ある棋士について(宝塚記念予想)

豪放磊落(ごうほうらいらく)な人柄で多くの人を魅了した囲碁棋士藤沢秀行さんと、将棋棋士芹沢博文さんが、こんな話をしたことがあったという。我々は囲碁や将棋をどれほど分かっているのか。神様が百としたら、どの程度か

二人で紙に数字を書いて見せ合ったら、答えが一致した。わずか六か七。
(中略)
それが今や囲碁や将棋でトップ棋士たちが人工知能(AI)に勝てない時代となった。AIが百としてさて我々は…と問わねばならぬ時代となったのだから、それこそボウ然となる。
だが、そんなコンピューターの力を使い、飛躍的に力を伸ばした棋士もいる。十四歳で将棋の公式戦最多連勝記録に並んだ藤井聡太四段だ。「人間では思いつかない手を指すソフト」との対局で、既成観念にとらわれぬ一手を追い求めているそうだ。藤井四段は連勝記録だけでなく、「六か七」の壁を破ってくれるだろう。
藤井聡太四段が前人未到の連勝記録に手をかけた翌日の東京新聞に以上のコラムが掲載されていた。


今週の(明るい)大きなニュースといえばなんといってもこの件だろう。というわけで、今回の更新は将棋の話題。
とはいっても将棋について私はほとんど知らない。
もちろん駒の動かし方はわかるし、詰将棋に頭を捻らせる程度のことはできる。
ただ、棋譜を見てどうのこうのと語ることはできないし、今回の藤井聡太四段の連勝っぷりがどれほど凄いことなのかもいまいちよくわかっていない、なんなら四段がどれほどの強さなのかすらわかっていない。
いやはやそんな目線から何を書いていこうか…と思いながら、自宅の本棚を眺めていると一冊の本が目についた。

真剣師小池重明』ーー
上で引用したコラム中に「豪放磊落」という言葉が挙がっていたが、その言葉は彼のような男を指す。
羽生善治加藤一二三升田幸三……
棋士には変人が多く、その半生について書かれた本も多く出版されていて、あらかた目を通してきている自負がある身はあるが「豪放磊落」が似合う棋士は彼唯一に違いない、うん。こういう切り口で入ってみよう。

父親は健常者でありながら物乞いをしては博打に明け暮れ、母親は自宅で客の相手をする娼婦だった。そんな家庭に育った小池は父親から「男なら博打の一つも憶えておけ」と言われたことをきっかけに将棋に熱中するようになる。
高校を中退し、家出して向かった先は東京の将棋センター。上京した彼は女にうつつを抜かしながらも、これまでに培った勝負勘で賭け将棋を連戦連勝。普段の生活の中で将棋の研究などは一切行わず、そもそも自宅に将棋盤を置いていないにも関わらず、勝ちを積み重ねた。
事前に対戦相手の対策を練る事をしない事でも知られた。ある大会に小池が出場した際、明らかに酒に酔った状態で会場入りして控え室で寝てしまい、対局直前になっても目覚めないため係員が揺り起こしたという逸話が残されているほどだ。そのうち小池は「新宿の殺し屋」と呼ばれるようになった。
その頃、世は将棋ブーム。アマチュアの大会でも多額の賞金が出ていたため、次第に小池も大会に出場することとなる。そこでも変わらず連勝。名実ともにアマチュア将棋のトップに上り詰めた彼はプロ棋士とも対戦するようになるのだが、そこでも変わらず勝利を重ねる。
しかし、離婚を原因に連日泥酔するまで酒を飲み歩くなど次第に荒んだ生活を送るようになっていた。寸借詐欺騒動だとか浪費癖、暴行事件、女性関係のトラブルなど素行の悪さが表面化してプロ入りはかなわなかった。
賭け将棋で彼と指す人はいなくなり、プロ入りもできない。将棋界に絶望し、そこから10年以上将棋界から身を引いた小池だったが、ある人物が彼を勝負の世界に呼び戻す。
その人物こそ、本書を執筆した団鬼六だったわけで……

そんな男は、羽生善治をして「生き様のように将棋自体は型破りそのもの。しかし、とにかく強かったという事を鮮明に憶えている」と言わせるほど。
重要な節目節目で必ず女と鮭に溺れて失敗する小池だったが、世の将棋ファンは彼に熱狂していた。
彼が将棋界にもたらした旋風もそうだが、あるジャンルが盛り上がるためにはヒーローとヒールが同じ時代に存在することが非常に大きな要素といえる。


ヒーローか…ヒールか…判断に迷うキタサンブラックが圧倒的な一番人気を集める宝塚記念だが、本命に推す馬はレインボーラインに決めた。
重馬場が予想される宝塚記念。波乱に期待したい。
レインボーラインは血統構成を考えても、相対的に雨はプラス。
加えて、近走内容からもストレス・疲労から解放されていて。一気の距離短縮、しかもバウンド。非根幹距離となるとこの馬の持つ、なんというか、いい重さが際立つだろう。
距離もようやく適距離になるわけで…タイミングでいえば走れるタイミングだろう……この人気なら塗る。
ゴールドアクターが逃げて前が忙しくなるようなら……他力本願な面はあるもののキタサンブラックに喧嘩を売って馬券を買いたい。

鞍上は地方出身の岩田康誠
彼に史上最強のアマチュア棋士小池重明を重ねて見た。
中央・地方という二項を対立して見てプロ・アマという見立てで測ることは、かなり強引かつ失礼な気もするが、
「型破り。しかし、とにかく強かった。」
羽生善治が小池をそう表した言葉は地方出身の岩田康誠の全盛期によく似合う言葉であることに違いはない。彼の豪放磊落な騎乗に期待したい。
…38度の熱発を言い訳にこれくらいでしか今回はまとめられず……お粗末ですんません……

居場所はどこにある(函館スプリントS予想)

「据え膳食わぬは男の恥」とはよくいうが、実際にそんな現場に遭遇すると、その後に起こりうるめんどくささが透けて見えることが多く、なかなか事には及びづらい。

共に終電を逃した末、Kさんと池袋の公園脇にあるホテルで朝まで過ごした時もそうだった。

Kさんは大学の一学年上の先輩。才色兼備をかたちにしたような人で、俺の拙い喋りを楽しそうに聞いてくれ、共感できない点は理解しようと努めてくれる、理解できない場合は建設的な批判を突きつけてきて、なおかつ飲みっぷりもいい。新垣結衣に似ていたこともあって、憧れのかっこいい女性としてKさんと接していた。
思えば、Kさんは自分が想像していた大学生活との大きなギャップを痛感していた時に知り合った女性だった。
上京しても好転しない生活にも関わらず映画ばかり見て、酒を飲み続け、人の意見を積極的に聞こうともしない。もっと売れたいから注目してくれ……そんなモラトリアムの中、熱心に話を聞いてくれる美人なんかと出会ったら、そりゃもうホの字ですわ。
拠り所、というか、偽らざる自分を受け入れてくれる「居場所」みたいな人だったんだと思う。
ってなわけで、あの夜も口説きに口説いた果てにホテルにたどり着いていた。
頭の中は情事でいっぱい。羽生善治ばりにこれからの指し手を100手先まで読んだ。王将を討ちとれない悪手を片っ端から消して、黄金手を探し出した。
にも関わらず、にも関わらず、結局手出しできなかったんですよね。
その後に起こりうること。なんというか、大切にしたいと思っている「居場所」が無くなることを恐れて逡巡したんでしょうね。今思えば、うん。

そんなKさんと先日4年ぶりに再会した。
転職で東京に戻ってきたことを知った自分から声をかけたのだ。
再会の日は夜遅くまで飲むこともなく、ホテルにも行かず、アバンチュールなんてもちろんない。そのまま帰宅した。
いや、なんというか、それが良かったんですよね。
大切な関係がいまもこうして保てていたのは、あの夜、据え膳よりも自分の居場所を優先したからだったかもな、そんなことを考えたわけですよ、うん。


今回は「居場所」についての話から入ってみた。というのも……
若者の6割がインターネット空間を「自分の居場所と感じている」政府調査 学校・職場を超える
という見出しから始まるニュースが新聞を飾っていたからで。
そのまま読み進めてみると
若者の“居場所”についても調査を実施。自分の部屋、家庭、学校、職場、地域、インターネット空間の6つの場所で、それぞれ“自分の居場所だと感じている”かどうかを調べています。その結果、自分の部屋(89.0%)家庭(79.9%)に次いで、インターネット空間(62.1%)を“自分の居場所”と感じている若者が多いことが分かりました。
その下には地域(58.5%)学校(49.2%)と続き、最下位は職場(39.3%)となっています。
と続く。
やや問題提起寄りの取り上げ方だったが、果たしてどうなのかと思ってですね。
別にインターネットが一番の居場所でもいいと思うわけですよ。今時そこから広がる交友関係もバカにできないもんだし、自分の居場所だと思える場所はひとつでも多く持ってた方が、心にゆとりとさわやかマナーで生きていけるはず。間違いない。
「現実世界に居場所をつくれ!」
そんな諸先輩がたの意見は隅に置いておいて、
俺が書き残しておきたいのはそういうこと。MMOで結婚式を挙げてもオッケー。俺には理解不能な世界観だけど、居場所があるってことそれ自体が素晴らしいわけで、たとえそれがどんな場所だろうと全面的に肯定したい。ってなことを酩酊した脳みそで考えた。


さてさて、今週から夏競馬。
函館で開催される今年初の重賞は函館スプリントS。本命で買う馬はクリスマスに決めた。
休み明けかつ前走凡走で疲労・ストレスからきっちり解放。土曜の競馬を見て、鞍上の松岡が函館の乗り方をしっかりと抑えていることも確認した。
普段時計はほとんど気にしていないものの、さすがにこれだけ優秀なタイムを持っている馬にローカルという居場所で輝くジョッキーが乗って6番人気なら……まとまり系の人気落ち。さすがに格下相手に情けない競馬はしないだろうし……いやはや買うという選択肢以外ない。そんな判断です。


学生時代の自分じゃないけど、居場所を探すのは競走馬も同じ。
得意な舞台、得意な距離、相性のいい鞍上……居場所を定めるにはさまざまな要素があるものの、クリスマスの居場所は北海道で間違いない。洋芝。自分の居場所で思う存分輝けクリスマス、うん。

釣りから通じる道(エプソムC予想)

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時折、無性に刺身が食べたくなる。

一番好きなのはカンパチ。次いでキンメダイ、そしてイワシ。日本酒とセットで出されたらもう犬が腹見せて寝転ぶかのごとく。それくらい好みなのだ。
と、刺身を絶賛しておいてなんだが、季節の魚ってなんだって旨いですよね。
好みとしては刺身が至上であるものの、焼き魚も煮魚も唐揚げも旨い。そう、季節の魚はなんだって旨いのだ。


ちょうど季節の魚は…というと何をおいてもアユだろう。
全国各地の名所でアユ釣りが解禁されている。
釣り方を調べてみると、どうやら友釣りという方法が一般的らしい。自然の河川に生息している野アユの縄張りに、釣り人が用意したオトリアユを投入する。アユは縄張り意識が強く、それを侵食するものを追い払おうとする習性があるため、それを利用して、オトリにアタックしてきた野アユを引っ掛けて仕留める釣り方だそうだ。
しかし、オトリか否か、アユは素早く見抜いてしまうとのこと。釣り客の多い瀬にすむアユ(釣り人がいうところのスレたアユ)は目が肥え、よほど細い針でないと近づかない。海魚と比べて川魚の方が釣り難しいとはよく聞くが、調べるほどに賢い魚である。

そんな友釣りの起源には諸説ある。
なかでも江戸時代、伊豆の狩野川で僧侶が編み出したという説が有力で、伊豆から長良川など他の土地へ伝わったそうだ。
「鮎はねて 跡静かなり 夏の川」
正岡子規の句である。
写実を自身の俳句の信条としていた彼もこう詠んだように、江戸から明治、そして平成の現在に至るまで、アユは季節の風物詩として日本に存在する。なんとも釣ってみたい気にさせる。


そんなアユ釣りは武道にも通じると言われている。
かつて加賀藩では剣術のかわりに鮎釣りを武士の特権、必須科目として奨励していた。
その頃からアユの釣り方は、うえに挙げたような友釣りが一般的だったようだが、加賀藩ではこの釣り方を「おとりを使うのは武士道にあるまじき卑怯な行為」として採用しなかった。
新たに開発された技は河川の深部に毛針を沈めるドブ釣り。
加賀藩の武士たちは、剣のかわりに釣竿を持って足腰の鍛錬やバランス能力、集中力などを養い、アユのドブ釣りを武士の鍛錬方法として用いたという。このあたりの話は武士の家計簿にもあった、たしか。


釣りが武道として用いられていた江戸時代。そんな釣り。実は馬券に似ていると思うのが平成に生きる私だ。
釣りは武道に通じ、馬券道にも通じる。
釣り場(コース)ごとに特徴を捉え、そこに存在する魚(馬)から狙い目を決める。
網を張る捕らえ方(ボックスの多点買い)もあれば、一本釣り(単勝一点買い)もあり。
狙う魚のサイズ(配当の大きさ)によって、釣り方(券種)を選ぶというあたりも通じるものがある。
そして、棚(馬が足りるかどうか)を謝ればもちろん釣れない(当たらない)。

今週末開催されるエプソムCで私が釣り上げようとするのはクラリティスカイだ。
周りに前受けしたい馬が多いものの、ペースが早くなるかどうかは微妙な線。かつ直近の好走はショックで走っている感が強いものの、持ちタイムで比べたらポテンシャルが頭一つ抜けているのはこの馬。
中団で競馬ができそうなのもいい。ダウンホースだと思われているが故のこのオッズを妙味と受け取った。
まだリズムで着順は確保できるだろうし、そこまでアップとも思えないメンツ、この舞台で狙いたい。
一本釣りとはいかず、サビキ仕掛け。馬連フォーメーションの軸馬として購入することを決めた。
なんとも棚が間違っていないことを祈る。


こんな風に季節の魚をテーマに書いた今週。
どこかの芸能人は若鮎に手を出したのがバレてしまったみたいですね。
皆さまも競馬において、そしてプライベートにおかれましても狙う魚に重々お気をつけください。

『パッパカパー』(作:史村 翔 画:水野トビオ / 発行元:講談社)

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 ——日曜日の夕方

馬券で負けてしまった虚無感に打ちひしがれて酒をあおるように飲んで不貞寝。

——月曜日の昼

昨日の負けから目を逸らして週末の登録馬を眺める。

——火曜日の夕方
先週末のような失敗を犯すまいと書店のギャンブル棚をギラギラした目で見つめる。

馬券好きの競馬ファンであれば、誰もが経験したことがあるだろう週末から週始にかけての行動。
ここで目を向けたいのは火曜日の夕方の話。
書店。言わずもがな、ギャンブル棚には多くの競馬関連書籍が並んでいる。
その多くは馬券の回収率を向上させるため、つまり、競馬でお金を儲けるための本なわけだが、今回はその片隅にだいたい8%くらいの割合で詰め込まれた競馬に“まつわる”本について書いていきたい。
なんといっても私はその8%側が大好きなのだ。

「何かについて興味を持ったら、その対象について書かれた本を読むといい」
誰かのそんな教えから手に取り、まんまと私を競馬好きに仕立て上げた本、というか漫画……その作品こそ『パッパカパー』だ。


競馬漫画というと、騎手の心理を描いた『ダービージョッキー』や、競走としての競馬の熱狂を立ちのぼらせた『みどりのマキバオー』、競馬サークル内を可笑しく表した『馬なり1ハロン劇場』など……競馬を題材にするということは多くの場合、書き手が“好きである”ことが前提としてあるため、熱量にあふれた作品が多く、良作が集まりやすい(気がする)。
『パッパカパー』も例に漏れず、無類の競馬好きで知られる武論尊が原作を書いているぶん、そのエネルギーは凄まじく……

と、つべこべ続けず、この漫画について簡単に(というよりは雑に)要約すると、1人の浪人生が悪友に誘われて、競馬にのめり込んで、借金をつくったあげく、取り立てのヤクザから逃げ回り、その道中で日本各地の競馬場を巡るという物語。

もったいぶらずに画像を貼り付けてしまうと

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この青年が

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こうなって

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こうなって(左)

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こういう大人になる

…とまあ、そういう漫画でして。

作品を通して描かれる、1人の青年が競馬にのめり込んでいくさまは、読者が競馬ファンであれば、その人の歩んだ道のりを別のかたちで追体験させられ、重ね合わさせられる。そして読書後はこれまで以上に新鮮な気持ちで競馬を楽しめるようになるはず。保証する。

読者が競馬ファンでなければ、馬券好きの友人・パートナー・配偶者・見知らぬおじさんが何故あんなにも必死にマークシートを塗り続けるのか、その理由が少しはわかって、愛おしく思えるはず。保証する。 

そして、登場人物の彼らが借金取りのヤクザから逃げ回る道中で、恋だ愛だのすったもんだを経ながら訪れる競馬場は、川崎競馬場盛岡競馬場荒尾競馬場笠松競馬場宇都宮競馬場船橋競馬場などなど、(今となっては存在しない競馬場もありますが)味わい深い競馬場ばかり。各地を訪れる彼らを見ていると、競馬ファンであれば、抗いようなく、どうしても旅打ちに行きたくなってくる。これまた保証する。

まるで、良質なロードムービーを観終えた後に旅に出かけたくなるのと同じような感覚。『パッパカパー』を読み終える頃、いや、読んでいる最中から、あなたは必ずや旅打ちに行きたくてうずうずしてしまう。

そんな最高のホースレーシング・ロード・コミックが『パッパカパー』。

ふざけたタイトルだけど名作です。

既に絶版のようですが、中古市場には相当数流通してるみたいなんで是非。

 

Vシネブームに乗じてVHS作品として映画化もしたそうです。こちらはまだ未見。

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『パッパカパー』(作:史村 翔 画:水野トビオ / 発行元:講談社)
購入価格・場所:いただきました

運動会の季節(安田記念予想)

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ラジオを聴いていると運動会の話題。

運動音痴の息子が徒競走で2位になったことを芸人が誇らしげに話していた。
「これがねえ、1年のトップバッターだったの。緊張するだろうなあと思って見てたら2位だったんだよ。すごくない?!」
同じ番組に出演する芸人も「すごいじゃん!」「脈々とつながる運動音痴の血が流れてるにもかかわらず?!」と楽しげな雰囲気。
「いやまあ、先に走る組から順にタイムが早くなっていくから、トップバッターってのはそういうことなんだけどね」
とまあ、そんなオチで会話は終わった。
他にも、最近の小学生の運動会は、とにかく保護者競技が白熱することや、子供達を応援するあまり審判の判定に物言いを重ねる保護者の熱狂。そして、自分のチームの色に髪の毛を染めてから運動会を迎えるという子供達の熱の入り具合などへと話は展開して、その変わりようを興味深く聞いていた。

思わず、自分の小学生時代を思い出してみると……親は楽しそうにしていたものの熱狂とまではいっていなかったし、自分自身もやる気はなかった。なんだったら本気になるのが恥ずかしいというかなんというか。
普段は楽しい体育の授業が組体操の練習に変わったりなんかして。乾いた砂が舞って、額から流れる汗に混ざって、不快指数が高まって……そんな記憶しか残っていない。
思えば、開催される時期からして違う。
この時期ではなく、暴力的な暑さの9月に行われていたように記憶している。

 

調べてみると、この時期に運動会を開催する学校は年々増えていて、いまとなっては約半数の学校が5,6月に運動会を行うようだ。
その理由としては、台風の直撃を避けるため、行事を分散させるため、受験勉強を考慮して…などもっともらしい理由が多くあがっていた。
「もっともらしい」と書いたものの、この開催時期の変化に文句があるわけではない。
金鯱賞だって初夏から年末に開催時期が変わって、いまとなっては年度末に開催されているわけだし、愛知杯だって初夏から年末、いまとなっては年始の開催だ。開催時期が変わろうと、馬券の配当は変わらないわけで。
(一気に話を極端に振るが)自分の生活がひっくり返るほどの場合を除いて、変化に抗う必要は多くの場合で無用なんですよ。
無理して変化に抗うんじゃなくて、その変化に柔軟に対応していくことこそが、多くの場合、庶民にとっての善処になると思うわけですよ。とまあ、こんな極端なハンドルの切り方をしたのは家のすぐそばで開かれているデモがあまりにもうるさかったんで。
そんな無謀な反対運動起こすより、もっと気楽に柔軟にやっていこうぜ、というか、なんというか。政治的な話になっちゃいましたね。


一度切ったハンドルはそのままに話を進めてみよう。
変わっていく、といえば人だって同じだ。
学年で一番優秀だった彼が大学入学後に何世代目かの脱法ドラッグにやられて、財布の中が診察券でいっぱいになっちゃったり、ホストくずれみたいなナリをした中学生が医学部に進学して美容外科医になったり。
男子三日会わざれば刮目して見よとはよくいったもので、「あいつはああだ」と自分の中でレッテルはっていると、思いのほか実力をつけていたり、その逆だったりするもんですよね。先入観にとらわれず、常に客観的な視座を持つようにしていたいなと思うわけです。


そして、変わっていくものはイベントの開催時期だけでなく、人だけでなく、馬だって同じ。
今週末に開催される安田記念で本命に推す馬はヤングマンパワーに決めた。
本質的に東京向きでない印象を持っているものの、11秒台のラップで淀みなく流れるマイル戦の経験を持っているにも関わらず、前日オッズでこの人気となると否が応でも目につく。キレ勝負になれば勝ちが遠ざかることは鞍上もわかってくれていると信じたい。
そこは松岡。持ち前の勝気な性格で積極的にペースをつくりに行ってくれるはず。
富士Sイスラボニータを下してからの3走は着順にこそ表れていないものの、勝ち馬と大きく離されているわけではなく、なんと表現しようか。「男子、3日会わざれば刮目してみよ」そんな変わり身に期待したい。
今週末も私は馬のかけっこを見に府中へと向かうわけだ。運動会の季節だし仕方ない。