ご当地グルメin賭場ーー「WINS高松」の「うどん」は旨いのか

見知らぬ土地を訪れ、専門紙を広げ、博打を打つ。旅打ちのあの心躍る感覚はギャンブルを愛する身であれば、誰もが共感できるものだろう。
他に旅打ちの魅力はというと……「食事」だろうか。地場の名物を腹一杯味わう。そんな旅の根源的な喜びはギャンブラーであろうと、一般の方と代わりなく抱くものだ。
しかし、旅打ちにおける食事には、ひとつ大きな問題がある。博打打ちには時間がないのだ。一般的な観光旅行では考えられないほどの時間を賭場で過ごしてしまうことが大きな原因といえるだろう。9時から17時まで競馬場で過ごしきりなんてこともざらにある。つまり、とにかく、食事のために割く時間がないのだ。
それだけに、博打を楽しみながら地場の名物も楽しめるなら、それに越したことはない……というわけで、今回の旅打ちでは、賭場で地元飯も一緒に味わっちゃいましょう! そう決めうった男のプチ旅打ち記である。

 

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はるばる訪れた先は香川県高松市
競馬に関連させて書いておくと『日本競馬読本』を著した菊池寛の出身地である。海沿いの工業用地では盛んに製鉄業が営まれ、手袋の生産数は全国一、高松城の南側には道を張り巡らせるように商店街が広がる。そんな高松市の名物はというと……もちろん「さぬきうどん」だ。

 

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高松駅に降りたった私は駅前の散策はそこそこに、すぐさま無料バスに乗り込みWINS高松へと向かった。独特のすえた臭いが漂う車内で過ごすこと10分ほどで目的地に到着。

 

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広大な土地にギャンブラーのためのデカい箱が建てられている。場内にいるのはいつものWINSで見かける人たちと変わりなく、無彩色の服で身をまとったおじさま方ばかりで味わい深い。馬券を買いながら、フードコート的なエリアを探してうろつくと、あった。

 

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「カフェテリア」を発見。メニューを左から右に眺めていると……ある。「うどん」がしっかりメニューのひとつに並んでいる。ソフトクリームの広告ばかりが目立つが、たしかにうどんも販売している。うどんに五月蝿い香川県民が集う賭場で、うどんを出している店がある、のだ。メニューの中で決して目立っているとはいえないが、これは逆にあれだろう。あまりにうどんを打ち出しすぎると、ただでさえ高いハードルをことさら引き上げることにつながってしまうからだろう。「別にウチは専門店じゃないですけど。でもメニューには並べてますんで。香川県民が集う賭場で。メニューに並べてますんで。決してプッシュするわけじゃないですけど。メニューに並べてるってことはそういうことなんで。あとは察してくださいな。」このひっそり具合が逆に自信の現れだと見た。
これは嬉しかった。そもそもWINSにうどんがあるかどうかすらわからないままに向かっていたのだ。それでいて、私はかねてうどんが大好きなのだ。上京から10年が経ち、蕎麦を食べる機会も増えたものの、うどんが大好きなのだ。神保町の丸香、本郷のこくわがた、赤羽のすみた、大泉学園の長谷川……都内の有名店にはあらかた通った。
ようやく、本場、香川の地でうどんが食べられる。迷うことなく注文した。

 

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ずっと本場のうどんが食べたかった……が、これはどうだ。見るからになんてことないうどんである。一口すすってみると……コシのコの字もない……kの字すらない……ボロボロ麺……出汁はいりこの風味が……全くしない……旅行気分をいくらマシてもどん兵衛以下の味である…….

 

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その後はキッチリ「手打十段うどんバカ一代」まで出向いて本物のさぬきうどんをいただいた。こちらはツルッとナイスな喉ごしで大変美味。しかも安い(ぶっかけうどん320円)。当たり前の話なんですが、賭場で全ての欲求を満足させようと横着してては駄目ですね。馬券すら満足に当てられないってのに。
ヤマなしオチなしイミなし。そんな昔ながらの「ヤオイ」スタイルでお送りした次第です。

『賭ける魂』を読んだ

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「もしも君が競馬を、騎手が楽しんでいるように楽しみたいのなら、そして騎手が苦しんでいるように苦しみたいのなら、騎手が感動しているように感動したいのなら、いまあなたの生活が不自由になる程度の金を賭けなさい、そう、そうやって賭ければ、あやたは騎手とともに地獄も見れば、一瞬の輝きの一時をも知ることができる。日常には決して現れてはこない、悪魔と天使の後ろ姿を垣間見ることができる。」
 元ジョッキーの田原成貴が騎手時代に記したエッセイに収めた言葉だ。

 

 私はというと、すっかり「生活に問題が生じないよう金額と時間の限度を決めてその範囲内で楽しむ娯楽」として競馬を楽しむ、しみったれたパンター(賭ける人・相場師・投機筋・売春婦の客…すなわちカモの意)になっている。しかし、田原の言いたいことはわかる。
 ギャンブルの醍醐味は「負けられない状況で勝つ」ことにあるのだ。そして、その「負けられない状況」が深刻であればあるほど、ギャンブル好きはヒリつく。自分に真似できない無頼への憧れなのかなんなのか、気持ちの正体はわからないものの、とにかくヒリつくのだ。

「乾坤(天地をかけて)一擲(賽を一振りする)」なんて四字熟語は、そんなヒリつきを表すに最適な言葉であろう。それにしても、「乾坤一擲」という四字熟語をギャンブル関連のメディア以外で目にすることはほとんどない。それだけギャンブル好きは天地を賭けるほどの大勝負…「負けられない状況で勝つ」ことに血を滾らせるということだろうか。

 そんな風に血を滾らせ続けた一人の男が、かつてイギリスにいた。その男こそ、『賭ける魂』で取り上げられているコックニー訛りの小柄な英国人、テリー・ラムスデンだ。週に90時間働き、移動中もコンピュータと電話でビジネスをしては、バブル期直前の日本の株や債権で大儲け。サッカーチームを買い、馬を買い、馬券の買い方も鮮やかだった。毎週100万ポンド、当時の価格で2億円以上の勝負を繰り返した。


 この人の前では「人生なんてギャンブルみたいなもんだよね……」と嘯くこともできない。テリー・ラムスデンほど、自分の人生とギャンブルが同化した人物はいないのだから。

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 日本の株式で巨万の富を築き競馬で200億円負けた男。バブルの紳士、会社乗っ取り、ワラント債デリバティブブラックマンデー、逃亡犯罪人、サラブレッドビジネス、ヒシアマゾンの母馬、そして。世界中の誰よりもギャンブルに狂い、いくら負けても賭けることをやめなかったその男。世界のギャンブル史上もっとも激しく没落した実在の人物、テリー・ラムスデンをめぐる数奇な運命の物語。

 豪放磊落に賭けを楽しみ、英国版wikipediaでは職業を「gambler」として紹介される男。彼を日本で初めて詳細に(余談:競馬絡みの書籍初出は『競馬漂流記』だと思う)紹介した一冊が『賭ける魂』だ。

 

 労働者階級として生まれ、16歳から社会に出た彼は、丁稚奉公を重ねながら、着実に金融の世界でのし上がっていった。経験を積んだ彼が目をつけたのは日本の金融市場。スキを突いたデリバティブ取引で連戦連勝を収め、巨万の富を得た。飽くなき欲求は止まらない。次に目指したのは馬主としての成功だった。

 もともと競馬ファンである彼にとって競走馬を所有するのは当然の夢といえる。さらにいえば、馬主としてのステータスを高めていけば、世界でも有数の貴族的クラブ、イギリスの競馬を主催運営するジョッキークラブへの仲間入りもできる。それはつまり、イギリスの階級社会で名実ともに頂点に立つことを意味する。労働者の町に生まれ、コックニー鈍りの英語を操る長髪の男は階級の突破を目指したのだ。

 この時点でケイティーズは6戦して2勝、血統も平凡、しかも馬体を見ていないというのだから、3億円で買い取ろうというラムスデンの意図がわからない。
 ラムスデンはこう言っている。
「そうだよ、見もせずにケイティーズを買ったさ。ぼくはリスクってものを恐れたことがないんだ。だってそうだろう、リスクってのは、まさに人生というものそのもののことなんだから」
 ケイティーズが予定通りアイルランド1000ギニーに出走するとなると、ラムスデンは確信を持ってケイティーズの単勝を買った。もしもこの馬券が的中したら、彼はケイティーズをタダで手に入れたことになる。それくらい、買った。
 レースでは、フィリップ・ロビンソンはケイティーズを前々で競馬させるようにした。このタフなコースで追い込みを決めるのは難しい。ゴール前の直線入り口から先頭に並び、残り1ハロンくらいで先頭に立って、そのままぎりぎり粘り込む。

 勘の良さ、大胆さを駆使して勝利を掴み取る。ギャンブルの寵児かのようなエピソードだ。競馬サークル外の人間でありながら、馬主になってすぐに重賞を勝つような馬を持てるというのも、運がいいとしかいいようがない。
 しかし、いつもこんな風に勝ってばかりではなかったという。むしろギャンブラーとしては痛快なくらいに負け続けていたらしい。彼の話をするブックメーカーは破顔しながら答える。

 とってもいい奴さ、だけどギャンブラーとしては最低のぼんくらだね。

 最高払戻額が決まっているブックメーカー相手に、その限度額を超えるベットを申し出ることも珍しくなかったのだという。負ければ損をするだけだし、勝っても配当は変わらないのにである。そんな向こう見ずな賭け事を毎週楽しんだという。
 もちろん、それを有り余って上回る儲けが、本業の株取引でいくらでも入ってきて、負けても彼の懐が痛まなかったからこそできた芸当ではある。
 とはいえ、そんな栄華も長くは続かない。豪胆な賭けは、1987年10月のブラックマンデーによって鳴りを潜めることになる。

「イヴニング・スタンダード」1991年9月15日
 テリー・ラムスデン、ワルソール・フットボールクラブの前オーナーで、1980年代の日本ワラント市場の帝王だった男が、ロンドン市警と重要詐欺事件捜査局の要請でロサンゼルスで逮捕された。億万長者だったコックニー1984年のロイヤルアスコット開催の勝ち馬であるケイティーズを所有していた彼は、株式仲買人クームズと組んで大変な資産を築いたのだが、いまや強制送還の手続きが整うまで再拘留されている。
 先週末に逮捕されたラムスデンは、最大60日間、英国当局が送還のためのヒアリングの準備を整えるまで、待たなくてはならない。

 自己資産の焦げ付きでブックメーカーへの支払いができなくなった彼は起訴され、さらにその後自身が運営する投資会社グレン・インターナショナルの杜撰な運営が詐欺にあたるのではないかと、訴追される。以降、テリー・ラムスデンは表舞台から姿を消してしまった……

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 と、そんな特異な人物紹介だけでも充分に面白いのだが、『賭ける魂』という本の持つ魅力はそこからさらに広がりがある。ある理由から、著者の月本 裕氏がイギリスに赴き、ラムスデンの足跡を辿るのだ。
 その理由とは(大変勝手ではあるが、最近の私と同様に)公私ともに停滞が続き、しみったれたギャンブルしかできない自分自身と比較したときのラムスデンという人物への興味・憧れが一つ。もう一つの理由が、当時日本の牝馬戦線を蹂躙していた“ヒシアマゾン”に著者の月本 裕氏が翻弄されていたことだった。
 これだけ書いても「はて?」という具合かもしれない。しかし、上で引用したケイティーズという馬名を見て、好事家はピンときているのではないだろうか。テリー・ラムスデンが所有していたケイティーズは、ヒシアマゾンの母馬なのだ。ラムスデンに一瞬の栄華をもたらしたケイティーズは、彼が訴追を受けた際に金策のためになくなく手放した一頭で、それを10,000ドルで競り落としたのがヒシの冠名で知られる阿部雅一郎だった。そんなヒシアマゾンに翻弄された著者が、姿をくらましているラムスデンをあの手この手で追っていくさまが、純粋なノンフィクションとして面白い。ラムタラ、ゴズデン、バーニー・カーリー、デットーリ、骨太な馬や人と当たり前のように(そして行き当たりばったりに)交流しているのだ。全ては自分を魅了するラムスデンの姿を追うために。著者の熱量に満ちた一冊。ギャンブラーが輝いた時代の最後の余韻を楽しみたい方には、猛烈におすすめです。

 

 平凡な始まりから、過激なギャンブラーになるまで。レースに賭けることから、複数の刑務所に投獄されるまで。ラムスデンはずっとギャンブルと自分を重ね合わせ続けた。
 後年の彼はたしかに不幸に見舞われてしまって、貪欲と低俗に彩られた物語と呼べなくもない。しかし、彼が馬を、ギャンブルを、どんな理由かはさておき愛していたことは本心のように思える。

 覚悟なく予想を売る人たちとも、しみったれたパンターとも大違い。ラムスデンという男は、その胡散臭さも抱きかかえた、歴史上最も「成功」したギャンブラーと呼んで差し支えない人物である。

『動くな、死ね、甦れ』を観た

 二日酔いで仕事どころではなく、ひたすらネットサーフィンをしていて、見つけた。高田馬場早稲田松竹」で『動くな、死ね、甦れ』の上映が始まる。
 この映画はある時点の自分をシネフィルに導くきっかけとなった作品のひとつで…というと、カッコつけすぎな気もするが、まあ、なんだか強く印象に残り続けている作品なのである。初めて観たのは、老朽化による取り壊しで閉館になった鷹野橋のサロンシネマでの特集上映だった。まだ、高校生の頃、十数年前の話だ。

 正直、この作品の何がそんなに印象深かったのかは、長年蓄積されたアルコールによる脳へのダメージで覚えていない(ラストシーンの“映画世界を拡張した”としか形容しようのない演出は覚えているものの)が、かつての自分にとびきりの一発を見舞ってきた映画であることは間違いない。観に行くほか選択肢がなかった。

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1990年のカンヌ国際映画祭で鮮烈な印象を残してカメラ・ドールを受賞した青春ドラマの傑作。ヴィターリー・カネフスキー監督が自らの少年時代を基に、荒れた炭鉱町に暮らす少年と少女の苛酷な運命をみずみずしく描き、抑え切れない才能を世界的に知らしめた。何千人もの中から選ばれたパーヴェル・ナザーロフ演じる刹那(せつな)的に生きる主人公の、純粋すぎて痛々しい姿が胸を締め付ける。
第二次世界大戦が終わり、収容所地帯となったソ連の炭鉱町。12歳の少年ワレルカ(パーヴェル・ナザーロフ)はガリーヤ(ディナーラ・ドルカーロワ)の協力で盗まれたスケート靴を取り返すが、いたずらがバレて学校を退学になる。母親と愛人との関係や何もかもに嫌気が差したワレルカは、ほんの出来心から列車を転覆させてしまう。(シネマトゥデイより引用)

 

 青年期に熱狂した作品を十数年後に見返したとき、かつてと同じ興奮が味わえないことはままある(自分にとって『ポンヌフの恋人』がその代表)。しかし、『動くな、死ね、甦れ』には、あの時以上にインパクトをくらった。
 高校生の時分に比べ、曲がりなりにもいくらかの人生経験を積んだからなのか、主人公のワレルカとガリーヤ、そして彼らを取り巻くあらゆる“恵まれざる人々”の機微を察せ、この映画の持つ叙事的な奇跡みたいなものへの解像度が上がったことが大きいのだと思う。初見時の、刹那的に生きる主人公への憧憬よりも、映画で描かれる人々への慈愛に似た感情にヤラれてしまった。

 

 先に紹介したあらすじではほとんど触れられていないが、この映画は紛れもない初恋映画である。『禁じられた遊び』しかり、『小さな恋のメロディ』しかり、『ラブーム』しかり、『グーニーズ』しかり……って最後のは違うか。まあいい。子どもの恋愛関係にはあらゆる制限があるぶん、その制限を逸脱する表象に作家・脚本家の工夫が表れる。だから少年少女の恋愛映画にはエポックな作品が多い(ゾンビ映画の進化・発展と同じ構造)。そして、自分はそんな映画が好きだ。
「人間がもっとも醜くなりうるのは恋愛においてであります。同時に、もっとも美しくなりうるのも恋愛においてであります。というよりは、ぼくは恋愛において美しくなりえぬ人間が、その他のどんな場所においてきれいごとを示そうとも、その人を絶対に信用すまいと覚悟を決めているのです。」
と言ったのが誰だったかは忘れたが、この映画には、恋愛の醜さを描きつつ、終始(衝撃的なラストの展開以外もずっと)恋愛の美しさをしっかりと描いている。他の数多くの映画よりも研ぎ澄まされた演出で、さりげなく、色濃く。愛の美しさについて高らかに謳われているのだ。この映画は信用できる。


 とはいえ、恋愛にフォーカスを当てすぎると、『動くな、死ね、甦れ』の持つ多面的な魅力を矮小化してしまうきらいもある。それだけに難しいところではあるが、初恋映画として“も”本作はこのうえなく素晴らしいのだ。そして、恋愛映画として“も”もっとこの作品が評価されていいのではないかと思う。というか、されてくれ。

彼はいわゆる教育を全く受けていないストリートチルドレンで、彼とは楽に仕事をすることができたよ。他の人ではきっと無理だったと思う。実は、教育を受けていない子どもといあのは映画にとってはとても素晴らしいことなんだ。(中略)そして、彼はとても謎めいているよね。映画にとって、謎めいた部分というのはとても必要なものだと私は思っている。(ヴィータリー・カネフスキー インタビューより)

 そんな風に評される主人公の姿は、本当に、終始魅力的である。
 

【余談】高田馬場に来たので昼飯はパブロフの犬的に「ばりちゃん」で済ませた。しかし、何度でも言うが前身の「ばりこて」時代のほうが数段旨い。それでも食うんだけど。

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理由はわからないけどいい(東京新聞杯)

 こんなことを書いたものの、いま最も感謝・感激・感動・感涙している家電はタイトルの通り「ドライヤー」である。
 すでに日常的に使っているような方からすると、「いやいや今さら何を言うとりますの」という具合だろうし、日常的にほとんど使っていない方からすると、「いやいや髪なんて放っておけば乾くじゃねえか」という具合だろう。
 後者の方。よくわかる。私も同類だった。齢30を直前に控えるつい最近まで、ドライヤーを使ったことがなかった。

 

 しかし、違うのだ。声を大にして言いたい。
 ドライヤーを使って布団に入った翌朝と、そうしなかった日の翌朝とでは。誰もがわかるほど明らかに。てめえのナリを気にすることもなく、鏡を見ることもほとんどない。そんな清潔感の欠片もない私にだってわかるのだ。
 まずは、そう。寝ぐせがつかねえ。文系一直線の私には、なぜそうなっているのか全く説明できない、理解すらできないものの、とにかく寝グセがつかねえ。それでもって心なしか髪のコシ(はじめて使った言葉)もしっかりしている。多分アレだ。“次世代ナノイー”ってやつ(本体に貼り付けられたシールに書いてあった)が、なんか効いてるんだ。多分そうだ。わからないけど、うん、きっとそうだ。兎角、いつもの状態とはまっっっっっっっっったく違うのだ。本当に。声を大にして言いたいわけだ。ドライヤーすげえ。本当にすげえ。

 

 そんな風に、“理由はわからないけどいい”ってものは、この世にごまんとある。馬だってその例に漏れない。特別な根拠があるわけでもないのに魅かれる馬はたしかに存在するし、それで馬券を取ったことも少なくない。データを読み漁って、尤もらしい理由を並べ立てて的中させた馬券のほうが少ないかもしれないくらいだ。理由よりも結果。立派な予想よりも一回の的中。馬券という勝負においては、勝ち負けがすべてだ。理由はわからなくても、いいものはいいと素直に認める。ともすれば、知性の放棄でもあるようだが、それが勝負というものだ。

 

 今回の勝負、東京新聞杯で◎の印を落とす馬はレイエンダに決めた。

 これまでの凡走のほとんどがペースによるもので、厳しい流れをつくるとは到底思えない今回の面子は大歓迎。あのレイデオロの全弟ということで、人気を背負いがちだったが、前走の情けない姿で手頃な人気になった今回。エプソムCで見せたラスト3ハロン32.7秒の豪脚を……っておいおい、尤もらしい理由を並び立てかけてしまった。だが、まあそれもいいのだ。
 この短い文章の中で、理由を求めたり、求めなかったり。矛盾しているようだけれど、そして実際に矛盾しているのだけれど、矛盾なしに生きていくというのはなかなか難儀なものなのだ。そんな矛盾が許されるのが競馬の魅力の一つであるともいえるのだ。兎角、今年の東京新聞杯はレイエンダから三連単を買う。尻切れトンボで恐縮ですが、今回の更新はそんなところで。

WINS新宿前の早替婆さんを知っているか

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 新宿駅東南口を出てWINS新宿に向かう道中、青梅街道の高架下を潜った道角には、いつもせっせと働く「早替婆さん」がいた。細身で神経質そうな雰囲気。細いフチの眼鏡をかけてラジオの競馬中継を流す姿はWINS新宿と一体化しているかのような存在だった。
 的中馬券を手渡すと、手元のノートを手繰りながら、該当するレースを見つけ出し、こちらに配当を伝えると共に何かしらの褒めの一言を投げかけてくれる。

「こりゃよくとったね!23,000円ね!はい!」
 手数料分を引かれた配当を受け取ると、早替屋の周りを囲むオッチャンたちから悔し紛れの賞賛を受けることもよくあった。馬券のうまさを褒められながら「タバコ一本頂戴よ!」なんてせっつかれるあの雰囲気がたまらなく愛おしかった。


 JRAや南関各場、それぞれで払い戻しが行われていないタイミングでも、的中馬券を渡せば、その場で払い戻しをしてくれる早替屋。配当の一部、概ね5%くらいを手数料として差し引くことを生業とする彼女は、宵越しの金を持たない人間にとってありがたい存在だった。最寄りのオフトまでの交通費すら手元にない貧乏学生時代は何度も助けられた記憶がある。

 

 そんなWINS新宿前の「早替婆さん」が姿を消したのはつい最近のことだった。

 

 インターネット投票が広まっていき、紙の馬券を購入する人が減ったことが原因なのか、
体調でも崩したのか、はたまた宝くじでも当てたのか……
 姿を消した原因はわからないものの、2020年を迎えてパッタリと消えてしまったのだ。全身無彩色で身を固めたTHE場外馬券馬爺さんも、いつもそこにいるはずの婆さんがいない様子を不審に思ってか、近くにいる警備員に「早替婆さん」の不在について尋ねていた。同様の場面を年が明けてからというもの、何度も目にした。

 

 みんな不安に思っています。あなたに生活を助けられた博徒は少なくないはずです。どうかご無事で。
 自分も本来ならば4,500円分の払い戻しのはずが24,500円分払い戻してもらったことがありまして(その時のエピソードは競馬に負けて財布をふくらませた件(あとで返すよ) - 放談リハビリテーションで紹介しています)、その節は大変助かりました。あの時の借りを返すためにも、もう一度その姿を見られる日を楽しみにしています。その時は的中馬券を正直に申告して、カスリを受け取っていただきますんで。あの時のことは噯にも出さないと思いますが、すんません。でも、あなたの姿を見ずに向かうWINS新宿は、いつものWINS新宿と違って見えるんですよ。なんでか。