と当たり前のように(そして行き当たりばったりに)交流しているのだ。全ては自分を魅了するラムスデンの姿を追うために。著者の熱量に満ちた一冊。ギャンブラーが輝いた時代の最後の余韻を楽しみたい方には、猛烈におすすめです。

 

 平凡な始まりから、過激なギャンブラーになるまで。レースに賭けることから、複数の刑務所に投獄されるまで。ラムスデンはずっとギャンブルと自分を重ね合わせ続けた。
 後年の彼はたしかに不幸に見舞われてしまって、貪欲と低俗に彩られた物語と呼べなくもない。しかし、彼が馬を、ギャンブルを、どんな理由かはさておき愛していたことは本心のように思える。

 覚悟なく予想を売る人たちとも、しみったれたパンターとも大違い。ラムスデンという男は、その胡散臭さも抱きかかえた、歴史上最も「成功」したギャンブラーと呼んで差し支えない人物である。