俺の日々 2020年9月後半

内田百閒、吾妻ひでお、目黒孝二、大森望坪内祐三……
魅力を感じる文章の書き手が綴る「日記」が好きだ。そもそも書き手自身に魅力を感じているから日記を読んでも面白いといえば、それまでであるが、「日記」にはふつうの文章とは違った色合いが出る。というわけで、書いてみる。
webコンテンツの潮流には真っ向から逆をいくような内容である。しかし、そもそも収益化だの、えすいーおーだの、読者のためだの……そうしたことを一切考えず、好き勝手気ままに書くことが、このブログの理想的な姿だ。
またこの一連のエントリは、アルコールのせいで日々消えゆく記憶とともに生きる人間の備忘録という意味もある。

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9/16(水)
仕事キャパオーバー。逃避。宝焼酎ハイボールを1.5L。明日の自分に託す。夜、散歩ついでにブックオフで◎『オルタードカーボン』を買う。友人RからNetflixでドラマ化したことを聞き、読み返そうと思ったものの、本棚から見つけられなかったのだ。再読したかった。すぐに手をつけられるかはさておき迷わず買う。

 

9/17(木)
8時から16時まで(ほぼ)ノンストップで原稿を書く。最低限、本当に最低限の見通しが立ったところで飲酒。夜になり○『NERVE』を観る。こんなジャンル映画が無性に見たくなる日、ある。雑な話で無理やりの締め方で、記号なんてどこにも配されてなくて、それがいい。
そういえば、今日は中古で購入した製麺機が届いたのだった。ずっしり重い。いい麺を打ちたい。そして美味満腹といきたい。

 

9/18(金)
金曜日というだけで仕事に身が入らない。毎週のこと。気持ちはすでに休日に向かっている。今週に至ってはそれも四連休。当然のように身は入らない。今日やりこぼした仕事は連休のどこかで取り返せばいい。朝三暮四を地で行く。
夜、友人Tと飲み会。神保町に繰り出すために電車に乗ったのは何日ぶりか……と、この日記メモを振り返るとおよそ一週間ぶり。そんなに経っていないといえば経っていないが、経っているといえば経っている。コロナ禍以降「久々に電車に乗ったな」と実感する機会が増えた。乗っていないのだから当然のことである。
四川料理居酒屋「ハオワール」で飲み会。麻辣おでんが美味。そのあと近場のパブに流れ、痛飲。23時頃になっても営業している店がぽつぽつと出てきてありがたい。「夜の街」への風当たりの強さはなんだったのか。不思議なレッテル貼りだったと今も思う。

 

9/19(土)
今日から『TENET』が公開と話題。だが、長らくのアンチ・ノーランとして興味は湧かず。あの外連味たっぷりな演出がどうしても鼻につくのだ。
食材の調達に新宿・紀伊國屋。その後、製麺機で麺をつくる。愉快。海老のソースで美味満腹。満足。料理は比較的簡単に達成感を得られる行為として、インスタントに浄化作用を得られる。自分にとっての「禅」的な行為。いや、禅が何かなんてわかってないけど、きっと似たようなものだろう。
どん底(とも思わないが)カープも、素晴らしい大盛の(!)素晴らしい勝ち越し打で素晴らしい勝利。

 

9/20(日)
朝、外に出ると空気が冷たい。また一段階秋が深まった。半村良○『となりの宇宙人』、小松左京○『むかしばなし』、吉行淳之介○『あしたの夕刊』、山口瞳○『穴 考える人たち』、戸板康二△『少年探偵』、松本清張○『誤訳』、清武英利◎『サラリーマン球団社長』を読み、立川「IKEA」へ。「じとっこ」で友人を交えて痛飲。へべすサワーがチェーン居酒屋にあることに驚いた。

 

9/21(月)
WINS新宿で馬券を買い、新宿「やんばる」でソーキそば。やさしいスープが肝臓に滲みる。昨日買った棚を組み立てる間に馬券は外れ、先週の勝ち分をきれいに溶かす。私にとっての競馬はこの繰り返しでしかない。それでいい。夜、仲間内のオンライン飲み会。

 

9/22(火)
先週の遅れを取り戻すために終日仕事。夜、今シーズン初の鍋を食べる。楽。

 

9/23(水)
3冊分のゲラチェック。夜、初台「まことや」で茄子の煮浸しともずく。レモン氷サワー4杯と天狗のどぶろくを2杯。家に帰って宅配ピザを頼むほど陽気。翻訳小説好きの間で出版前から話題を集めていた『パチンコ』上巻を読み始める。(普段軽薄な小説を読んでばかりの自分にとっては)重い題材の上下2巻。果たして読み終えられるのか。

 

9/24(木)
勤めている会社で退職を周知。各所から届くメッセージに返信するうちに仕事に割ける時間がみるみる減る……と、仕事が進まない言い訳は湧き出るように出てくる。夜、鍋、楽。
引き続き『パチンコ』上巻を読み進める。半分ほど読んだところで傑作の匂いが……

 

9/25(金)
待ちに待った契約書が届く。サインをして返送。これでこれから一年の仕事先が見つかった。いい仕事がしたい。郵便局から帰宅後、PS5の抽選結果を確認するも、当然のごとくハズレ。
夜は明日が健康診断ということで禁酒をすることに。ノンアルコールビールでしのぎ、2020年、いや、元号が令和になって以来初めての休肝日となる。

 

9/26(土)
朝一で健康診断。これまで集団でそぞろ歩く種類のものしか受けてこなかったので、個別での接遇の良さに驚いた。医師の所見は概ね異常なし。しかし、血液検査は別とのこと。自分が一番心配しているのはそこ。肝機能の値なのだ。
健康診断を終え、即座に飲酒。以降、酒を飲みながら過ごす。『パチンコ』を読み進め、トーキョーゲームショーでセールになっていた『アンセスターズ』を購入してプレイするなど。

 

9/27(日)
朝から仕事。神戸新聞杯はコントレイルの圧勝。とはいえ菊花賞では嫌いたいというのが本音だ。子どもの頃、ディープインパクト単勝を買わない大人を「この馬に賭ければ少なからず儲かるはずなのに何故別の馬を買うのか……」と思っていたが、自分がそちら側の人間になろうとは。

 

9/28(月)
久々の晴天。ここぞとばかりに日光を浴びる。在職中の仕事に目処をつけた。爽快。◎『パチンコ』上巻を読み終える。凄みを感じさせる血の物語。感想を残しておきたい。

残した。

 

9/29(火)
仕事の引き継ぎもろもろをそこそこに終えて飲酒。夜は初台の「まことや」へ。もずく、ハツ、タン、上タン、ハラミ、ハツ、レモン氷サワー4杯、天狗のどぶろく1杯。えらく酔ってしまう。『パチンコ』は下巻もつくづく素晴らしい。

 

9/30(水)
朝、健康診断の結果を受け取りに病院。心配していた肝機能、γ-gtpの数値が基準値オーバーの125。別の肝機能の数値も悪かった。「知ったこっちゃねえ」「いやあそんなに悪くなってるのか」「そこまで悪い数値なのかね」……アンビバレントに気持ちが揺れる。つまり、自分の不健康さをまざまざと突きつけられて、くらっている。これは休肝日を設けるべきなのかもしれない。夜、退職挨拶のお菓子を買いに新宿小田急。ケチくさい貧乏人なので、3,000円程度の出費ながらえらく引きずる。鬱憤を晴らすかのように小滝橋の「ラーメン二郎」へ。美味満腹。

え? まだ「在日」を謗りとして使ってるんですか? ド級の移民小説『パチンコ』をすぐに読んでくださいよ!

 海外ではえらく評価されているにもかかわらず、日本での評価は騒ぎ立てるほどのことではない。白人コンプレックスを根深く抱える国*1でありながらも、そんな作品は実は数多い。『アンカル』だって、『アステリックス』だって、『プチ・ニコラ』だってそうだ。挙げればキリがない。権威あるアメリカの文学賞である全米図書賞の最終候補にも残り、カルチャーディガーとしても知られるバラク・オバマ元首相の絶賛を受け(『三体』と同じように!)、世界で100万部以上の売り上げをあげている本作も、日本国内で広く世に広がっている実感はない(『三体』とは違って!)、そんな作品の一つだ。

 

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 好事家の間では発売前から注目の的になっていたが、そのポテンシャルに見合う売れ行きなのかとなると疑問符が残る。とかく、この小説を埋れさせてはいけないと感じた。というわけで、ブログに記録を残す。俺が書かなくたってこの傑作は決して埋もれることはなかろう。しかし、数百名、数十名、いや数名かもしれないが、この文章をいま読んでいる人に、この作品の存在・魅力について知ってもらえれば、それだけで本エントリの目的は果たされる。というわけで本題に入ろう。この本は(めちゃくちゃ売れた)『82年生まれ、キム・ジヨン』同様に、今の時代に、日本で、世界で読まれるべき小説なのだ。


『パチンコ』
 ギャンブル好きとして、ついつい手を伸ばしてしまいそうになるタイトルだが、内容は博打とは無縁。上巻にはパチンコのパの字も出てこない。いたって純粋(でいて濃密で緻密)な「小説」だ。
物語のあらましを書籍袖から引用する。

日本に併合された朝鮮半島、釜山沖の影島。下宿屋を営む夫婦の娘として生まれたキム・ソンジャが出会ったのは、日本との貿易を生業とするハンスという男だった。見知らぬ都会の匂いのするハンスと恋に落ち、やがて身ごもったソンジャは、ハンスには日本に妻子がいることを知らされる。許されぬ妊娠を恥じ、苦悩するソンジャに手を差し伸べたのは若き牧師イサク。彼はソンジャの子を自分の子として育てると誓い、ソンジャとともに兄が住む大阪の鶴橋に渡ることになった……

  著者のミン・ジン・リーは、韓国生まれでニューヨークに移住。現地で弁護士を務める人物。本作は、大学時代から構想約30年、日本での取材を含む綿密なリサーチのもと、草稿の破棄、推敲を重ねて発表されたという経緯をもつ一冊。

 あらすじからも明らかなように、主人公は移民として日本に渡ってきた身。当時のほとんどの日本人は排外主義を隠そうともせず、平然と彼女らに強く当たる。屋外便所よりも強烈な臭いのする猪飼野という街で、薄っぺらな材料を使って建てられたバラックに身を寄せ合って暮らす彼女ら家族にとって、日本人から不条理な扱いを受けることは当たり前のことで、息子は学校で“にんにくうんこ”と呼ばれる有様。「こんな家が似合うのは豚と朝鮮人くらいのものだ」という自虐をこぼしても一人。そんな生活のなかでも一家はたくましく生き続ける。

 

 4世代にわたる在日コリアン一家の苦闘、人と人との関係性、人と場所との関係性を緻密に積み重ねた分厚い物語の層がこの小説の魅力だ……なんて書くと、いくらか安っぽく聞こえてしまうかもしれない。朝ドラ的というか、『北の国から』的というか……*2 しかし、本作は(『ワイルド・ソウル』とは違った方向性で、それでいて傑作な)現代におけるニュータイプの移民小説なのだ。日本が舞台になっていて、現代でも腫れ物のように扱われることも少なくない「在日韓国・朝鮮人」について、韓国系アメリカ人が書いた移民小説なのだ。このクリティカルさたるや!

 

 突然、問わず語りを始めるが、私が初めて交際した相手は在日韓国人の女の子だった。名前を国本さんという。取り立てて何をするでもない、することといえば、学校から一緒に帰る程度のこと。それでも、両親から(直接明言されたわけではないが)快く思われていないことは当時12歳の私ですらひしひしと感じていた。当時はなぜ交際を快く思っていないのか理解できなかったが、今になってはその出自に由来する部分が大きいような気がする(もちろんそれが理由でない可能性も多分にある)。
 こう思うこと自体が、私自身の差別意識のありようと取られるかもしれないが、これは日本社会の、つまり、パチンコのことを「朝鮮」と呼ぶことに何の抵抗も感じなかったり、ヘイトスピーチが公然と行われていたり、「在日」というだけでいわれもない扱いを受けていたり、嫌韓本がベストセラーになったり……そうした日本人中心主義的な空気感を相対化して感じて生まれた考えだ。

 

 誰もが疑いようのない程度に、一部では内向きで排他的な愛国思想がいまだ残る日本。
 でありながら、ヒップホップでは「在日韓国・朝鮮人」「移民」という存在がポジティブな方向性で脚光を浴び始めている。Moment Joon氏がそうだ。*3これまで差別対象ともされた自身のnationをレプリゼントした楽曲がヘッズから評価されている。好ましい時代の変化といえるだろう。そんな風に、(きっと)あらゆるジャンルで民族意識への地殻変動が起こりつつあるように思う。本作『パチンコ』も時代の変化に呼応して生まれた(それでいて普遍性もある)小説なのだ。

 

 日本が舞台になっていて、現代でも腫れ物のように扱われることも少なくない「在日韓国・朝鮮人」について、韓国系アメリカ人が書いた移民小説。小説ではあるものの、日本人がかつて移民に対して行った暴力的ともいえる振る舞いは疑いようのない事実。その凄惨さを理解するきっかけとするもよし。小説そのものリーダビリティに酔いしれるもよし。
 民族問題についてつらつら触れているが、小説としての本筋は単純に物語として面白いのだ。つまり、クリティシズムとしても、エンターテイメントとしても優れた作品なのだ。この小説がこのままの売れ行きでいいはずがないのだ。それでいいのだ、とはいかないのだ。

 

 ……と、ここまで書いてきたわけだが、実はまだ上巻を読み終えたばかり。批評家であれば許されない所為であるが(当然のことながらそもそもそんな大それた人間ではないので許される)、折り返し地点まで読んだ段で「この本について感想を残しておかねばいかん……」と感じさせられたので、こうして書いた。

 

下巻では恐らく、登場人物の誰か(恐らくはソンギャを身ごもらせた憎っっっっっつたらしい成金ヤクザことハンス)が、大阪を舞台にパチンコを経営していくのだろう*4
ここまで積み重ねられてきた層の、さらにその上にどのような物語が描かれるのか。怖さ半分。楽しみ半分、読み進めていきたい。一緒に読み進めちゃいましょうよ。

 

パチンコ 上

パチンコ 上

 

 

パチンコ 下

パチンコ 下

 

 

 

*1:私感でしかない

*2:もちろん劣った作品という意図ではない。強烈な作品であるが故に、型として再生産されることも多いだけに……という意図。

*3:彼は狭義の「在日」ではないが、移民者ラッパーと自らを名乗り、ライブでは「日本と韓国の間に何が起きているか知っていますか?僕の身に何が起きているか知っていますか?テレビが家にある人や新聞を読む人はどのくらいいますか?僕はテレビを付けるのが怖いです」と語りかけた(らしい)。補足として書くと、属性ありきではなく、ラップのクオリティの高さ、ラッパーとしての魅力がで脚光を浴びた要因である。
https://www.gqjapan.jp/culture/article/20190903-moment-joon-interview

*4:厳密に歴史を紐解くと、日本国内にパチンコを流布させたのは欧米から輸入されたゲームだった(出典は『天の釘: 現代パチンコをつくった男正村竹一』)。そのあたりをどのように描くのか

俺の日々 2020年9月前半

内田百閒、吾妻ひでお、目黒孝二、大森望坪内祐三……
魅力を感じる文章の書き手が綴る「日記」が好きだ。そもそも書き手自身に魅力を感じているから日記を読んでも面白いといえば、それまでであるが、「日記」にはふつうの文章とは違った色合いが出る。というわけで、書いてみる。
webコンテンツの潮流には真っ向から逆をいくような内容である。しかし、そもそも収益化だの、えすいーおーだの、読者のためだの……そうしたことを一切考えず、好き勝手気ままに書くことが、このブログの理想的な姿だ。
またこの一連のエントリは、アルコールのせいで日々消えゆく記憶とともに生きる人間の備忘録という意味もある。

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9/1(火)
変わらず同居人の友人が家に。人が一人増えるだけで、こんなにも家が賑やかになるのかとしみじみ思う。きっと孫が帰ってきたときの祖父母も似たような感覚になるんじゃなかろうか。いや、その方がもっと感慨深いんだろうけど。なんにせよ、愉快であることに変わりはない。

 

9/2(水)
昔から知り合って間もない人と会うときにはついつい飲み過ぎてしまうきらいがある。昨日はウイスキー、日本酒、ワイン、酎ハイのちゃんぽん。痛飲。当然のごとく気分が優れず、仕事は進まず。屍のようにモニター前に伏し続ける。
夜、初台のシンチャン(変換出てこず)ウイグル料理屋。干豆腐、羊肉、小籠包、ラグ麺。あとはタクラマカンみたいな名前の酒で喉を潤す。美味満腹。満足。

 

9/3(木)
珍しく週の終わりかけにもかかわらず仕事に集中。締め切りが立て込んでいたことと二日酔いでなかったことな大きな要因だろうと思う。そう思うと、いかに酒が悪いものなのか。
夜、△『戦国と忍』を読む。原典にあたって忍者の実態を紐解く心意気はわかるが……うーん。
同居人の友人が家を後にして、途端に静かに。

 

9/4(金)
仕事集中力皆無。どうせ土日にやればいいやのダメダメ精神が発動。夜、これまで付き合いのあった会社からスタッフとしての参画を打診され(というと聞こえがいいが実態は、あまりの落ちぶれぶりを見かねて声をかけられた、という具合だろう)、面談。それから、かつて仕事上の付き合いがあった編集者の先輩と恵比寿「たつや」。歳こそ離れている(二回りくらい)ものの、いつ会っても楽しい。つい甘えて飲みすぎるが、ウコンハイなので良かろう。

 

9/5(土)
ウコンハイの効能か、二日酔いなし。
10年来の友人Sと会いバスケ……をしようとするも、リングに集うちびっ子たちのあまりの技術の高さに己が居た堪れなくなり、早々に退散。銭湯に行き、常連客にいびられながらサウナ。幅を利かせる常連客、ってのはどんな所にもいて、どんな所でも厄介。しかし、サウナで遭遇するそれはとりわけ厄介。帰宅後、家でタコスをつくり、よく食べ、よく飲み、よく眠る。

 

9/6(日)
家に泊まった友人Sと共に東京03『ヤな塩梅』の配信ライブを見る。配信で4,500円というのはなかなか強気な金額に感じられてしまうが、適正価格というのも、それはそれでわからない。疑似同期性による適度な緊張感がありながらも、寝転がりながら鑑賞できる点がとても良かった。通信機能、つまりインフラの発展に伴って鑑賞スタイルはどんどん多様になりゆくのだな、と、当たり前のことを当たり前に思う。
夜、料理中に火傷。

 

9/7(月)
6:30起床。7:00仕事開始。早々に力果てる。

 

9/8(火)
何度同じ要望を伝えても空返事で無視し続けられるとさすがに辟易。いや、まあ、人と住むということはなかなか困難なもんで。結局は他人なわけですし、コロナ禍ですし、なんですし。と、まあ、なんとも愚かなストレスを抱えながら、「もう飯つくってやんねえ」といった気分で一人近所のデニーズに来ると、俺だけ見えてないのか。案内の声がかからない。これも運命。そう思うといくらか気持ちが楽になる。そうして、ここまで、なんとか生きてきたのだ。イライラに耐えかね、カットステーキを喰らう。異常といっていいほど温い。情けないことこの上なし。夜「桔梗」でラーメンとレモンサワー。

 

9/9(水)
30時間かけて△『龍が如く7』をクリア。それを含めて如くシリーズだと頭で理解しながらも、演出のあけすけさについていけず。

 

9/10(木)
終日仕事。契約書を待つもまだ届かず。
○西田藍『或る女おたく「おれ」』、○高山羽根子『白球を追いかける人、を追いかける人』、◎北村紗衣『私たちは帝国だったんだけど、とはいえ私はストームトルーパーにすらなれないかもしれない』、◎藤谷千明『バンギャルの見られ方』……もろもろ読む。総じて他のオタクとの差異……つまり、ムキー私は他のオタクと違ってこうだったんだー!が語られがちだった印象。企画の構造上そうなるのは避けられないものの、相対的でありながら総体的な論考が読みたかった。というわけで、藤谷氏の原稿が出色。
夜、ファーストシーズン以来に○『ラップスタア誕生』を見る。なんとItaq!しかも驚くほどかっこいい!内政を突き詰めた先のコンシャスさ。彼が高校生だった頃から聞いてきたってことを差し引いても良かった。

 

9/11(金)
仕事ほとんどせず、夜、同居人と仲違い。

 

9/12(土)
祝!場外馬券場営業再開!実質開店休業状態の人入りではあったものの、あの猥雑な場所が戻ってくる第一歩だと思うと感慨深い。昼、水道橋「ぽっぽっ屋」でラーメン。かれこれ10年以上通い続けている店のひとつ。
帰宅して△『THE BOYS2』1〜4話……を見るも、シーズン1の登場人物・相関関係がすっぽり抜け落ちており、何がなんやらわからない。Wikipediaを開いたスマホ片手に観賞することに。この記憶力の欠如はどうにかならんものか。それにしても、シーズン1で描かれたホームランダーの「お前……マジか……」感を越える衝撃が起こらなそうで、今後の展開はどうなることやら。夜、幡ヶ谷「可禮亜」で焼肉。店員の振る舞い、肉の具合、酒、何をとっても申し分ない。値段も手頃で、これはまたいい焼肉屋と巡り合ってしまった。春日の「新香園」に似ているところがある。いい。
1日かけてぱらぱらと○『本の雑誌10月号』を通読。穂村弘のエッセイで書かれていた「オリジン」を「オマージュした作品」で、オマージュした作品に先に出会っているとオリジンの衝撃が薄れる、どころか戸惑いすら覚えるという話に思わず膝を打つ。それでも、オリジン、つまり元祖が知りたいというところまで共感。わかる。

 

9/13(日)
外出・買い物。かねて「ほしいなあ、でも、わざわざ買うほどではないかなあ」と思っていたイヤホンを探しに新宿・ビックロ。売り場を一通り回るも、どれも同じように見えてしまう。家電に詳しい人はこういうときに明確な判断基準が持てていいよな、とつくづく思う。結局決め手は見た目と連続再生時間に落ち着く。ゼンハイザーのHD350を1万円強で購入。貧乏な自分にしては大きな買い物だが、ワイヤレスで30時間の連続再生が可能、断線の心配もない、何より仕事への集中力向上につながる(という希望的観測)のなら仕方ない額だと思い込む。これで片耳が断然したイヤホンから解放される。半年もの間そんな状態で乗り切ってきていたのだ。
新宿伊勢丹に流れ、カサゴとホタテを購入。これまでの間、歩きながらの飲酒で350ml×4本を午前のうちに消費。
昼寝の果てに、競馬のメインレース。ミスターメロディとダノンスマッシュの二頭軸から総流しにした三連複130倍が的中。リアルタイムで見られなかったもののホクホク。夜、アマプラのドキュメンタリー○『塀の中の少年たち なぜ彼らは殺人を犯したのか』を一気見。価値のあるドキュメンタリーという印象。

 

9/14(月)
「あの水道屋のやつ挨拶しねーんだよ」と、店員が出入り業者の愚痴を言っていたかと思うと、今度は同グループの店舗の売り上げを大声で喋るラーメン屋。すごいな、と思う。
夜、会社に退職の意向を伝え、サウナ。人によってさまざまではあろうが、自分にとってサウナの満足感を左右するものは混み具合の一点だなと痛感する。今日は最高。

 

9/15(火)
仕事の資料で△『ロンメル将軍 副官が見た「砂漠の狼」』読む。知識不足もあってか魅力が掴みきれず難儀。サンキュータツオ○『これやこの』を読み切って飲酒へ。健康診断の予約をしたが、肝臓の数値がとかく不安。

祝!場外馬券場入場再開!WINS後楽園の様子を観察してきた

 めでたい。ただただ、めでたい。2020年9月12日、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から入場禁止となっていた一部の競馬場(パークウインズ)・場外馬券場が営業を再開した。

 

 迷わず足を運ぶ。行き先はWINS後楽園。上京してから長らく通い続けた「なじみ」の場外馬券場だ。

 

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 水道橋駅西口を出て神田川を渡ろうとすると、まず、あまりの人の少なさにギョッとする。東京ドームでのイベントが規模縮小していることを差し引いても、まばらとしか言いようのない人並みだ。

 

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 入場には厳しい(今となっては当たり前ではあるものの)制限が課せられる。前の人と十分な間隔を取り、手指はアルコールで消毒し、マスクは着用が義務付けられ、モニターで検温…… かつて競馬場で行われていた大義名分のためだけの手荷物検査が嘘かのように、極めて丁寧な予防策がなされていた。

 

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 場内の店舗はすべてが閉店状態。

 

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 土曜日の午前とはいえ異様な人の少なさ。


 マークシートをまとめてさらう。ルーティーンのように繰り返してきたそんな動作も久々のこと。ついマークシートを取りすぎてしまう(これはいつものことでもある)。

 

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 レースが放映されていないこともあり、いつもの猛る声は聞こえてこない。
「投票カードをお取りください」
「このレースは発売を締め切りました」
「投票カードを入れるか、精算を押してください」
代わりに聞こえてくるのは、聞き馴染みのある券売機の自動音声だけ。

 

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 再開そのものは喜ばしいことこのうえない事態だが、かつての賑わいを取り戻すにはまだまだ時間がかかることだろう。

 

 とはいえ、数こそ、少ないものの、競馬を、ギャンブルを、WINS後楽園への愛着を持つ人が集っていたことは疑いようがない。何度も引用してきた言葉だが、「競馬場にいるかぎり、自分が人よりうんとダメな奴だと思わずに済んだ。」。そんな、ゆるやかな赦しの場としての雰囲気・機能は相変わらずだったように思う。


 運営費がかからないのだから、電子投票だけにして仕舞えば良い。資本主義的にいたって真っ当な意見だろう。ただ、場外馬券場や競馬場の賑わいは、競馬のひとつの華だと思う。私としては、いつまでもこの場所が残り続けてほしい。


 二日酔いの頭で予想を重ね、場外馬券場までの道中で、一度決めたはずの買い目を改めて逡巡する。現地に到着し、日々の暮らしでは体験し得ない博打を打つ。そんな場所があったっていいじゃないか。あってほしいのだ。

 

俺の日々 2020年8月後半

内田百閒、吾妻ひでお、目黒孝二、大森望坪内祐三……
魅力を感じる文章の書き手が綴る「日記」が好きだ。そもそも書き手自身に魅力を感じているから日記を読んでも面白いといえば、それまでであるが、「日記」にはふつうの文章とは違った色合いが出る。というわけで、書いてみる。
webコンテンツの潮流には真っ向から逆をいくような内容である。しかし、そもそも収益化だの、えすいーおーだの、読者のためだの……そうしたことを一切考えず、好き勝手気ままに書くことが、このブログの理想的な姿だ。
またこの一連のエントリは、アルコールのせいで日々消えゆく記憶とともに生きる人間の備忘録という意味もある。

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8/16(日)
午前中に仕事を片付ける。ここ数年、溜め込んだ仕事を大型連休になんとかする悪循環に陥っているが、もう自分の性格としか言いようがない。迷惑をかけて申し訳ないという気持ちと、いっても締め切りには間に合わせているんだからいいだろうと威張る気持ちが相克する。なんとも無価値な相克である。
内が有利な馬場、それでもって内枠を引いた逃げ馬。馬の力そのものは飛車角落ちとは理解しつつも、ミスディレクションの応援に熱が入る。現役馬(で多分)唯一のミスキャスト産駒。かつてのビートブラックに思いを馳せながら観戦するも、三分三厘に差し掛かる手前で急失速。
夕方、昨日見逃した◎『アルプススタンドのはしの方』を見るために外出。なかなかどうしてこういう青春映画なるものに嫌悪感があるものの、これはよかった。詳しい感想はこちら。
昼、夜ともに料理をして、映画、読書ときたもんで。カープが勝っていればいうことはなかったのだが、辛うじての引き分け。最下位転落。

 

8/17(月)
仕事。超集中。アルフレッド・ジャリの超男性ばりの集中ぶりだった。なので、超集中。
夕方、明後日に予約していた寿司屋から「お盆休み伸ばすから予約一旦取り消しで頼むわ」との電話。とんだ殿様商売〜〜〜!!! とはいえ、こちらは小市民。(俺にとっての)超高級寿司屋のいうことを甘んじることすらなく聞き入れ、別日に予約を入れ直す。夜飯はリクエストを受けて近所の焼きとん「まことや」に。ひっさびさに外に飲みに行ったら高エエエエ。貧乏な小市民に外食のハードルは高い。仕事の資料で『YouTube放送作家』(扶桑社)、『仮面』(扶桑社)を斜め読み。

 

8/18(火)
仕事。はかどらず。休憩の間にブックファースト新宿店まで行き、◎『SF映画タイポグラフィとデザイン』(フィルムアート)を買う。これは名著。資料的価値が高い。

 

8/19(水)
誕生日祝いに寿司を食べる予定だったが、一昨日に記したように予定は延期。これといって特別なことはなし。いや、一応近所の洋菓子店でケーキを買った。ケーキなんて買うのは何年ぶりか。十分特別なことだ。

 

8/20(木)
仕事。トラブル。特に気にすることなく最低限の原稿を書き、最低限の進行。夜には○『ピクセル』を観る。映画自体の出来はさておき奇形な人間が出てきて大変具合がいい。奇形が出てくるだけで、もうそれはいい映画だ。痛飲。

 

8/21(金)
仕事。ただひたすら原稿を直す。夕飯後『ドキュメンタル』。なんだかんだ笑いのあれこれは松本人志、ないし、ダウンタウンに教えられてきたように思う。いまの20代後半〜40代前半の人のほとんどはそうなんじゃなかろうか。もうちょっと上がとんねるずなり、ドリフターズ。もうちょっと下は……なんだ、はねるのトびらとかだろうか。

 

8/22(土)
代々木公園まで散歩。そこから原宿に抜けて竹下通りを散策。竹下通りのあまりの閑散ぶりに驚く。この街を支えていたのは地方のティーンエイジファッションマニアだったんだな……と、感慨深くなる。見方によっては十数年前の自分も、この街らしさをかたちづくる一人だったかもしれない。夜アバズレ風のエリート看護師、そして連続殺人鬼が主人公の『マッドナース』。主演のパス・デ・ラ・ウエルタの妖艶さを楽しむだけで満足できる。

 

8/23(日)
終日家。『ドキュメンタル』の過去回を見ては、『幻覚剤は役に立つのか』を読むのみ。競馬予想は的外れ。夜、本を読んでいるとアリに噛まれる。チクチクとした痛みが収まらず。

 

8/24(月)
朝から面接のため築地へ。それらしい服を着て、髪を整え、髭を剃った。世間の男性の多くは日々このルーティンをこなしているのかと思うと、その社会性(?)の高さに慄く。いや、自分自身の生活力の低さにゾッとする。

 

8/25(火)
食事会で連れてきてもらって以来まんまと虜になっている「鮨 かじわら」で夜飯。寿司じゃなくて鮨。そんな漢字が似合う。1人1万円。貧乏な小市民にはとんだぜいたく。ぜいたく野郎ですよ。

 

8/26(水)
昨日ぜいたくしたぶん仕事に精を出そうと意気込み、7時からモニター前。結果、15時ごろにはガス欠を起こす。一段落つけて劉慈欣の○『2018年4月1日、晴れ』読了。訳が魅力を削いでいる気がしないでもないが、相変わらずの爆発的な想像力。SF好きの枠を越えて広く読まれるのも納得。その後は飯を食べて『ジュマンジ』。いやはや素晴らしい映画じゃないか。こんなに素晴らしかったか……まったく初見時の記憶がない。歳を取れば取るほどこういう経験が増えるんだろうと思う。本当によかった。ジョー・ジョンストン、数十年後にはハリー・ハウゼンのように評価されるんじゃないか、これは。いや、この映画の魅力はそれだけではないけども。いやはや。SFとしてよくできている。

 

8/27(木)
仕事。まったく集中できず。筆は進まず淡々と時間が過ぎるのみ。夜はB社の人と食事。行く前は仕事を切られるのではないかと思ったが、まったくそんなことはないようで胸を撫で下ろして、中華料理爆食い。『サラリーマン球団社長』をいただく。もともと買おうと思っていた本をもらえるのは大変嬉しい。行き帰りで柴田勝家を読了。


8/28(金)
金曜日に集中して仕事に取りくめた記憶がない。月曜・火曜で週のタスクに張り切って仕事を進めては金曜日でギリギリ進行に落ち着く。毎週、毎月、毎年、スタートダッシュだけでどうにかやっている。逃げ馬に惹かれるのは、そんな自分を重ね合わせているところもあるのかもしれない。なんていうと綺麗言がすぎるか。
くまざわ書店初台店で『映画秘宝』『ユリイカ』を買い、読む。夜、オンライン飲み会。記憶がない。

 

8/29(土)
内臓が痛くなるタイプの二日酔いで体調悪し。

 

8/30(日)
日用品の買い出し。ついでに購入した『龍が如く7』をひたすらプレイ。

 

8/31(月)
同居人の友人が家に来る。張り切って料理を振る舞い、つい飲みすぎる。