大傑作映画『スパイダーマン:スパイダーバース』

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「これは大傑作」

観終わった瞬間に思わず口に出してしまいました。

これ!これ!これ!これ!俺が観たかったスパイダーマンはこれ!ずーっとうじうじ悩むなっての!これ!これ!

フィル&ミラーが製作を担当することを知った時点で「まあ間違いないだろう」と思って、『ヴェノム』のエンドロール後に流された特報予告編を観た時点で「あっこれは良作っぽいね…」と、のうのうと考えていた俺のバカ!バカ!バカ! なーにを上から目線で見てるんだよ!バカ!バカ!バカ! それどころじゃない!大傑作だよ! なんならしたから仰ぎ見るような!大!傑!作!だよ!

 

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もともと平凡な高校生だった(ピーターパーカーがその役割を担う)スパイダーマンは、巨悪に立ち向かいながらも、人並みの悩みを抱える青年で、いつも“親愛なる隣人”として、(私のような鬱屈とした)読者とともに悩み喜びを分かち合ってきたキャラクターだ。まさしく等身大のヒーローである。それだけに、スパイダーマンは数多くのアメコミ作品の中でもとりわけファンに親しまれている存在なのだ。

今回の映画『スパイダーマン:スパイダーバース 』は、そんなスパイダーマンが闇社会の首領キングピンの手によって殺される一方で主人公マイルス・モラレス(ヒップホップ好きで趣味はグラフィティ!部屋にはチャンスザラッパーのLPを飾る黒人少年!)が蜘蛛に噛まれて超能力を得るところから物語が動き出す。キングピンがかつて失くした妻子を現代に蘇らせようと時空を歪めたことをきっかけに、中年男や美少女、探偵風の男にカートゥーン、日本アニメ風のキャラなど、過去・未来さまざまな次元のスパイダーマンが集結。キングピンの歪んだ野望を砕き、それぞれのスパイダーマンがもともといた次元に戻るべく、デコボコな彼らはどのようにして協力し合い世界を修復するのか……


集結したスパイダーマンは姿も性格もてんでバラバラ。

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異なる次元世界から来た人生に疲弊している(よくいえば熟成している)中年男のピーター・B・パーカーや

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タフでクールで知性溢れる女性キャラクターのスパイダー・グウェン

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1933年の白黒世界からやってきた探偵風のスパイダーマンノワール

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明らかに日本アニメ風に描きこまれた(日本アニメで使われる8枚/sの画で表現するリミテッドアニメーションという手法が彼女だけに用いられる!)ペニー・パーカー

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コミックだとカッコいい役割も担うお調子者のスパイダーハムなどなど、

それぞれのキャラクターは誰もが違って誰もが魅力的。そして、こんなに違っていても、彼らはみんなスパイダーマンなのだ。

 

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一つの画面にキャラクターが一堂に会する画面はスラップスティック風の味わいで最高。それでいて、全く違和感のない画面づくり、最高。描き込みの極端な異化によって主人公(と呼ぶ)マイルスやグウェン、Bパーカーらが実写かのように自然に見えてくる実在感も最高。

と、最高最高言ってるばかりでは芸がないので、それっぽいことを書くと……このようにさまざまなスタイルのキャラ、さまざまなタッチの絵が一切違和感なく共存する脅威の演出を成し遂げる(そんな面倒な作業を何故やった)のかって、見えている姿ではなく、何を為すかこそがその人物をヒーローたらしめる、ということを表しているのだ。そう、誰もがスパイダーマンになれるのだ。

 

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アニメーションもヤリ過ぎなくらい愛おしくコミカルなカットをマシンガンばりに連射挿入。このヤッてる感も堪らない。この物語世界が私たちの生きる世界とはまた別の次元、であることを示唆する演出の数々に気付いたときの知的興奮も出色の質の良さ。

 

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また、マイルスが自発的にスパイダーマンとしての道を選ぶシーンは、映画随一の躍動感溢れるアニメーションで描かれ、何度見ても胸が熱くなってしまう名シーン。典型的展開と言われればそれまでだが、あのシーンを見てグッと来る気持ちは忘れたくないし忘れてはいけないと思う。俺もスパイダーマンになれるのだ。そう信じさせてくれる骨太なシーンだ。

 

……いやはや、話は変わるんですけど。最近ですね、体験と記憶のどちらを大切にすべきかということをよく考えるんですよ。(映画に限らず、読書でもゲームでも音楽でもなんでもそうなんですけど、例えば映画を例にとると)映画鑑賞中の感覚と鑑賞後の感覚をどういう割合で受け取って評価に変換するのか、ってことをですね。よく考えるんです。

自分の直感に対する疑念が……ってところもあって、観てる時は「そんなにだな〜」と思ったけど観終わって考えて数日経つと「やっぱよかったな〜」と感じた時、どちらの感覚をどう取捨選択するかについて自覚的でありたいと思ってるんですね。

どちらかのほうが大切、にしちゃうんじゃなくて、慎重にどちらもを品定めして比べるといいますか、なんといいますか。まあ、そんなことに意識的なんですけど、『スパイダーマン:スパイダーバース 』は、鑑賞中も鑑賞後もどちらも本当に満点の魅力を湛えた作品だったわけです。本当にこれは傑作ですよ。このやり口でポップに仕上げるってほんと手放しで掛け値無しの大絶賛ですよ、はい。


興奮のあまり最後にもう一つ付け加えると、私は例えばスター・ウォーズもBTTFも大好きなんですけど、大好きだからこそリアルタイムで体験できなかった悔しさだったり、リアルタイムで体験した人よりもその映画を味わえていないんじゃないか、みたいな思いを抱くことがあるんですよね。

スパイダーバース。これ、未来の映画ファンが今の私達を羨ましく思う水準の作品ですよ。スパイダーバースをリアルタイムで堪能できることがなんとも幸せなんです。というわけでな、今から未来の若人に向けて書いておくよ!

羨ましいだろ!!!

 

予告編のリンクも張っておきますね。これは今を生きる私達にしか味わえない歓びですよ。大傑作『スパイダーマン:スパイダーバース 』、皆さん、一緒に味わいましょうよ。