ディック・フランシスについて一家言

f:id:BxKxN:20190305164846j:image

貧乏な期間が長かったので(今も相変わらずといえば相変わらずですが)、いつの間にか安くてハズレの少ない本を見つけ出す技術が長けてきたように思う。そんな私がいつもブックオフの百円棚ではじめに探していた名前が、騎手出身という異色のキャリアを持つことで有名なミステリ作家ディック・フランシスの小説だった。

 

どれも同じような内容で、オチはいつだって勧善懲悪。一時期はハウダニットにこだわるあまり本末転倒に感じる作品が目立つものの、ほとんどの作品が高い水準でまとまっていて、突出するものこそないが、とにかくハズレを引く確率の低い小説、それが私にとってのディック・フランシスだった。

利腕 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 12‐18))

利腕 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 12‐18))

 

最近、ある理由でフランシス作品を読み進めている。初期の作品から順々にだらーっと読み進めていたのだが、『利腕』を読んで、ブックオフの百円棚でフランシスを漁った、在りし日の自分の選択を賛辞したくなった。ディック・フランシスはキャリアばかりが注目されて、その筆力は過小評価されている。断言する。

勧善懲悪と読んでいたものの、いま改めて読み返すと善と悪の線引きは曖昧で、流れに身をまかせる一方で、その個人にしか理解し得ないある一線だけは絶対に踏み越えないし、踏み越えさせない。どの登場人物も、そんなリアルな人間の行動原理を抱えている。

先に挙げた『利腕』のテーマは「自尊心をいかに取り戻すか」というもの。前作で腕をなくした男が、さらにもう一方の腕も失わせると脅迫されて、どうしても踏み込ませたくなかった一線を自ら踏み越え、屈服してしまうシッド・ハレーが主人公。男が自尊心を回復させていくさまに一切無理がない。よく「文章は完璧なかたちが存在する」と聞かされてきたが、『利腕』はその完璧な文章に違いない。断言する。


これだけ手練れた小説を書く人間なのだから、さぞかし現役時代も素晴らしい成績だったのだろうと思うと、障害騎手として(1年とはいえ)リーディングジョッキーに輝いていたと知る。納得である。