『最後の予想屋 吉冨隆安』(著:斎藤一九馬 / 発行元:ビジネス社)

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かつて『平凡パンチ』という雑誌があった。
三島由紀夫野坂昭如が筆を執り、立木義浩荒木経惟加納典明らがグラビア写真を撮影。根本敬黒鉄ヒロシ岡崎京子といった名うての漫画家が連載を持ち、イラストは横尾忠則といった御大や、当時は新進気鋭、今となっては“暮らし系の女帝”ともいえる大橋歩が描いていた。
いま考えると途轍もないビッグネームだらけだが、ここに挙げただけでも一握り。それに加えて、未だに当時の『パンチ』を振り返る記事や書籍を目にすることは少なくない。


そんな一時代を築いた雑誌『平凡パンチ』と、今回紹介する『最後の予想屋 吉冨隆安』に一体何の関係があるのか……
平凡パンチ』といえば、一時は毎号100万部を超す発行部数を誇り、『週刊プレイボーイ』に比肩するどころか、ライバル視されるほどの雑誌だった。しかしこの世は諸行無常。その地位に陰りが見える時はくる。
そこに至るまでの詳細は省くものの1988年、『平凡パンチ』は休刊が決定された。
これまで大御所相手に昼も夜もない、仕事中心の生活を送っていた編集部の人間たち。最終号にかける意気込みが多大なものだったろうことは想像に易い。
その最終号に登場したのが、本書の主人公、『ゲートイン』の屋号で南関公営競馬の予想屋として活躍する吉冨隆安氏だったのだ。
氏が登場したコーナーは『パンチが注目する明日のスターたち』。
約30年前の彼の姿を記事はこう伝える。


都市のどん底に咲いた見果てぬ夢。そして勝利。
南関東公営・大井競馬場。この場内に立ち並ぶ予想屋たちの中に、その人はいた。
ひときわ大きな声を張り上げる吉冨隆安さん。彼の周りには、とりわけ客が群がっている。
「諸君。しっかり目ん玉ひんむいて考えようじゃないか。中央競馬に騙されちゃいけない。アメリカじゃダートがメインなんだ。誇りを持とうじゃないか。ここが、おれたちのすべてなんだ。……さっ次のレースだけど」
大げさなアクションに驚きながら、いつの間にか彼のテンポに引き込まれてゆく。
「納得いくまで博ち尽くすしかないでしょ。おかげで女房も子供も失っちゃいましたけど」
台上での熱っぽい口調とは違い、実際の吉冨さんからは、物静かで理知的な印象を受ける。
(中略)
「欺瞞や搾取、権威主義。甘え。そんな、今の世の中でまかり通っていることが、ここでは何ひとつ通用しない。金をたくさん持ってる奴が勝つわけじゃない。資本の論理だって関係ない」
明日の生活費も定かではない男たちが、その金のすべてを彼の予想に賭ける。彼らの前にいる英雄もまた、見果てぬ夢を追う。後には退けない。


大井競馬場に足繁く通い、予想屋を利用される方にとっては「何を今さら」「はいはい、あのデカい声のおじさんのことね」といった内容かもしれないが、大井に行っても予想屋を利用しない。つまり、彼について、ほとんど知らない私のような人間でもこの紹介を読むだけで、なんとなく吉冨氏がどのような人間なのか、その外郭を掴むことができる素晴らしい文章に思う。
理知的でいて、達者な口上。どこか無頼な雰囲気も併せ持つ人なのだろう。
そんな男の足跡をたどり、その馬券・半生の本質に迫ったのが今回紹介する『最後の予想屋 吉冨隆安』だ。


先にも書いたとおり『平凡パンチ』の中で“明日のスター”として紹介されるほどの名実を得る吉冨氏だったが、予想屋として人気を集めるまで、そして人気を集めた後も彼の人生は苦悩に満ちていたことが一読してわかる。
そして苦悩が苦悩に終わっていないことも。体験を全て血肉化し、苦悩の果てに達観を迎えていることもわかる。
友人でもあり、編集者として政界関係者を中心にのべ300名以上のインタビューを行ってきた著者、斎藤一九馬氏が長年の取材(友人づきあい)の果てに本音を聞き出し、書き上げた文章、つまりは吉冨氏の体験・発言から、その達観ぶりがありありと立ち上る。


早速、内容をさらっていくと……
吉冨少年は、物心ついた頃には父に連れられて春樹競馬場や岸和田競輪場に出向いていた。高校は偏差値73の名門校。いやはや自頭が良かったのだろう。
しかし、父親の博打狂いのせいで、家に金はなく、卒業するやいなや、地元の測量会社に就職する。
そこで目にしたのは社会の秩序だった。仕事を覚え、1人でこなせるようになるにつれ、いわゆる“先生”業に媚びへつらう周りの人間を目の当たりにし、一念発起。
大阪市立大学の法学部に入学し、アルバイトとして法律事務所の職員となる。
ただ、その法律事務所は暴力団の事件が多かった。普段接するぶんにはお客様、つまり、暴力団員も物腰柔らかいのだが、取り立ての電話をかけたかと思うと、その態度は一変。相手を威嚇する声の凄みにビビったという。
自分の仕事は、法律を盾に大義を語るが、実際やっていることはといえば、暴力団の後押し。法律の世界が建前の世界であり、悪い奴らの隠れ蓑であると悟ったのだ。
そうして間も無く法律事務所を辞めた吉冨氏は水洗工事の専門業者に、またまたアルバイトとして入社する。時代は大阪万博前。トイレの水洗化が国・自治体をあげての急務だった時代だ。
一般の民家にも水洗化を奨励し、無利子猶予まで実施していた。
それだけトイレ水洗化まわりの市場は広い。そこで、氏はこう考えた。「独立しても十分な稼ぎが期待できる」と。
思い立ったらすぐ行動。アルバイトの身分で取引先の業者の社長に直談判に行き、その業務計画に太鼓判を押される。間も無く、友人とともに会社を立ち上げ。
この時、昭和43年。氏が21歳の頃だというのだから、その行動力には感服するしかない。
しかも、あれよあれよと大儲け。
多忙になり、大学を中退するほどの金を手にするというのだから、実に頭の回る人だったんだろう。
しかし、そうした生活にも飽きはくる。金は入れど仕事がつまらないと思うようになるのだ。
ここからが本書の肝。吉冨氏と競馬との関わり合いが始まる。
日常の退屈さを前にして競馬の二文字が思い浮かんだ。父親譲りのギャンブラーの血が沸き立ち始めたというわけだ。


持ち前の行動力は馬券購入にも活きる。
23歳の頃には、1レースに数十万単位をぶち込み続けていた。
居心地の悪い社会、そして精神的な父親殺し。狂ったように馬券を買い続けた。
そうするうちに、彼の七転八起人生が始まる。
23歳の若さで、自分で稼いだお金とはいえ、自暴自棄に馬券を買い続ける人間の破滅。それは火を見るよりも明らかだった。
26歳の頃には会社の金にまで手をつけるようになり、京都金杯で200万円を溶かした。
頭が真っ白になり、ハズレ馬券を握ったままの右手が小刻みに震えて止まらない。膝を折り、ゴール前の芝生に崩れ落ち、極寒の中、しばらく横になったという。
あらゆる金策に頼るも、手にしたお金は競馬に使ってしまう。すぐに後がなくなり、会社に戻るわけにはいかない状況にまで追い込まれるのだった。
そこからの詳細は割愛するが、結婚していた奥さんを置いて、大阪から東京に向かった。そして二度目の起業、ぼったくりバーの店員、進学塾の経営……と、一筋縄ではいかない食い扶持を転々とするようになる。

 

その間、悩まされ続けたのが禁断症状だった。
「おい、なんか忘れていやしないか、そうだよ、競馬だよ、競馬」
悪魔が囁き、しきりに吉冨氏をそそのかす。進学塾の経営が軌道に乗って、生活ができている今、競馬に手を出してはいけない。生活に支障ない範囲で、ほとよく遊ぶという自制が効かないからだ。
寝床にもぐっても、夜中に目を覚ます。汗をびっしょりかき、時として、手が震える。そのまま、朝までまんじりともしないこともめずらしくない。


そうして、吉冨氏は考えた。
どうしたら、心の平穏を取り戻せるのか。悪魔との綱引きに終止符を打てるのか、と。
その結論が“死ぬ”か、“競馬に復帰するか”だったのだ。
いまも吉冨氏が生きている事実から、答えは明らかだが、彼は“競馬に復帰する”という選択肢を選んだ。
この、毒をもって毒を制すスタイルを選択した理由としては、あるひとつのひらめきも大きかった。
それは、馬券を「科学的研究の対象」にするのことである。
もともと、高卒社会人から、ほぼ勉強することもなく法学部に入学できるほどの自頭があり、塾でも数学の教師として人気を博していた。
これだ。
得手とする数学の能力でレースを数値的に分析し、精度の高い勝ち馬予想につなげればいいのだ。
(こうして編み出された予想法が既刊の『確固たる軸馬が決まる「実走着差理論」』というわけですね)


そうこうして、自身の予想を研鑽させていくうちに、吉冨氏の心にある変化がおきる。
「正直、これなら俺にもできるかもしれない。おれがあそこに立てば、もっと当てられる」
言わずもがな、場立ちの予想屋のことである。
思い立つやいなや、主催者の事務所を訪ね、予想屋組合を通じて、無事助手入りを果たす。
ここでも持ち前の行動力を如何なく発揮し、予想屋という職業にたどり着いたのだ。
そして、自頭の良さとここで顕す。単に助手入りといっても、吉冨氏は一手先を考えていたのだ。
予想屋組合に許可を得て、回覧板を通じて、助手採用者を希望すると、4人の予想屋が手を挙げた。
氏は、その中で最も辺鄙な場所で、なおかつ高齢のおじいさんが運営する予想屋を選んだのだ。
その時を振り返って言うには
「流行ってない台だった。すぐ予想をやらせてもらえると思ったんだ」
いやはや抜け目がない。そして、事は思惑通りに展開する。
繰り返し書いてしまったが、行動力もあるし、自頭もある。そうした人間は決まって、お上の人間からは厭われる。吉冨氏も例外ではなかった。
予想屋社会の掟を破り、助手の立場でいきなり予想を始めたことも、要因のひとつだ。予想組合の民主化を叫び、既得権を打ち破ろうとしたのも一因だった。
だからこそ、人気を集めていながらも、助手の立場から『ゲートイン』の開業にこぎつけるまで、 13年もの月日がかかったという。


開業から30年。
いまも大井競馬場で聞こえてくる彼の口上は勢い止まることを知らない。
南関東のジョッキーは騎手個人の勝負服で走っている。中央のジョッキーはどうだ。馬主の勝負服じゃないか。金満資本家が銀座あたりの女を連れてきて、へらへらと自分の勝負服を自慢している。こう言われれば、不本意かもしれないが、中央の騎手はそんな資本家の着せ替え人形じゃないか!
武豊はレジェンドだとみんなが言う。メジャーリーグイチローもレジェンドだ。そうかもしれない。たしかに偉大なアスリートだが、はたしね彼らだけか?
いるんだよ、ここに!もっと凄い、真のレジェンドは、ここ大井競馬場にいる。
それが的場文男だ。ほぼ50年、南関のトップジョッキーとして戦ってきた。50年だぜ、ここまでの生涯勝ち鞍は6950勝! イチローだってたかだか20年、武豊もやっと30年だ。真のレジェンドは、文字通り人馬一体、的場文男その人だ!
諸君、銀座のパレードで米粒ほどのメダリストを見たってしょうがないだろう。隣りの平和島クアハウスに行ってみたまえ。彼はサウナが大好きなんだ。素っ裸の英雄、的場文男に会いたくないか!」
こんな口上が聞こえなくなる日も実はそう遠くないという事実が本書の価値を押し上げる。
現に予想屋になりたいという人も現れず、この先長くない未来に消えゆく予想屋という職業。


吉冨氏は最後にこう語った。
「俺のことを本にしたいと斎藤くんが言ってきたとき、本当は気が進まなかった。俺は自分の弱さゆえにあまりにも人を傷つけて生きてきた。本に書いてもらう資格なんてありはしない、でも、少し思い直した。こんな俺でも好きなことにすがりついてなんとか生きてこられた。恥をさらして、己の姿をありのままに見てもらう。それで、いま引きこもっている人や生きづらさを感じて悩む人たちへ、少しでも励ましにならないか。エールになればいいなと思ってさ。
時代に吠えるバカな若者、勇気のあるアホはいないのかなぁ」
とまあ、近い将来伝説になる男の半生が綴られた一冊でしたよ、と。

 

最後に著者の言葉を引用して……


大井に予想屋あり。
公営競馬に場立ちの予想屋あり。
年食った親父がほとんどで申し訳ないが、彼らこそ競馬場の華なのである。

 

*『ゲートイン』吉冨隆安氏が亀谷敬正と対談したnetkeibaの記事のリンクを張って〆

【特別編】亀谷敬正×南関予想士「競馬予想ってナンだ!?」対談〜ゲート・イン編 - netkeiba.com
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『最後の予想屋 吉冨隆安』(著:斎藤一九馬 / 発行元:ビジネス社)
購入価格:1,700(+税)円
購入場所:オークスブックセンター 東京ドームシティ店

新聞の見出しを考える(フェブラリーステークス予想)

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自分の携わった本がなかなか売れない。
出版不況が叫ばれて早数年。仕方ないことなのかもしれない。とはいえ、新たに企画をひねり出す必要はあるわけで。多くの編集者は企画づくりに日々苦心する。
そんな時代にもかかわらず有象無象の出版社は毎年毎年信じられないほどの数の本を出版しているんですよね。
その数なんと年間約80,000冊。
いやはやiPhoneひとつあれば、日常生活の悲喜こもごも、さまざまな情報を得られる時代において、そんなに大量の書籍をいったい誰が購入しているんだろう(いやまあ取次を含めた出版ビジネスの歪なスタイルについてはひとまずおいておくとして)。
自分の携わった書籍の売り上げを確認しながら、投げやりに、そんな風に思う。
とはいえ諦念してしまっては元も子もない。そのまま自然と指は売り上げランキングのページをクリック。
するとあれよあれよ。
「ダイエット」とか「健康」とか「成功してる人の○○」とか。あとはアイドルの写真集とか。いやまあそうした大きなテーマが出てくるわけですよ。
ただ自分の動かせる規模では大きなテーマではなかなか売れるものがつくれない。広告とかそうした書籍内容以外が重要だったりしますしね。
ということでもうすこし。枝葉末節まで目を張り巡らせていくと、実現可能そうなテーマが出てくる。「レシピ」「登山」「映画」……こうしたテーマに変わってくる。
例えば「レシピ」でいうと『忙しい女子のためのつくおきレシピ』なる本はバカ売れした。
これくらいの規模感のテーマなら自分でも手に負えなくはない。とかく、昔からある程度の需要が見込めて、そのうえで、時代時代によって換骨奪胎されたテーマ、というのが売れる本の第一条件といえるかもしれない。


このままつらつらと書き連ねていくと、そうしたテーマのひとつに「新聞」もあるなー、と気づいたという話。
『思考の整理学』が大ベストセラーとなった外山滋比古さんの『新聞大学』や、池上彰の『新聞の活用術』など。そうした定番的な切り口の一冊もうえに挙げた条件に当て嵌まる。出版予定中の『芸人式 新聞の読み方』なる一冊もそうだ。この最後者の企画は特に面白そうだったので簡単に紹介文をコピペ。
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・朝刊紙社説は、「大御所の師匠」からの言葉として読む。
・スポーツ紙と芸能事務所の深い関係から見える「SMAP解散の真実」。
・森喜郎氏の記事を読むことは日本の政治家を考えることだ。
・「日刊ゲンダイ」の終わらない学生運動魂。
・「東京スポーツ」から「週刊文春」へ。最強のスクープバケツリレー。
結局、新聞にこそ、世の中の仕組みが詰まっているのです!
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どうですか?面白そうじゃないですか?
これなら俺たちのスポーツ紙もより味わい深くなるというかなんというか。
売れそうな本だなー。と思っていたところ、今週興味深いスポーツ紙見出しが登場していたので今回はそんな話を書いていけたらと思います。
(ここまでの長文がすべて前置き!もっとシンプルに物書きできるようになりたい!)


さてさて、今週最もワイドジャーナルを賑わせたのは「金正男が殺された」あの一件じゃないだろうか。
この時のスポーツ紙各紙の報道がなかなかに興味を惹かれるものだった。
手元に新聞がある人は是非とも確認していただきながら、ブログを読んでもらえればと思うのだが、殺害の報せが届いた直後は各紙とも驚くほど穏やかな報道調子だったのだ。
それは、確実に金正男本人なのかがわからないから、というのが理由としてあるのかもしれないし、印刷が間に合わなかったのかもしれない。
そうした理由は考えられるものの、とにかく穏やかな報道だったことは紛れも無い事実。
その翌日。どうやら犯行現場のビデオカメラから、実行犯が若い女性だったことがわかった途端、報道規模が一気に大きくなる。
やれ「毒霧」だの、やれ「ミニスカ」だの、「美人暗殺者」だの。なんともオヤジ好みしそうな言葉を大見出しにして、連ねて並び立てる。報知もスポニチもその他各紙も色めき立って騒ぎ始めた。


これがなんというか。可愛らしいな。と。
我々競馬ファンは、馬柱の頁だけを引き抜きがち(そして『男セン』をチラッと見がち)だけど、こうしてうがった見方で考えてみるとスポーツ紙という媒体がなんとも愛おしいものに思えてくる。
職場に必ずひとりくらいはいそうなオヤジがスポーツ紙だとすると……
女性社員に理解があるつもりでいるが、女性を信頼していないことが言葉の端々に、ついうっかり出てしまう。
そのくせスポーツニュースにはかなり気を配る。人間関係に細かい配慮をみせて、組織のなかでの生き方に強い関心をもっているようだ。
そのぶん人知れずストレスをため込んでいるのか、ちょっとテンションが上がると暑苦しい人生訓を語りはじめる癖がある。
さらにテンションが上がると、彼自身の考える「日本人らしさ」や日本人の国民性みたいなものを語りはじめる。
こういう親父の無垢で陽気。それでいて遠慮が隠せない。そんな性格が今回の金正男に関する報道からあけすけになったなー、と。うん。


他にも多くのワイドジャーナルが登場した今週末に開催されるのは2017年初のG1レース、フェブラリーステークス
自分はアスカノロマンを本命に推したい。
1600mへの短縮ショックを生かして、差しに回る位置取りショックに期待。そのためには枠順がなんとも不自由な感じではあるが、ジョッキー・調教師のコメントからも揉まれない競馬を目指すことはハッキリとしていて。それでいて、単勝オッズが25.6倍なら本命に推して十分に期待値があるだろう。
思えばここ最近はチャゲ&飛鳥ASKAの名前に重ねられて面白おかしくスポーツ紙に報道されてきたアスカノロマン
そんなASKAが逮捕後の新曲『FUKUOKA』を故郷の福岡でテレビ初披露したのもたしか今週の話。ASKAが捲土重来を図ったようにアスカノロマンも手の届いてこなかったG1タイトルの奪取に挑む。
ここを勝って、明日のスポーツ紙がどういう報道をとるのか。
どんな見出しで騒ぎ立てるのか。
そんなことを楽しみにするのも一興かもしれない。

流石にふざけすぎ……(京都記念予想)

 話題のドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』。「ガッキー可愛いな」「石田ゆり子さんもいいぞ」…などと、まったく世間と同じ反応で見たのだが、ドラマのあちこちに効果的に使われるアコーディオンのBGMやSE(効果音)を聞いて、ぼくは、
「ん?」
 と思った。
「む、む、む? この雰囲気。なんか以前に感じたことがあるぞ……」
 と。それは何か?

 いわゆる「劇伴」。ドラマの伴奏音楽だ。ここにどんな音楽を使うかで、ドラマの世界観が変わってくる。『逃げ恥』の場合、ところどころにアコーディオンが使われている。アコーディオンの音色が持つ、人間くさく、ヨーロッパ的でレトロ、おしゃれだがややコミカルで、どこか作りごとめいた響き。それが、この物語世界に合っている。うまいチョイスだ。
 そこで、スタッフ・クレジットを見た。
 このドラマは、エンディングの星野源さんの曲と恋ダンスばかりが注目されているが、オープニング曲は「チャラン・ポ・ランタン」とあった。
「あ、それか!」
 とぼくは思い出した。

「藤井さん、連続ラジオドラマをやりたいんです」
 と声をかけられたのは、2010年の6月。ニッポン放送のM編成局長からだ。
 ぼくは喜んだ。今どき、お金がかかるラジオドラマを、しかも連続物でやろうなんて企画は、普通は出てこない。それだけでも嬉しくて、驚いたのだが、
「時代劇をやりたいんです」
 と言われて、ぼくはさらに驚いた。ちょうどこの年、NHKの大河ドラマは『龍馬伝』で盛り上がっていたからだろう。節操がないとも言えるが、流行りモノに乗るというのも大事なのだ。ところがさらに、
「可愛い女の子が出てくるのがいい」
 とも言うのだ。前々年の大河ドラマが『篤姫』で、これもヒットしていたからか? 

 そこでぼくは『幕末三姉妹』というアイデアを出した。可愛い女の子はドーンと三人出そうじゃないか! 時代劇一番人気の幕末でいこうじゃないか!…と。
 どういうドラマかというと…黒船来航以来、開国か攘夷か佐幕か尊王かで日本中が大騒ぎ。たいては水戸や薩摩、長州、土佐、会津…なんて各藩が登場する。しかし、そんなに個性がハッキリしている藩なんて少数なのだ。
 三百弱ある藩の多くは、「ウチはどっちに付きゃいいんだ?」とオロオロうろうろ。とくに小藩なんて、定見もなく、とりあえず勝ちそうな方に乗っかろうと考える。そこらへん、いつの時代も同じだ。
 そこで、その名も「日和見藩」という小藩があって、そこのお姫様三姉妹が主役。そこになぜか龍馬や西郷ドンや勝海舟なども絡む形で、コミカルに幕末から明治維新までを描くドラマだ。

 ところで、実はラジオドラマでの時代劇というのは地味なのだ。現代ものやSFと違って、時代劇はSE(効果音)が少ない。
 なので、時代劇の中に突然、現代がドキュメンタリー的に混ざる形にした。つまり、現代ならば、黒船が来た時は当然ワイドショーが取り上げるだろうし、桜田門外の変の時は現場からリポーターが報告するだろう(ニッポン放送桜田門はとても近いし)…そういうことを、実際の局アナウンサーや報道部員にパロディ風にやってもらう、というアイデア。これでガチャガチャして、派手になる。

 三姉妹役は志保、相葉香凛岡崎歩美という可愛い三人を選んだ。そしてこの時、劇伴に選んだのが、まだまったく無名だったチャラン・ポ・ランタンアコーディオンだったのだ。


……
だそうでーす。
ここまで全てネットにあがってた文章をコピペ。全く読んでないけど1番にヒットしたものをコピペ。
まあ、とかく、そういう話……

逃げるが…….って時点でヤマカツライデンを買いたい心境はお察しいただけるでしょう。
金になるまで諦めない。
こんらずるい更新は後にも先にも今回が最後。。。

身の丈を考える(東京新聞杯予想)

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一時期に比べると随分マシになったものの、いまだにエンゲル係数が高い。決して美食家というわけではなく、ただただ酒量が多いだけだが、これがなんとも由々しき問題で毎月末には、酒代・馬券代を捻出するためにそろばんを弾く事態になる。そんなことが多々あった。
「もう少し酒代を抑える努力をしろ。今時芸能人でもそんな無茶な酒の飲み方しない」
と言ったのは実家の母で、帰省の度に似たようなことを耳が痛くなるほど言われてきた。思い当たる節しかないし、いつも猛省する。たしかにこのまま酒であぶく銭を溶かし続ければ、とんだ放蕩息子になりかねない。もう少し酒量を抑えなきゃな、うん。


しかし、本物の芸能人はやっぱりスケールが違う。
1ヶ月に340万円もの大金をワインに費やす男がワイドショーに登場していた。
その男はジョニーデップ。ハリウッド大作映画に出演し続け、多くのフォロワーを生み、世界中に彼のことを知らない人はいないであろう、そんな男の1ヶ月の酒代はとてつもない額だった。
ワイドショーが伝えるには、ワインの他にも、服飾品やヨット、個人で開くイベントなどで、月々2億円を費やすという、なんとも庶民には解せない話。結論としては、浪費が破産危機を招き、マネジメント会社が彼を提訴することを検討している。という内容が伝えられた。
ずっと親のように、彼の資産管理を行っていたマネジメント会社は幾度となく、その浪費に注文をつけていたという。しかし、その注文に耳を傾けることなく、破産危機という事態を迎えたわけだから、彼もこれまたとんだ放蕩息子と言えるかもしれない。


金額こそ違えど、このニュースを見聞きして、耳が痛くなる人はきっと少なくない。
ホストにはまり、首が回らなくなり、芸能界をドロップアウトして、AVに出演した女もいた。
そして、このブログを読んでいるような競馬好きにとって最も身近に感じられるのは、博打に関する浪費だろう。
競馬の場合、一度にベットする金額が大きければ大きいほど、払い戻しの額も大きくなる。大きく儲けようとした時、最も簡単なのはガチガチの1番人気に持ちうる金額を全てつぎ込むことで、それだけに、身の丈に合わない金額をつぎ込み、持ち金がショートする人は少なくない。
「俺はお馬で人生アウト」という走り書きを残して、中山競馬場のトイレで自殺したおじさんもいた。Twitterでうん十万の金額で勝負していた人が突如更新しなくなった。そんなことは掃いて捨てるほどよくある話。
ジョニーデップの話は、一線を引いて、鼻で笑えるようなニュースじゃない。博打の魔力に取り憑かれている以上、紙一重の話なんじゃないだろうか。
まあ、兎にも角にも身の丈にあった賭け方をする必要が馬券好きな我々の至上命題だろう。


疲れからか、ストレスからか、やたらつらつらと無意味なことを書き進めてますが、放蕩、だとか、身の丈に合わない、だとか、そんな話から競馬の話にスムーズに移ろう。全然スムーズじゃないけど。仕事のトラブルでそれどころじゃないけど。


俺が東京新聞杯で本命に推すプロディガルサンも「身の丈に合わない」が続いて、それに苦しめ続けられてきた。
ディープで菊花賞ってねえ。セントライト記念でそこそこ好走したからって、そりゃあねえ。。
うん。今回こそが適正距離の下限。
1600〜2000がこの馬の適正距離だと思っている自分としては、東京新聞杯の出走確定は嬉しい報せだった。
他にもディープの古馬初重賞。ディープの休み明け。ポテンシャルは散々示してきている。それだけにオプションの揃ったここで買わずにはいられない。ずっと辛酸を舐めさせられ続けてきた憎き相手エアスピネルにもし勝てるとしたらここ。田辺の継続騎乗もこの馬にかける強い思いだと、良い方にとることにしよう。

 

思えば、この馬の名前の由来も「放蕩息子」だった。

放蕩息子もここでお終い。孝行息子になる時が来た。ジョニーデップもまともな価値観を持つ人間になれたらいいね。俺も親に安心してもらえる大人でありたい。
放蕩息子もここでお終い。自分と重ね合わせながらそんなことを思う。
東京新聞杯はプロディガルサンからの三連複で勝負。
(仕事のトラブルゆえに推敲皆無。これから、多分、怒られてくるのです)

知ってるつもりか!(根岸S予想)

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杉の宮駅が京王線の駅だとは知らなかった。
「そんな駅、京王線にないですけど?」
なんてツッコまれるかもしれませんが、最初に書こうと思っているのは、スタジオジブリ製作の映画『耳をすませば』の話。(まあ、いつものごとく、この後、二転三転しながら競馬予想につながる予定です…)


なんでこんな話から始めたかって、先週放送されてた金曜ロードショーで『耳をすませば』を10数年振りに見たからで。
耳をすませば』はスタジオジブリ作品の中でも好きな作品のひとつで、学生時代に何度も見ているし、あらすじは諳んじることができる。
それだけに「『耳をすませば』に関してどれくらい知ってるか ?」と聞かれたら、ってまあ、そんな機会はまずないものの、「そこそこ知ってると思うけどね。」と答えると思う。そう思っていた。だってそうだよ、子供の頃に何回も見てるわけだ。
でも、それは大きな勘違いだった。
歳を重ねて改めて見てみると、やけに細かいところに目がいく。主人公、月島雫が住んでいる団地の煩雑さ、室内に置いてある本のタイトル、貼ってあるポスター。最寄駅の杉の宮駅。
そんな駅、東京にないけどなあ、と思って調べてみると、聖蹟桜ヶ丘駅がモデルだそうで。加えて、劇中に出てくる向原駅は、これまた京王線百草園駅だそうで。好みで何度も見ている作品だけど、その作品の内実、ディテールについては全く知らなかったというわけ。結構有名な設定みたいですけどね、うん。
いつも最寄駅から東京競馬場に向かう際、京王線に乗って、当該駅を通り過ぎているにもかかわらず、全然知らなかった。府中で競馬が開催されていれば、毎週のように乗ってる電車なのにね。知らなかった。
名前や作風は知っていても、実は作品を読んだことのない司馬遼太郎だとか、モノマネでよく見聞きしているけど、作品はほとんど見たことのないジャッキーチェンだとか。
自分の中で人並みに知っているつもりでも、その実、詳しいこと、というか、細かいことは知らなかった。そんなこと、まあ、よくある話だ。


知ってるつもりでも、実は知らなかった。それが最悪なかたちで表れた記者会見を週始めに目にした。
「17歳とは知らなかったんで……」
お笑い芸人狩野英孝がファンの女の子に手を出した結果、見事にそれが世にバレてしまい、淫行疑惑が持ち上がり、脂汗タラタラにそう答えていた。
女性関係がらみの会見なだけに意図的になのか、囲み取材に参加している記者は99%が女性で、なんとも報道の人たちはエゲツないなー。なんて思いながらも、もしかしたら本当に彼は彼女の年齢を知らなかっただけかもしれないな。
そんなことを考えていた。
限りなく黒に近いグレーなだけに、世のワイド精神旺盛な人たちが騒ぎ立ててたけど、交際の詳細については知る由もないし、とりたてて、知りたくもない。
何が書きたかったって、自分の中ではよく知っているつもりでも、その実、詳しいこと、というか、細かいことは知らなかった。まあ、よくある話だ。そういうこと。


こんな話から唐突ではあるものの競馬の話へ。
今週末開催される重賞はふたつ。ここでは根岸Sについて。自分が推す馬はモンドクラッセ。

デビューは芝。調教でも好時計を連発。血統背景もよく、新馬戦では1番人気に支持されるも追走でいっぱいいっぱい。その後も芝のレースを使っては鬼脚を見せながらも勝ちきることはできず。結局ダート替短縮で脚質転換。それからはダート一線級の馬に一気に駆け上がった。
そんなモンドクラッセは今回初めての短距離戦への短縮臨戦。

現在単勝12番人気と、多くのファンが当馬の距離適性を不安視していることが手に取るように伝わってくるが、これまでもラップの厳しいレースは経験してきたので逃げての粘りこみにも期待できるし、アグネスデジタル産駒の当馬は明らかなS系なので、位置取りを差しに転換しても面白い。芝でも追い込んで味のある競馬はしてるしね、うん。
若干タイプは違うものの、帝王賞で先行して、短縮臨戦で臨んだ根岸Sで位置取りを差しに転換した結果3着に食い込んできた。イメージはそんなテスタマッタにも被るところがある。
ってなわけで、今日はモンドクラッセに財布の中身全部。

 

モンドクラッセを知る多くのファンが
「まさか差して味のある競馬ができるなんて知らなかった」
「短距離でもパフォーマンス発揮できるなんて知らなかった」
なんて、馬券圏内に驚くことになるかもしれない。
知ってるつもりでも、実は知らなかった。そんならことってよくありますしね。
根拠は薄いですが、なんですかね……
理由は……「野生の勘」といったところでしょうか。
そんなオチで。