キタサンブラックという馬がおってだな……

ああっと、どこまで話したかな。

あの馬が引退レースの有馬記念で他の馬に一度も先頭を譲ることなくゴール板を駆け抜けた頃の話だったか。
はるか昔のようだ。
そうだな…まだ競馬がこの国で規制される前の話。
カジノを完成させた我が国がその歳入の膨大さに目を輝かせ、経産省の……名前は忘れてしまったがつり目の女性議員が主導となって、他の公営競技も盛り上げようと、コンビニ、駅の売店、トイレ、かつて公衆電話と呼ばれていた箱状の建屋などなど、あらゆる場所が馬券購入所となるよりもずっと前の話の……といったらわかりやすいかい?
あの頃は、とにかく、いい時代だった。
今とは違って、馬に跨るのは人間だったし、それゆえの駆け引きも多分にあった。今じゃ考えられないかもしれないが、レースが開催される週末ともなれば、場外馬券売り場や競馬場は大勢の人でごった返したもんだ。競馬場に家族連れで来てたんだぞ。信じられないだろう。
そうだよ、極端な規制緩和が多くの破産者を招く前の話だ。あの頃からギャンブル依存症患者の破産がないわけではなかったんだがな。少し前の時代のように、ギャンブルで得た歳入がギャンブル依存患者の破産費用に充てられるという無意味なキャッシュフローを多くの経済評論AIに問題視される前の話、そう昔の話だよ。
ああ、脇道に逸れてしまったな。
そう、かつてキタサンブラックという馬がおってだな……

 

(なんて、ディストピアSFみたいな話をつらつら書いていたんですけど、あまりにも長くなってしまったので9/10を削除)

 

こんな軽薄な作り話から書き始めたのは、とにかく極端にキタサンブラックのことを過去形として語りたかったわけですよ。
パースペクティブこそ違えど、2017年12月25日、有馬記念の翌日、つまり(このエントリを書いている)今日から、あの馬の走りについて語るときに過去形を使わざるをえなくなってしまったことを痛感したわけで。
馬券としては嫌い続けてきた(そのぶん随分ヤラレてしまった)わけだけど
「キタサンとかほんとに強いの?」
「この臨戦で来れる?」
「いやいや人気なさすぎでしょ!もっと吸ってくれよ!」
「それにしてもとんでもない馬体ですよね!」
などなど……
キタサンブラックについて、ああだこうだと現在進行形、もしくは未来形で語っていた日々がすでに懐かしくなっているわけですね、不思議なもので。
特に好きでも嫌いでもなかった(いや、正確に書くと、どちらかというと嫌いだった、馬券を割られ続けたから)けど、なんというか、奇妙な喪失感を感じてしまっている自分がいるわけです。もう過去の馬な訳ですよね。少なくとも競走上は。
うーん、なんというか、そういうわけです。
やまなしオチなし意味なし。