砂漠に屹立するギャンブラーたちの魔窟「カジノ ・タワー」の最上階を目指せ!ーー『黄色い夜』を読む

 

黄色い夜 (集英社文芸単行本)

黄色い夜 (集英社文芸単行本)

 

 ギャンブルほど多くの民衆の時間と労力とお金とが注ぎ込まれていながら、研究者に語られてこなかった分野があるだろうか……僕が「ギャンブル」という題材に惹かれ続けているのは、そんな理由が大きい。もちろん、そもそもギャンブリングが好きということもあるだろうし、振りかぶって書けば、人間の根源的な欲望が如実に表れるさまが描かれることも理由の一つかもしれない。とにかく、「ギャンブル」という題材について考えることは、体系化されていない未知なる何かに触れるような魅力があると考えているのだ。
 そんな「ギャンブル」を題材にした一冊が発売された。

 

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 物語のあらすじは言ってしまえば荒唐無稽。カジノのみを産業として立国するE国の砂漠にはギャンブラーたちの魔窟とも称されるカジノ ・タワーがあり、そこでは上階へ行くほど賭け金が上がる。最上階では国王自らがディーラーとなり、国家予算規模の賭け金で勝てば、E国は自分のものになるという……登場人物たちは奪われたものを取り戻すために、そして、この国を乗っ取るために、巨大なカジノ ・タワーの最上階を目指す! というものだ。

 思わず『ハンターハンター』の天空闘技場を頭に浮かべる人も少なくないだろう。そして、その印象はおおむね間違っていない。階を上るごとに胴元的ボスキャラが登場しては、博打勝負を繰り返し、勝利をおさめてどんどん上の階へと進んでいくのだ。
 と、書くと馬鹿馬鹿しい内容に思われるかもしれないが、そこは純文学・SF・ミステリと、さまざまなジャンルで傑作を発表し続けている著者。しかも麻雀プロ試験に補欠合格したという経歴も持っている著者。博打の描き込みがなんとも巧みだ。
 胴元と博徒の間での緻密な駆け引きは、フリッツ・ライバー『骨のダイスを転がそう』を初めて読んだときのような(めちゃくちゃ卑近にいえば『賭博黙示録カイジ』を初めて読んだときのような)、博打独特のゾワゾワがしっかりと痕跡されていて、思わず口角が上がる。このヒリつく駆け引きを読むだけでも、十分に楽しめる一冊となっている。

 

 しかし、それだけでは終わらない。ギャンブラーというスティグマを駆動力に、世界の、国家の、宗教の、人種の、血の、言語の……社会を構成する諸要因に対して向けられる視座こそが、『黄色い夜』の持つ(そしてほかの多くの作品にない)かけがえのない魅力だ。
 ギャンブルを主題にした作品は常に暗くてうさんくさいイメージがつきまとう。本作もその例には漏れない。ただし、ここで描かれる視座は、内省を突き詰めた先の外向きの発露とでもいうか、より冷酷に(冷酷な)世界に対して向けられている。ギャンブルを題材にした多くの小説が描いてきたようなピカレスク・ロマンでも、反ビルドゥングス・ロマンでもない、新しい形のギャンブラーズ小説を読み終えた感が強い。『偶然の聖地』でもふんだんに描かれていた著者の濃密な海外滞在経験が、世界を語るリアリティに一役買っていることはいうまでもない。

 

 余談だが、読後にアメリカの人類学者ヴィクター・ターナーが唱えていた「人間社会というものが、不平等で地位役割の体系がリジッドな階層的<構造>と、平等でフレキシブルな<コミュタス>という二つの側面から成立している」という論を思い起こした。人間社会に内包されるギャンブルの世界でも、同様の二つの側面があるというわけだ。

 

8冊中2冊が宮内悠介氏のものだった。変わらず日本を代表する作家だと思い続けている。この頃に比べて、近作はどんどんスケールも広がっていて、この先どんな作品を書いてくれるのか、楽しみしかない。どれもに違った魅力があるあたりも好きなところ。

 

作家が好きなテーマで好きな作家に短編を書いてもらうアンソロジー本。宮内悠介氏のリクエストは「賭博」についてのアンソロジー。ここで紹介しているのは法月綸太郎の作。

 

賭博絡みの小説について書いて、この本について触れないとモグリ……と後ろ指を指されかねない。なんてことはないだろうけど、まあクラシックということで。