え? まだ「在日」を謗りとして使ってるんですか? ド級の移民小説『パチンコ』をすぐに読んでくださいよ!

 海外ではえらく評価されているにもかかわらず、日本での評価は騒ぎ立てるほどのことではない。白人コンプレックスを根深く抱える国*1でありながらも、そんな作品は実は数多い。『アンカル』だって、『アステリックス』だって、『プチ・ニコラ』だってそうだ。挙げればキリがない。権威あるアメリカの文学賞である全米図書賞の最終候補にも残り、カルチャーディガーとしても知られるバラク・オバマ元首相の絶賛を受け(『三体』と同じように!)、世界で100万部以上の売り上げをあげている本作も、日本国内で広く世に広がっている実感はない(『三体』とは違って!)、そんな作品の一つだ。

 

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 好事家の間では発売前から注目の的になっていたが、そのポテンシャルに見合う売れ行きなのかとなると疑問符が残る。とかく、この小説を埋れさせてはいけないと感じた。というわけで、ブログに記録を残す。俺が書かなくたってこの傑作は決して埋もれることはなかろう。しかし、数百名、数十名、いや数名かもしれないが、この文章をいま読んでいる人に、この作品の存在・魅力について知ってもらえれば、それだけで本エントリの目的は果たされる。というわけで本題に入ろう。この本は(めちゃくちゃ売れた)『82年生まれ、キム・ジヨン』同様に、今の時代に、日本で、世界で読まれるべき小説なのだ。


『パチンコ』
 ギャンブル好きとして、ついつい手を伸ばしてしまいそうになるタイトルだが、内容は博打とは無縁。上巻にはパチンコのパの字も出てこない。いたって純粋(でいて濃密で緻密)な「小説」だ。
物語のあらましを書籍袖から引用する。

日本に併合された朝鮮半島、釜山沖の影島。下宿屋を営む夫婦の娘として生まれたキム・ソンジャが出会ったのは、日本との貿易を生業とするハンスという男だった。見知らぬ都会の匂いのするハンスと恋に落ち、やがて身ごもったソンジャは、ハンスには日本に妻子がいることを知らされる。許されぬ妊娠を恥じ、苦悩するソンジャに手を差し伸べたのは若き牧師イサク。彼はソンジャの子を自分の子として育てると誓い、ソンジャとともに兄が住む大阪の鶴橋に渡ることになった……

  著者のミン・ジン・リーは、韓国生まれでニューヨークに移住。現地で弁護士を務める人物。本作は、大学時代から構想約30年、日本での取材を含む綿密なリサーチのもと、草稿の破棄、推敲を重ねて発表されたという経緯をもつ一冊。

 あらすじからも明らかなように、主人公は移民として日本に渡ってきた身。当時のほとんどの日本人は排外主義を隠そうともせず、平然と彼女らに強く当たる。屋外便所よりも強烈な臭いのする猪飼野という街で、薄っぺらな材料を使って建てられたバラックに身を寄せ合って暮らす彼女ら家族にとって、日本人から不条理な扱いを受けることは当たり前のことで、息子は学校で“にんにくうんこ”と呼ばれる有様。「こんな家が似合うのは豚と朝鮮人くらいのものだ」という自虐をこぼしても一人。そんな生活のなかでも一家はたくましく生き続ける。

 

 4世代にわたる在日コリアン一家の苦闘、人と人との関係性、人と場所との関係性を緻密に積み重ねた分厚い物語の層がこの小説の魅力だ……なんて書くと、いくらか安っぽく聞こえてしまうかもしれない。朝ドラ的というか、『北の国から』的というか……*2 しかし、本作は(『ワイルド・ソウル』とは違った方向性で、それでいて傑作な)現代におけるニュータイプの移民小説なのだ。日本が舞台になっていて、現代でも腫れ物のように扱われることも少なくない「在日韓国・朝鮮人」について、韓国系アメリカ人が書いた移民小説なのだ。このクリティカルさたるや!

 

 突然、問わず語りを始めるが、私が初めて交際した相手は在日韓国人の女の子だった。名前を国本さんという。取り立てて何をするでもない、することといえば、学校から一緒に帰る程度のこと。それでも、両親から(直接明言されたわけではないが)快く思われていないことは当時12歳の私ですらひしひしと感じていた。当時はなぜ交際を快く思っていないのか理解できなかったが、今になってはその出自に由来する部分が大きいような気がする(もちろんそれが理由でない可能性も多分にある)。
 こう思うこと自体が、私自身の差別意識のありようと取られるかもしれないが、これは日本社会の、つまり、パチンコのことを「朝鮮」と呼ぶことに何の抵抗も感じなかったり、ヘイトスピーチが公然と行われていたり、「在日」というだけでいわれもない扱いを受けていたり、嫌韓本がベストセラーになったり……そうした日本人中心主義的な空気感を相対化して感じて生まれた考えだ。

 

 誰もが疑いようのない程度に、一部では内向きで排他的な愛国思想がいまだ残る日本。
 でありながら、ヒップホップでは「在日韓国・朝鮮人」「移民」という存在がポジティブな方向性で脚光を浴び始めている。Moment Joon氏がそうだ。*3これまで差別対象ともされた自身のnationをレプリゼントした楽曲がヘッズから評価されている。好ましい時代の変化といえるだろう。そんな風に、(きっと)あらゆるジャンルで民族意識への地殻変動が起こりつつあるように思う。本作『パチンコ』も時代の変化に呼応して生まれた(それでいて普遍性もある)小説なのだ。

 

 日本が舞台になっていて、現代でも腫れ物のように扱われることも少なくない「在日韓国・朝鮮人」について、韓国系アメリカ人が書いた移民小説。小説ではあるものの、日本人がかつて移民に対して行った暴力的ともいえる振る舞いは疑いようのない事実。その凄惨さを理解するきっかけとするもよし。小説そのものリーダビリティに酔いしれるもよし。
 民族問題についてつらつら触れているが、小説としての本筋は単純に物語として面白いのだ。つまり、クリティシズムとしても、エンターテイメントとしても優れた作品なのだ。この小説がこのままの売れ行きでいいはずがないのだ。それでいいのだ、とはいかないのだ。

 

 ……と、ここまで書いてきたわけだが、実はまだ上巻を読み終えたばかり。批評家であれば許されない所為であるが(当然のことながらそもそもそんな大それた人間ではないので許される)、折り返し地点まで読んだ段で「この本について感想を残しておかねばいかん……」と感じさせられたので、こうして書いた。

 

下巻では恐らく、登場人物の誰か(恐らくはソンギャを身ごもらせた憎っっっっっつたらしい成金ヤクザことハンス)が、大阪を舞台にパチンコを経営していくのだろう*4
ここまで積み重ねられてきた層の、さらにその上にどのような物語が描かれるのか。怖さ半分。楽しみ半分、読み進めていきたい。一緒に読み進めちゃいましょうよ。

 

パチンコ 上

パチンコ 上

 

 

パチンコ 下

パチンコ 下

 

 

 

*1:私感でしかない

*2:もちろん劣った作品という意図ではない。強烈な作品であるが故に、型として再生産されることも多いだけに……という意図。

*3:彼は狭義の「在日」ではないが、移民者ラッパーと自らを名乗り、ライブでは「日本と韓国の間に何が起きているか知っていますか?僕の身に何が起きているか知っていますか?テレビが家にある人や新聞を読む人はどのくらいいますか?僕はテレビを付けるのが怖いです」と語りかけた(らしい)。補足として書くと、属性ありきではなく、ラップのクオリティの高さ、ラッパーとしての魅力がで脚光を浴びた要因である。
https://www.gqjapan.jp/culture/article/20190903-moment-joon-interview

*4:厳密に歴史を紐解くと、日本国内にパチンコを流布させたのは欧米から輸入されたゲームだった(出典は『天の釘: 現代パチンコをつくった男正村竹一』)。そのあたりをどのように描くのか