偉大な兄弟の話(ノットオーウェル)
マイペース、協調性ナシ、頑固で人と同じことをするのが嫌い、競争心がない、一人の時間を好む、面倒を見るのに慣れてない、独占欲が強い、集団で浮く、団体・集団行動が嫌いで縛られたくない……
挙げればキリがないほど、「一人っ子」のパブリックイメージはネガティブなものが多い。
と、書く私も一人っ子だ。
しかし、なにも好き好んで一人っ子に生まれてきたわけではない。兄弟姉妹のいる友人が子供の頃から羨ましかった。できることなら末っ子がよかった。兄姉がいたら、文化的にも体力的にも大きく刺激を受けることができたように思う。
現に、スポーツ選手には一人っ子や長男長女が少ないといわれる。たとえば2013年のサッカー日本代表メンバー23名のうち長男だったのはわずか2人。一人っ子にいたっては1人もいない。それほどまでに一人っ子のハンディキャップは大きい。
……と、つらつら書いたものの、そんなこと「隣の芝は青い」というだけの話なような気もする。
それに、自分の周りの兄弟姉妹を持つ人は、同じ両親から生まれ、同じ家庭で育ったにもかかわらず「どうして片方がこうなった……」みたいな落ちこぼれタイプの人が多く、本人もそれを引け目に感じている、というケースも少なくない。
一方の兄弟が余りにも偉大すぎた場合、「じゃない方」の兄弟として、胸を張って生きていくことができるのかどうか……と考えると、「やっぱり俺は一人っ子でよかったわ」という思いも立ち上がってくる。
今週開催される宝塚記念で本命の印を落とした馬は、いったいどのような心持ちで、毎度レースを走っているのだろう。馬はそもそも自分の兄弟、血筋について感じることがあるのか、ましてや兄弟姉妹のレースでの活躍ぶりは直感するものなのか、全く想像が及ばない。
ただ、本命馬の兄弟はあまりにも偉大だ。欺瞞を承知で書けば、あれほどまで偉大な兄弟を持っていれば、なにかしらを感じてしまう部分もあるのではないかと思ってしまう。
菊花賞、ジャパンカップ、天皇賞、有馬記念、大阪杯を勝ち、生涯獲得賞金はJRA歴代1位……そんなキタサンブラック、の兄・ショウナンバッハに本命の印を打った。
偉大な兄弟の存在で陰に隠れ続けてきた馬生(とまで書くと生涯複勝回収率100%超の頑張り屋さんに対して失礼だが)だったショウナンバッハが、その偉大な兄弟すら勝ち取ることができなかった宝塚記念の栄冠をつかむ。そんな姿が私は見たい。なんならキタサンブラックよりひとつでも上の着順で入線する姿が私は見たい。
一人っ子ではあるものの、常に「じゃない方」として扱われてきただけに、ショウナンバッハの肩を持ちたい。