チャックベリーの訃報(高松宮記念予想)

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10代の頃によく聴いていた音楽ってのは年齢を重ねて聞いても耳に快く響く。
きっとそうした経験は誰にでもあって、自分の場合は、ラジオから録音した気になるバンドの音源を聞いていた時に、おじさんから「お前ブルーハーツとかも好きなんじゃないんか」と紹介され、よく聴くようになった彼らの音楽がそのひとつ。
反骨精神あふれる歌詞と歌い方に心ひかれていたんだと思う。今思うと「てめえの考えている世の中の不条理なんて、本当の意味での世の中の不条理から比べると驚くほど小さい」としか思わないものの、まあそうした反骨精神を持つこと自体が健全で……そんなところだろう。


つらつらと問わず語りをやめずに書き続けると、ブルーハーツにハマったことが音楽にのめり込むようになったきっかけだったように思う。
ボーカルの甲本ヒロトが影響を受けた音楽はなんなんだろうという思いから、The WHOを聴き、ピストルズを聴き……更にどんどんと時代を遡っていった。今風の言葉でいうとDigっていったわけだ。
そして、遡った先に居たのがロックンロールの創始者チャックベリーだった。
一生懸命英和辞典を引いて歌詞を和訳してみると、俺に振り向いてくれない女、大嫌いな教師、家出など、メロディーこそ軽快だったが、チャックベリーの歌詞には、思春期特有の鬱屈とした精神をほだす世界が描き出されていて、思わず共鳴した。生まれた国こそ違えど、強烈な連帯感を感じたことが彼の音楽を聴き続けた大きな理由なんだろう。ブルーハーツを聴く時間は減り、チャックベリーを聴く時間が増えていき……そこからというものジャズ、ヒップホップ、民族音楽と、どんどんニッチとされる音楽を好むようになってしまったが、どんな音楽でもユニティを感じる瞬間にグッとくる自分にとって、音楽の悦びを教えてくれたのはチャックベリーに違いない。


そのチャックベリーが先週末自宅で亡くなったという。御年90歳、当然といえば当然か。覚悟もしていた。とはいえ訃報には驚かされた。
読み書きはうまくできないけど、ギターだったら、鐘を鳴らすように弾ける。
そう歌いあげ、死の直前まで健全な反骨精神を抱き、何歳になろうとアルバムの製作をやめることのなかった創作意欲旺盛なロックの創始者が逝ってしまったのだ。
ただし、1人の偉大な存在がこの世から去ったとて、彼の残した功績が脈々と受け継がれていることも事実。ビートルズローリングストーンズはもちろん、ジョージアサテライツも、ラモーンズもチャックベリーがいなければ今の彼らではなかっただろう。
競馬に例えると、彼はさながら偉大な種牡馬のような存在だったということだ。それもサンデーサイレンス級の……と、問わず語りの音楽与太話から、無理やり競馬の話につなげたところで、今週の重賞の予想に。


今週末に開催される重賞で最も注目されるべきは高松宮記念
言わずと知れたスプリント王者決定戦で自分が本命に推す馬はワンスインナムーン。彼の父親は短縮大好き・アップ大好きアドマイヤムーン。京都牝馬組の相性は良くないとされるが、あえてその臨戦を評価したい。
S主体の馬である程度一本気に行けた方がいいだけに、外枠に入ったこともさほど悲観する要素ではないだろう。内を見ながら先頭集団に取り付けられたらベストで、重賞鮮度も活かせるはず。例年に比べて低調なメンバーなだけに、一発まで考慮して馬券を手広く抑えたい。


といつもなら、ここで〆るとこなんだけど、そういえば高松宮記念は誰がそう名付けたか“電撃6ハロン”とも呼ばれる。
ここまでの流れから何が言いたいのか、察しのいい方はお気づきかもしれませんが、ラモーンズの話。
チャックベリーが産み出した50年代以降の反骨精神にまみれたロックンロールを熱心に聞いていたことが、一聴するだに明確なラモーンズ。彼らの代表曲である『電撃バップ』の歌詞はこうだ。

奴らは真っ直ぐ並んで
強い風の中を行く
ガキ共は発狂してるぜ
後ろに積みこんで
蒸気を吹かす
ビートに乗って撃ちつけるんだ
なあいこうぜ、後ろから撃ち込んでやろう
奴らが欲しいものなんて知らないが
エンジン吹かして、準備はできてんだろ


パワーコードだけで奏でられる勢い任せのこの曲。なんというか高松宮記念のことみたいだな、と。
大したオチはないんですが、「ワンスインナムーン、エンジン吹かして、準備はできてんだろ」
そんな感じで。

 

(レース終了後追記)

ワンスインナムーンは結局16着で入線。

そういえばチャックベリーの影響下にあるのは清志郎も一緒だった。「この雨にやられて、エンジンいかれちまった」ってとこですかね、残念。

ある日の風俗店の話(フラワーC予想)

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「イラシャイマセー、ツギノオキャクサマー」
おっとこれは聞いてない。
珍しく競馬で大勝したその日、いつもなら猫背をさらに丸くした情けない姿で歩くオケラ街道を、今日は胸をはって、晴れやかな気持ちで歩いてきたというのに……50分12,000円、いつもより高級なピンサロに入店した自分にあてがわれたのは、つたない日本語を喋る女性だった。

「キョハオシゴトデスカ?」
ルックスは中の上。とはいえ、大枚はたいてアジアか、聞いてない……いやまあ考え直そう。サービスこそが大切だもんな、うん。それにあれだ、国際交流だ、うん。見方によっては、K-POPアイドルの端のほうにいそうな顔とも言えなくはないし、なんてったって後戻りはできないんだから。与えられたこの状況を100%楽しむために、まずはいい雰囲気をつくる、他に選択肢はないじゃないか。
「仕事…? ああ、うん、まあそんなところかな。ところで君、どこから来たの?」
仕事ではなくて競馬帰りだが、風俗とはいえ初対面の女性にギャンブルの話はいい選択とは言えない。ここはソツなく出身地の話から。
「フッサダヨ」
福生って!(笑) 違うよ! そうじゃなくて出身は?」
「アアソユコトネ! ウマレハカンコクダヨ。ニホンゴベンキョウスルタメニキマシタ」
「へえ、バンコク? バンコクっていったらパタヤがあるよね、ね、あのゴーゴーバー。何年か前に行ったんだけどさ、あそこは楽しかったなあ」
「チガウ! バンコクジャナクテ、カ・ン・コ・ク!」
「ごめんごめん、冗談だって(笑) そんなに怒らなくていいじゃん。隣だよとなり、そんなに変わらないって、ってそんなこと言ったら、また怒られちゃうか」
ひとボケ入れて女も笑っている。ちょっと空気も緩んだ。うん、よしよし。この調子でいい雰囲気をつくっていこう。
「オニイサン、ヨクシャベルネ! ホントハハヤクハジメタイデショ!」
「いやいやいやいや、俺喋るのが好きだからいいんだよ。ね、もうちょっと喋ろうよ。」
「ワカリマシタ。デモチョト、ギャクニヤリニクイネ」
「そうそう、そういう風に困った顔を見るのが好きなんだよね」
「ヘンタイ! モットフツウニシテ! ホカノヒトミタイニ、ホウショウフキ、タノシンテクダサイ!」
「いやいや普通だって! 本当に困り顔を見るのが好きなんだよ、いるよ? そういう人結構。にしても放縦不羈って!(笑) 日本人の俺でも漢字で書けないよ! やけに難しい日本語知ってるね。」
よくよく見てみると、韓国の若い女の子にしては、整形の跡もない。どことなく、日本人らしい顔な気がする。それにそんな難しい日本語知ってる外国人がこんなとこにいるはずない。

「사실 일본인 지요?」
きょとんとする女。
「さては、お前日本人だな!」
「チガイマス…ヨ!」
「いいっていいって。誰かに言うわけじゃないから大丈夫だって」
これはこれは、当初考えていた“与えられたこの状況を100%楽しむために、まずはいい雰囲気をつくる”という当初の目的からは離れてしまったものの、楽しそうなことになってきたぞ……
「사실 일본인 지요? ああ、韓国語はわからないよね。だからさ、本当は日本人でしょ?」
すると女は機嫌の悪そうな顔で
「仕方ないな、もう、そうだよ。早く脱いで!始める!」
と続けて、こちらに手を伸ばしてくる。
「そうそう、そういう困った顔が好きなんだよ」――

 

とまあ、自分で書いててもキツいなーと思うような、やけに気持ちの悪いトーンで、ピンサロでの与太話をつらつら書いてしまいました。
なんでピンサロの話かって、花びら大回転ってことですよ、花びら、つまりフラワーですね。はい、フラワーCの予想に。
自分が本命に推す馬はモリトシラユリ。先々週ころから中山の芝コースがステゴになっているのは火を見るよりも明らかで、適度に重厚な血統の当馬にとってもプラスに働くはず。バウンド延長で前受けしてくれれば、本来の力を発揮できないディープ産駒の追撃を封じ込められるはず。江田だし、後方からの競馬はしないでしょ、うん。前走の凡走で物色されておらず、単勝人気が30倍つくというのもよい。馬連、ワイドに財布の中身全部。


なお、前段はラジオから流れてきたんだったか、ファミレスで聞こえてきたんだったか、なにかの本で読んだんだったか……まあそんな話を思い出しながら書いただけでまったくもってのフィクションですからね! ええ!

赦して信じる(金鯱賞予想)

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「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」
律法学者の彼らがそう言ったのは、イエスを試し、訴える口実を得るためだった。
しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いていた。
それでも彼らが問い続けるので、イエスは身を起こして「あなた達の中で罪のない者だけが順にこの女に石を投げつけるがよい」と答えた。
それを聞くと、彼らは年寄りから一人、また一人とその場を離れていき、ついにイエスだけになり、女は中にいたまま残された。
そこで、イエスは身を起こしてこう言った。
「女よ、みんなはどこにいるのか。あなたを罰する者はなかったのか」
「主よ、誰もございません」
そう答える女に対し、
「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」
とイエスは答えたという。


最後の展開を改竄したコピペが出回って有名になったヨハネ福音書の引用から始めてみるという柄にもない書き出しなわけですが、その大きな理由は、WBCキューバ戦のあの一件を見たから。
なんの一件かというと、レフトスタンド最前列で日本代表を応援していた少年が山田哲人の放ったホームラン性の打球をフェンス間際で見事にキャッチしたあの件。
少年をめぐるさまざまな物言いが渦巻いて、特定しようと意気込む人まで現れたあの一件。
多くの人の反応は、出来事の直後は(体感として)「ふざけんな」的なリアクションが大半を占めていて、次第に「そんなに皆して叩くのはかわいそうだ」「晒しあげるのはやりすぎだ」という反応が増えていったように感じた。
リアルタイム検索を駆使すれば、もっと説得力もって説明できるんだろうけど、きっとみなさん同じように感じておられるだろう、まあそこは割愛。
そんな今回の件について「ネット怖すぎー」だけで、えいやと片付けてしまうのは簡単だけど、それではあまりにも思考が停止しているというかなんというか。そこで、ヨハネ福音書を引用した、そんな始まりでした。


というのも、少年を“叩いた側”を非難する人を見ていて、なんというか、偽善・欺瞞に似た気持ちを感じたわけです。
もちろん、自分自身が「どこの野郎がグローブ出してんだよ」とカチンときていたことも理由のひとつかもしれない。
ただ、はじめは「は?」と思いながら、冷静になって周りを見渡すと「これは叩かれすぎで可哀想だ」と感じた人は少なくないと思う。
だからこそ、直後は「ふざけんな」的なリアクションが大半を占めていて、次第に「そんなに皆して叩くのはかわいそうだ」「晒しあげるのはやりすぎだ」という反応が増えていったのだろう。
少年を吊るし上げるきっかけとなった最初の負の感情は多くの人が持っていたのにも関わらず、だ。
罪のない者だけが石を投げられると記したのはヨハネ福音書
自分の負の感情を棚に上げて義を振りかざすのは惨めになりかねない。


……
とまあ、ここまでの内容を、そっくりそのまま、しこたま買った馬が惨敗した直後のてめえに聞かせてやりたい。
「今の外回せば届くだろ!ふざけんなよ!」と息巻くことが無くはないし、金額次第では「殺すぞ!!!」といったような言葉も吐きかねない心情。
しかし、その馬その鞍上に汗水たらして働いた金を賭けているのは何を隠そう自分自身なのだ。
つらつら書き連ねてきたことに重ねるとすれば、
競馬に勝っている者だけが文句を言えるのだ。
自分の買った馬が負けたからといって、乗り役に100点満点理想の騎乗を押しつけるのは惨めになりかねない。
といったところだろうか。


今週末の重賞、金鯱賞で本命に据えるサトノノブレスには秋山が騎乗する。
前走はラビットかのように、4角でしきりに後ろを振り返りながらシュミノーがビクトリーロードを形成したが、そのおかげもあって3角では5番手。馬自体に走る気がないわけではないことが確認できた。
そのうえ、臨戦過程としてはバウンド短縮で、差しに回る位置取りショックが使えるというのも大きい。(とはいえスローになりそうな面子で後ろすぎは勘弁してほしいところだが……
誰もがご存知のとおり中京との相性も良いし、ダウンの臨戦もこの馬には歓迎だろう。オッズ的にも十分狙いたい。
鞍上のことを考えると、直近のマーメイドSの騎乗がどうしても気になってしまうが、そこはまあ先に書いたとおり。自分の買った馬が負けたからといって、乗り役に100点満点理想の騎乗を押しつけるのは惨めになりかねないですからね。石を投げるつもりは今のところ全くございません。レース後に今回の更新を忘れて「秋山のボケぇ!」と呟かないようにしたいところですが、はたしてどうでしょう。それは神のみぞ知るところ、イエスのみが知るところ、そんなところか。

司会者のミス(弥生賞予想)

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第89回アカデミー賞が発表された。
『アーティスト』が作品賞を受賞して以降、賞のセレクトが若干渋めに寄って、日本で公開されても売れない作品が多いなか、そのポップなルックから業界に携わる方々が動向を大変気にしていた目玉の作品が『ラ・ラ・ランド』。
いったいいくつの賞を獲得するか期待されるなか、最多6部門で受賞を果たした。
そして問題は最も注目を集める大トリ、作品賞の発表。
そこで一悶着があった。
既に多くのワイドショーで報道されているとおり、司会者が受賞作を読み間違えるという大失態を犯したのだ。
(既に多くの方がご存知のことではあるものの将来見返した時、あーそんなこともあったなーと懐かしめるように一連の流れを記しておくと……)
プレゼンターのフェイ・ダナウェイが作品賞として、はじめに読み上げたのは『ラ・ラ・ランド』だった。ところが、同作のプロデューサーが受賞スピーチをしている最中に、なんと主催者側から「読み間違えだった」という訂正が入ったのだ。
結局、本当の作品賞は対抗馬として評価の高かった『ムーンライト』。この大どんでん返しで『ラ・ラ・ランド』関係者は天国から地獄という展開だったろうが、受賞スピーチをしていたプロデューサーは
「僕たちからムーンライトの皆さんに渡したい」
と大人の対応で舞台を引き継いだ。


「ヤクルトです!真中監督が引きました。神宮の星は神宮のプロ野球チームへ!」
こう高らかに叫ばれたのは2015年のプロ野球ドラフト会議で、真中監督が拳を天高く突き上げ、注目を集めていた高山の獲得を決めたかに思われた、その瞬間。
しかし本当に交渉権を獲得していたのは阪神だった。真中監督がハズレくじを当たりくじと勘違いしていたというわけだ。
オヤジジャーナルはこぞって、今回のアカデミー賞の一件を、この真中監督事件とダブらせて報道。面白おかしく囃し立てていた。
しかし、今回の件はどちらかというと、一昨年のミス・ユニヴァースに近い印象を受ける。


トランスジェンダーモデルの活躍もさることながら、女性服のショーに男性モデルが紛れ込んでいたり、男性服のショーで女性モデルがさりげなく歩いていたり。そうした演出が際立っていた2015年のモード界。
そうしたジェンダーレスの機運が高まっていた中、前時代的な女性観とは全く違った、強く気高く美しい女性が現れた。
それがミス・コロンビアのアリアドナ・グティエレスだ。
一連の流れはこう。
12月20日にラスベガスで行われたミス・ユニヴァース優勝者発表の瞬間。司会者は優勝者をコロンビア代表のアリアドナと発表した。
栄誉ある「MISS UNIVERSE」のタスキをかけられ、戴冠するミス・コロンビア。満面の笑顔で観客に手を振り、投げキッスをして、全身で喜びを、そして誇りを表現していた。
しかし、それから1分も経たぬ間に司会者が申し訳なさそうな顔をして出てくるのだ。
「謝らなくてはなりません。第2位がコロンビア代表です。ミス・ユニヴァース2015は、フィリピン代表です」。
これは前代未聞。なにが起きたかわからないのは、ミス・コロンビアもミス・フィリピンも同じ。隣にいたミス・アメリカに促されるようにして、フィリピン代表のピア・アロンソ・ウォルツバックが壇上へと出てくる。
天国ら地獄へ突き落とされた直後にもかかわらず、必死に平静を装うアリアドナの頭から、無慈悲にも王冠は外され、そのままピアの頭上に輝いたのだ。
勿論この一部始終はテレビで世界に中継されていた。
アリアドナの心中は計り知れない。本来ならば味わう必要のなかった羞恥や当惑、これ以上はないと思われる感情の急降下を経験したことだろう。
ところが、アリアドナは涙をふきながら、笑顔を保って、こう言い切った。
「起きることにはすべて理由があると思う。そして私は満足しています。みなさんありがとうございます。私に投票してくださったすべての人にも感謝を表します。」


『ラ・ラ・ランド』とミス・コロンビアの間に共通するのは最悪の状況で、気丈かつ誠意あふれる対応をとったこと。
何が言いたいかというと、唐突に訪れる窮地や危機的状況において、明らかになるのが本質であり、その本質こそが重要だということ。
『ラ・ラ・ランド』は結果的に注目を高めて興行を成功させ、ミス・コロンビアもその後キャリアを躍進させた。
どちらも公式な賞こそ逃したものの、その本質の表出によって、それぞれの賞の隠れた「勝者」になったという面もあるわけだ。


もうひとつ別の話を。
「本の味わい方を学ぶのはワインについて学んで目利きになるのと似ている。
それまで持っていた薄っぺらな知識や経験に疑問を抱く。すると本物の文学とか、オークの木の重厚さとか、深い味わい方を求め始めるんだ。単なるワクワク感じゃなくて、深い味わい方を。」
こう言ったのは、強盗の罪で刑務所に収監されていた男だった。なんとも俳句のような凝縮された文学的な口ぶりにはグッとくるほかないが、それも当たり前のことかもしれない。
受刑者たちは他の人よりも、ずっと本から多くのことを学びとっている。時間とエネルギーがあるぶん、本に集中できる。出所後の生活を鑑みて、学ぶ必要に迫られてもいるから、それも必然だというわけだ。
英語で書かれた最初期の書簡体小説は、1640年代にロンドンのフリート刑務所で、ジェームズ・ハウエルという受刑者が書いたものだった。
受刑者の文学性は歴史が証明している。


手数が多すぎる感はあるものの、窮地での対応や行動にこそ人間の本質が表れるし、そこで表出した本質によって、その後の飛躍が決定される面もある、そういうことが書きたかった。


皐月賞という舞台に立つうえで窮地に立たされている馬が弥生賞にも数頭いる。
テーオーフォルテ、サトノマックス、キャッスルクラウン、スマートエレメンツ。他にも確定していない馬はいるが、いわば当落線上のような状況で。本当に窮地に立たされたのは以上4頭だろう。
その中で本命に推すのはサトノマックス。
弥生賞の舞台で前走条件戦1着馬、しかもここに至るまで1戦しか経験していない馬を馬券の軸にするのは気が引けてしょうがない。
ただ、サトノマックスは堀厩舎の中で「遅れてきた大物」と評されたこともある馬。
前走もレッドアーサーが遊んでいた分を差し引いてもラスト200mからの加速はさすがで、ゴール板を駆け抜けてからも勢いはなかなか衰えず。
タイムこそ平凡だが、まああのスローペースじゃね。ディープ産駒の初重賞鮮度にも期待しております。
古馬戦こそ絶好調の堀厩舎だが、3歳クラシック戦線では窮地に立たされたも同然の状態。
馬としてもここで権利を取らなければ絶望的、同じく窮地に立たされた状態。
うえに例をあげたとおり、窮地での対応や行動にこそ人間の本質が表れる。そこで表出した本質によって、その後の飛躍が決定される面もある、そういうことですな、うん。

退路を断つこと(中山記念予想)

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締め切りにならないとやる気が起こらないという人がいる。


自分自身がまさしくそういうタイプの人間で 、ついぞ追い込まれた状態になって、後悔するといったことは海を泳ぐ鰯のごとく多数。
うるさく催促されて、もう逃げ場がない。そうなって、ようやく力が湧いてくるのだ。
自然に流れている時には力を出さない流水が、ダムでせき止められ、一度に放水されると電力を生み出すのに似ていなくもない。
とまあ、こんなレトリックまみれの文章から始めたのには訳がありまして。
このブログをいつも確認してくれる、好事家(変わった嗜好)の方にはバレているかと思うんですが、この文章を書いているのは中山記念終了後のことでして。というか、もう1日が経っている日のことでして。
仕事してたり、時間がとれなかったり、気が向かなかったり、まあそういうこともありますよね。
とはいえ、毎週毎週飽きずに更新しているので、穴を開けるのもなんだかなあ、と。
そんなわけで、今回の更新はレース終了後に書く予想ブログ。
たまにはそんな更新があってもいいじゃないですか、うん。
なかなか馬券には貢献できておりませんし、レース後の更新でもいいじゃないですか、というと、ちょっと自虐的すぎるか。
しかし、どうやって書いていこう。まあ、いつも通りのテンションで書いていくと思うんですけどね、ええ。
こんな言い訳はさておき、はじまりはじまり。



「背水の陣」という言葉がある。
「J1残留をかけた背水の陣」だとか、まあ苦境に立たされた、そんな瀬戸際の勝負所、みたいな使われ方が慣用化されてきているわけですが、元はといえば、昔の中国の戦において、戦力が圧倒的に劣っていた漢軍が考え出した作戦から来た言葉。
どんな話かというと……
20万の優秀な兵力を持つ敵方に対して、能力の劣るたった3万の兵力しか持たなかった漢軍の知将が、1万の兵を川を背にした形で陣取らせた。
(普通に考えればわかるとおり、動きの自由度が限りなく低い陣形をとったわけですな)
そのうえで、翌朝一度敵軍に攻撃を仕掛けるよう見せかけたうえで、太鼓や旗を捨て、自陣の川の方へ逃げた。
すると、もちろん敵軍は追撃のために川の方へ進軍。
漢軍の背中側には川しかない。言わば、溺れるか戦うかの選択肢しかない。能力の劣る兵士たちは死に物狂いで戦った。
その結果、相手の城を討ち取ることに成功した、と。
だいぶ割愛してはいますが、大筋こんな話。
つまり、一歩も引けないような絶体絶命の状況の中で、勝機を見出すために思慮を張り巡らせた作戦のことを指す、というわけ。
まあ、「本来の意味は〜〜」と講釈を垂れるような不粋なことは書きたくないし、そもそも講釈なんて垂れられませんし、この言葉の由来もググりながら、書いたわけですし。
じゃあなんで、背水の陣なんて言葉を持ち出したかというと、今回本命に推す馬に関連するからに他ならないんですよね、ええ。
でも、まだもう少しつらつらと。


そんな背水の陣。
この言葉、何かと目にする機会が多い気がしませんか。
試しにGoogleで“背水の陣”でニュース検索をしてみると、『フジ背水の陣…嵐・相葉雅紀「月9ドラマ」の仰天制作費』だとか、『東芝、いよいよ背水の陣』などなど、直近のニュースだけでも、多種多様な見出しで利用されまくり。
記者の人にとっても、使いやすくて読者の気をひくことができる便利な言葉なんでしょうね。
わかる。


そんな背水の陣。
これはギャンブル好きに愛される言葉でもある。
生活をかけた背水の陣の大勝負。
競馬ファンの多くはそんな勝負に出ている人を見ることも好きであることを経験から知っているし、また少なくない人は、財布の中身とSuicaの残高、あとは今月の給料日までの残り日数をはじきながら、ギリギリアウトの額まで張りこむ。その金を取っておけば数日は保つだろうに、普段張らない額をぶち込み「背水の陣…」とか考えたりしながら馬券を購入した経験がある人もいるだろう。
そんな極北がヒシミラクルおじさんといったところか。
背水の陣を成功させ続けた彼の姿に憧れる博打打ちは少なくない。だからこそ伝説になっているわけですしね。
わかる。


そんな背水の陣。
冒頭に書いた「締め切りにならないとやる気が起こらない」もそうかもしれない。背水の陣になってから、ようやく力を発揮するようになる、というかなんというか。
そうした視座で考えると、後悔を重ねながらも、反省することなく、締め切りの時を待つという仕事の進め方も、戦略的発想なのかもしれない。
わかる。いや、わかりたい。


そんな背水の陣。
「ここでの結果を見て繁殖にあげるかどうかを含めた今年のローテーションを決める。」
調教師にそう語られた俺の本命馬ヌーヴォレコルトにも、この言葉が当てはまるだろう。
ハープスター世代の牝馬として、オークスを制し、一線級の活躍を続けてきたヌーヴォレコルト
繁殖入りはまだ早い。
国内国外問わず、強い相手に果敢にメンチを切り続けてきたSC系のスケバンみたいな馬が背水の陣に臨む。前にいく馬が多く、ある程度流れてくれる分短縮差しのショックもいいし、前走でストレスも抜けているはず。ポテンシャルはこれまでに十分に示しているわけで。あとは状態面だけ。
ヌーヴォレコルトにとっても厩舎にとっても背水の陣。
自分にとっては購入する馬券で回収率100%超えをキープするという意味でのひとつの背水の陣。


……


というわけで、結果はご存知の通り惨敗。
背水の陣は成功せず、水中に沈んでしまったというわけですね。
来週はきっと弥生賞に関する雑文を更新。予想も文章ももう少し気張りたい。
現在は水中に沈んでおりますが、浮き上がって、岩肌にツメを立てて、よじ登って、再度勝負。うん。