一競馬ファンによる新型コロナウイルスについての覚書

(少なくとも自分の知るかぎりでは)SF作品にも描かれてこなかったような“鈍い停滞”に世間が包まれている。

中央競馬は無観客開催を決めて2週間。次の開催もこの急場の処置が続くと発表された。つまり、馬券を楽しむ世の中の競馬ファンが1人残らず全員電子投票で馬券を購入しているということになる。これはむしろちょっとSFっぽい話(一方、極右の紙馬券派である私は今週も馬券が購入できないことが確定済)。


勢いに倣って、SF的なモードで話を推し進めてみることにしよう。
なんというか、アレですよね。今回の騒動は中途半端な科学技術の発展がもたらした事態であるようにも感じてしまう(すみません完全文系の戯言です)んですよね。
えらい早い段階で新型のウイルスということが特定できてしまったから問題化してしまったといいますか、なんといいますか。
少し前の時代だったら「今年の冬はちょっと面倒な咳風が流行ってるねー」程度で、あらゆる催しが中止・延期・自粛に追いやられるほどの事態にはなってなかったんじゃねえの?俺が馬券を楽しめないなんて事態にはなってなかったんじゃねえの?
そう思うと、今回の新型コロナウイルスにも、中途半端な科学技術にも八つ当たりしたくなってきちゃうって話。とはいえ不平不満ばかりを言ってても仕方ない。暗いと不平を言うよりも進んで明かりをつけましょうってなわけで。ちょっと落ち着いて、競馬ファンとして、周りを見渡してみる。

 

と思うと、あるつぶやきが思い浮かんだ。
「無観客で実施されるようになってからのレースは堅いオッズに収まることが多い……」といったそれだ。Twitterにも手をつける競馬ファンであれば、きっと目にした意見だろう。少なくとも自分のTLには散見された。
大レースでの「オイオイ」が端緒となって問題視、というか白眼視されているだけに、ついついこの意見にも首肯してしまいそうになるが、果たしてどうなんだろうか。確かにここ2週間の開催は順当な決着が多かったように感じるものの、なんというか釈然としない。

現地にいる新聞記者はこんなふうに書いている。

 

どっちが正解でどっちが間違いって話じゃないけど、自分はまだ後者の意見の肩を持ちたい。普段であれば「試行回数が云々かんぬん」「統計で競馬予想を云々かんぬん」と喧伝することも少なくない競馬“ 予想 ”ファン達が、この2開催だけを切り取って「無観客=馬が実力通りに走れる=堅くなりがち」と考えるのは早計を通り越して、ちゃんちゃらおかしいと思ってしまうのだ。この鈍い停滞に押しつぶされかけて、無意識のうちに通常の思考とは違うパニック状態に陥ってしまっているんじゃないかとも感じた。ってなんだか、やけに攻撃的になってしまった。よくないよくない。これもあれか。新型コロナウイルスのもたらすストレスのせいか。

 

それにしてもなんといっても、こういう有事の際に一番忌避しなければいけないのはパニック状態に陥ることでしょう。
この期に及んで冒頭からの流れを引きずってSFの話を引っ張り出すのは、自分の単細胞っぷりに嫌気が差す話だが、バカSFの歴史に燦然と光り輝く超弩級の大傑作として知られる『銀河ヒッチハイク・ガイド』を思い出さなければいけない。「Don't panic」っすよ。パニックになるな。うん。

 

なんとも、早くいつもどおり競馬が開催される日常が戻ってきてほしいっす。毎週繰り返されるレースの規則正しさ、そこに集ういつもと変わらない博打好きの一喜一憂。そんな場所に身を置いて安心を感じていたいもんっす。

P.S. 即PATへの登録を本格的に考え始めました。