そりゃ湿っぽくもなるよ(優駿牝馬予想)

遠藤ミチロウに、チューバッカ役のピーター・メイヒュー、ツイン・ピークスペギー・リプトン、『知りすぎていた男』のドリス・デイ京マチ子…… 5月に入ってからというもの、心穏やかではいられない訃報が連続した。

著名人の訃報に群がっていち早く「お悔やみ申し上げる」ようにはなりたくないと思っている。ひとつひとつの訃報について「ああだこうだ」と触れることにも引っかかりを感じてしまう。しかし、この連続はあんまりだ。単純に悲しい。

最近は主にインターネットを通じて訃報が毎日のように(ほぼリアルタイムで)飛び込んできて、すぐに人の死が過去のものになってしまう。そんな現状もやりきれないものがある。まさしく光陰矢の如しといった具合だが、そんな速度感の世の中だからこそ、ひっそりとしめやかに個人的に喪に服していきたいなと思う次第であります。


なんて湿っぽくなってしまってちゃしょうがない!よーし!今週も競馬楽しむぞー!

優駿牝馬で本命の印を落とした馬はシェーングランツ。加速に時間はかかるものの最高速度の爆発力は一品級で府中のクラシックディスタンスに最も向くと考えた。オークスではジョディーとコントラチェックの果敢なハナ争いが想定されるも、2頭が離れたハナ争い、距離が伸びて実質ペースが落ち着けば、前目に取りつけて直線でその豪脚を発揮するのみ。


これだけ悲しいニュースが続いているんだから、せめて競馬くらいはいいことが起こってほしい。

藤沢調教師と武豊。立場こそ違えど、互いに一線級でしのぎを削ってきた2人。藤沢和雄から「俺も残すところ3年。もうひと頑張りするから助けてくれ」「調教に乗りに来てくれ」との声をかけられ、それに快く応えた武豊シンボリクリスエスで果たせなかったタッグでクラシックの栄光に輝く。そんなドラマが見たくなる。程度には湿っぽくなってしまっている。

よーし!今週も競馬楽しむぞー!

スポーツ“ファン”シップについて考えた

東京ドーム近辺を散歩ルートにしている身として、年々こうしたトラブルを目にすることが増えている。一昨日の楽天日ハム戦でもSNACK SHACKの前あたりで言い争う男女を目にした。

昔のように、甲子園お馴染みの踏み絵(スタンド入り口にばら撒かれた巨人選手の野球カードを踏みつけながら球場に入場する)や、「くたばれ読売」などの過激な応援(そもそも応援じゃないけど)フレーズがそこかしこで見聞きされる時代ではない。

にも関わらず、個人個人の揉め事が増えているのは一体なんでなんだ。過激なトラブルが起きている実数を正確に計り知ることはできないし、たまたま自分がそうした場面に遭遇することが増えているだけかもしれないが、気になったので考えてみた。


時代が変わったからこそ溜まってしまうフラストレーションが真っ先に思い浮かぶ。大きくわけて二つ。

・断続的なネガティブ情報への接触

SNSで「#carp」「#giants」などと検索したウインドウを開いたうえでの野球観戦はとても楽しい。自分では気づかない選手の細かな動作、知らなかった知識に触れられることもあるし、得点や好プレー時などの喜びが重なる瞬間には擬似同期的な昂りがある。

その一方で過剰な毀誉褒貶ぶりで選手を貶める発言が目につくこともある。贔屓の選手について苦言を呈す人もいれば、アンチとして煽るように暴言を吐く人もいる。個人の意見が表面化するぶん色々な種類のネガティブ情報に接触することがどうしても増えてしまう。野球ファンであればTLに野球好きが何人かいて、それぞれが好き勝手につぶやく(それがSNSの魅力だけど)わけで、それを目にする時間もさまざま。かつては野球観戦中とプロ野球ニュース放送中くらいでしか感じなかったフラストレーションを断続的に受け取ってしまう状況に置かれている人は少なくないように思う。

・コミュニティ意識の高まりによる弊害

Twitterが登場した頃、ウォーホルの「人は誰しも15分間は世界の有名人になれる」といった言葉がやたら持て囃されていたように、当初は個人の小さな声をあまねく伝える拡声器としての意義が強かったTwitterだが、現在はその役割を脱色しつつあり、コミュニティの扉といった色合いが強くなってきている。複数アカウントの所持、趣味垢なんて言葉も一般化。野球応援用のアカウントを持っている人も少なくないように見受けられる。となると、起こりうるのが「(内)外集団同質性バイアス」で、贔屓を共有している自分たちの集団は、もう片方の集団よりも優れているという集団意識が形成されて、他球団のファンを「自分たちとは別の集団に入っている人たち」と見なし、過度の仲間意識、集団意識、ひいては差別意識につながってしまう。そこまで排他的になる人がどれだけいるかは不透明なものの、そうなるきっかけは確実に増えている。


最近のファン同士の過激なトラブル増加について、ぱっと思いついたのが上の二つだった。別にこの状況、そしてこの現状に加担している人たちに苦言を呈したいわけでは全くない。

いろんな人がいる。だから面白い。

そもそも“正しい”応援なんて存在しないし、“正しい”ファンなんて存在しないと思っている。「嫌な気持ちをする人がいるからやめましょう」「トラブルを起こさないようにしましょう」といった文化搾取の優等生的な意見を表明したいわけでもない。むしろ、過激とされる人たちの熱のこもった応援は自分にとってある種の球場ならではの風景だという思いすらある。とはいえ、その熱そのままに自分がトラブルに巻き込まれたら嫌ですよねー。


というわけで、スポーツ“ファン”シップなんて言葉があってもいいのかもしれないなあと思う。

・競技そのものへの愛着

・対戦相手へのリスペクト

・贔屓球団を応援している自分を相対的に見ることができる

自分が野球を観戦する上で最低限持っておきたいスポーツファンシップは上の三つ。

皆さんのスポーツファンシップはどんなもんでしょう。そんなもん必要ないって?まあそういう向きもありますよね。

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プロ野球「嫌われ球団」を全国調査! 総合1位は巨人、でも地域別に見ると...(全文表示) - Jタウン研究所 - Jタウンネット 東京都
以上、同情にこそ慣れているが、批判の的になることに慣れていないカープファンが忸怩たる心境を棚卸ししつつ吐露した次第であります。

正しく選択するために(ヴィクトリアマイル予想)

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いやー毎日天気がいい。湿度もさほど高くなくて暖かい今みたいな時期って本当に気持ちいいですよね。

まさに、空のただならぬ燦めきは地上を覆うほど大きな斧のすずしい刃の光のようにも思われ(三島由紀夫オマージュ)、初夏の水分を含んだ空気を透す日光は、色ガラスの破片を降り落としているような美しさを漲らせて(田村敏子オマージュ)、射精管のように緊張して燃え上がり絶頂にたって堰を切って溢れ出しそうになっている太陽(大江健三郎オマージュ)が勢ぞろいとでもいいましょうか。

なんて、そんな近代文学の作家の豊穣な言葉を借りるまでもなく、外で飲むアルコールがただただ美味いですし、朝一番に洗濯した衣類も昼過ぎには乾いちゃいますからね、いやー本当に気持ちいい時期ですよ。洗濯物の乾きが早いと得した気持ちになれるし、太陽の香りもするようで本当に気持ちいいってもんで……洗濯……せんたく……うん、今回は選択の話。(ってひどい親父ギャグかつ無理やりすぎる持って行き方……ご容赦ください……)


まあ後ろを振り返らず書き続けることとする。「選択」について書こうとして、真っ先に頭に浮かんだのは、シェイクスピアが残した名言として知られる「人生は選択の連続である」という言葉だった。だけど、この言葉、実はシェイクスピアが残したものではないんですよね。ミームとでもいいましょうか、原文には連続を指す語は存在せず、人生を示したセンテンスもない。邦訳されているどの訳書をあたっても「人生は選択の連続である」なんて一文は見当たらないのだそうで。

出所が不明なものがここまで広がるというのは、人間の伝聞力の凄さの証明であると同時に、情報を取捨選択する能力の低さを証明しているわけですが、こういった具合に自分も周りの多くの人も「正しい」「当たり前」だと思っていたものが、根も葉もない噂や誤りだったということは意外と少なくない。バナナは下から皮を剥いた方が美味しく食べられるし、コウモリは盲目ではないし、人間の脳みそが数%しか使われてないなんて話もデタラメ。


つまり、実生活で情報の取捨を正しく行うためには「選択」に慎重にならなければいけないというわけですよ。

馬券を少しでも多く当てるためには「選択」に慎重にならなければいけない競馬と同じで。


と、ここにきて今週開催されるヴィクトリアマイルは5年連続で5番人気以下の馬が制してきた重賞競走で、なんとも本命馬の「選択」に頭を悩まされるレース。

一晩考えた挙句、結論を導き出せなかった私は本命馬を複数用意し、手広くフォーメーションを組んで馬券を購入することとした。レッドオルガ、ノームコア、ラッキーライラックから手広く手広くほぼ総流しの三連複で博打に出る。

ことによると(ドストエフスキーの小説でやたらと目にする接続詞)、100円が50万円に化けるような買い目も存在する(ドストエフスキーが博打狂いだったことまで含めたオマージュです念のため)馬券である。

前段にて偉そうに振りかぶって“実生活で情報の取捨を正しく行うためには「選択」に慎重にならなければいけないというわけですよ。”なんて書いてはみたものの、なにもかも慎重に日々をこなしていくことは不可能だし、「憎まれっ子世にはばかる」みたいな具合で、思考の放棄がいい結果に繋がることも少なくない。

ここはひとつ、ほぼ総流し買いという、ある種の慎重な「選択」の放棄が結果的に完璧な「選択」となるというオチを期待したい。

追いかける(NHKマイルC予想)

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ギャンブルの戦略の一つにマーチンゲールと呼ばれるものがある。敗けるごとに賭け金を増やしながら、勝つまでギャンブルを続けるという考え方で、ルーレットの赤or黒を選ぶギャンブルのような、確率がイーブンの際に特に有効といわれ、博打好きの間ではかなり有名な戦略の一つだ。

たしかに、約1/2で当たるギャンブルであれば賭け金を的中時の払い戻しに応じて増やし、利益を上げることはそう難しくないように思える。

しかし、そうは問屋が卸さない。ギャンブルは厳しい。

多くのギャンブルでは常に胴元の取り分が決められている。そのため、厳密な意味でのイーブンベッドはありえない。さらにルーレットで赤が50連続で出る確率だってゼロとは言えない。マーチンゲールは常に資金ショートのリスク(しかもそうなる可能性が高い)を背負った戦略だと言える。

とはいえ、そこまで理解していても、博打打ちであれば、マーチンゲールが有効な戦略だと感じるような経験をしたことはあるだろう。そもそもそうでなければ、マーチンゲールという手段がここまで有名になっていないはずだ。

しかし、先にも書いたように、マーチンゲールは大きなリスクを孕む手段で必勝法というわけではなく、戦略性も低い。

にも関わらず、なぜ博打打ちはマーチンゲールを有効な戦略だと誤解し、ここまで広まり続けてきたのだろうか。

それはなんといっても、追いかけて、追いかけて、追いかけて、それで敗けを捲ったときの痺れるような感覚は代え難い気持ち良さ。それゆえに残る強い印象が大きな理由なのではないかと類推する。

ギャンブルだけに限らず、恋愛も、アイドルも、他のスポーツも、大きな買い物も…… なんだって。追いかけて、追いかけて、追いかけて、勝ち取った、手にした何かはいつだってその物が持つ魅力以上に価値を感じてしまうものだ。人の性みたいなもんである。


男のロマンは、追いかけることだ。」

というキャッチコピーとともに売り出されたTOYOTAの車は、そんな性を巧みに刺激し、大きな売上を記録した。

ライバルメーカーの名車スカイラインを追いかけるように開発された、その車の名はチェイサー。NHKマイルCでは、そんな名車と同じ名を持つダノンチェイサーから馬券を購入することに決めた。重心の低い走法で、なだらかに成長を続けるディープ×ロックオブジブラルタルの配合。本命の印を落としながら、仮にここで敗戦したとしても、引き続き追いかける価値の馬だという思いもある。ここで敗戦したとしても、追いかけて、追いかけて、追いかけたい。

マーチンゲールである。競馬資金がショートしないよう気をつけて競馬に勤しむ所存である。

 

 

(以下あとで消すつもりだったけど残すことにした締めの文章。蛇足。ボツ案。)

あまりにも予想がロマンに振れているかもしれないが、遠藤ミチロウが逝去したというのだから、今週くらいは“吐き気がするほどロマンチック”に馬券を買ってみようと思う。

月末作者コメント:2019年4月

 

ブログを更新する。しかし、翌日には何を書いたかもう忘れている……。そんな繰り返しに、終止符を打ちたいのねん! そう考えた私が自分自身の読み返しを兼ねて、子供の頃に好きだった『浦安鉄筋家族』の巻末作者コメントの真似事をしてみようと思った次第です。あれ、好きだったんすよね。という試みを先月から始めておりました。今月も引き続き振り返ってみることにするのねん!

 

氏の聞く耳持たずな相変わらずっぷりにも、若気を無闇に叩く相変わらずっぷりにも、どちらもに違和感があって書いた。Twitterで広がって割とよく読まれた。彼の場合ちょっと違うけど、どんな集団にも歯に衣着せぬ物言いをする人は大体1人はいて、総じて嫌われてたり、出世から遠かったりするもんですよね。それを我関せずで能力が高い人、僕は嫌いじゃないです。

 

予想を参考にする人はいないだろうけど、本命に据えた馬が7番人気2着。自分で自分を褒めたい。文中で触れてるはやぶさ2の衝突成功の件で、AKIRAの鉄雄を連想してしまった人はきっと僕だけじゃないはず。

 

 予想を参考にする人はいないだろうけど、本命に据えた馬が4番人気2着。自分で自分を褒めたいPart.2。ジョジョの奇妙な冒険はいつか読みたいと思っている漫画。そういう風に思っているかぎり、いつまでたっても読むことはないとも思う。

 

予想を参考にする人はいないだろうけど、本命に据えた馬が4番人気5着。自分で自分を……どうやったって褒められない。文章も混みいっていて悪文。カープが連敗していた頃なのでその影響も一概には否定できない。

 

予想を参考にする人は…… って、この書き口もいい加減しつこい。タイトル通り。深刻に考えている風で、その全てが仮定だけを積み上げるTHE屋上屋を架すスタイルの思考をする人は一定数居ると思っていて、いつも不思議な気持ちになる。

 

宣伝恐縮です。引き続き文春オンラインでも書いていく所存ですので、その際はお騒がせします。恐縮です。

 

 コメントをいただくのはとてもありがたいことです。読点までいつまでたっても辿り着かないことから、酒を飲みながら書いたことがよくわかる文章。

 

なんて書くのが楽なんだ…… 今月はブログ自体をなかなか更新しないでいましたが、このテーマ来月もまたやってみたいところ、そんな感じなのねん!今月もよろしくお願いしますなのねん!