背伸び(ジャパンカップ)

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中央競馬のG1レースが開催されるような競馬場にいると、自分が無理に「背伸び」をしているような気がする時があるし、歴史あるG1レースであれば、そんな気持ちは尚更強くなる。

そこには、この国を代表するサラブレッドたちが登場し、その国の競馬史を目の前で刻んでいく。こちらも持ちうる限りの知識と勝負勘を動員させるものの、スタンドであたふた馬柱と格闘するのが精一杯。
そうして過ごす慌ただしい競馬場が苦手な俺はジャパンカップの戦況をアルタビジョンで見守ることに決めた。


日本ダービージャパンカップ有馬記念
これらのレースに共通して言えることは“ふだん宝くじを買わない人が年末ジャンボだけは買うかのごとく、ふだん競馬をやらない人が楽しんで馬券を買う”そんなイベントレースであるということ。そして、レースの映像を新宿WINSで見られないということも共通点のひとつだ。

混雑回避のために新宿WINS館内では、レースを中継せず、その模様はアルタビジョンで放映される。そのため、アルタ前には15時頃からぞろぞろと大勢の人が集まってきて、ちょっとしたデモでもやってるんじゃないかと思うような騒ぎとなる。

男性の平均身長に達していない俺なんかは、遥か上方にあるモニターも「背伸び」しながらでないと、目視できないほどの人の数。ヤキモキしたりする場面も多いが、そうしたお祭り感が楽しかったりもする。

 

「背伸び」というと、巷のビジネス書なんかで

“成長するというのは、背伸びをすることだと思っています。だから、安心して背伸びができる環境こそが組織には重要なのです”

などと、ビジネスマンの成長に不可欠なものとして、どこぞの経営者に語られることも多い。そんな時合わせて書かれているのが大抵こんな言葉だ。
“「すでにできていること」ではなくて「まだできないこと」に挑戦してこそ成長があります。”

ビジネス書に書いてある内容なんて、なんら参考にならないし、書店にのさばるビジネス書の大群なんかは唾棄すべき対象だとすら感じている俺みたいな人間でも、こうした意見には結構賛成。

「背伸び」する、そんな向上心があるからこそ、横綱横綱らしくなるのだろうし、アイドルもセンターを目指そうとより可愛らしくなるし、受験生もより難易度の高い学校に入学できる。なんなら成長期に「背伸び」をすると身長すら高くするらしい。物理的にも「背伸び」は有効なんだそうだ。身の丈にあった「背伸び」ってすごいもんですね、奥さん。


さて、2016年のジャパンカップで俺が本命に据える馬も実に「背伸び」している馬だ。その馬はハービンジャー産駒のトーセンバジル。ジャパンカップに参戦するこの馬の前走は1600万下の条件戦だ。
「えー!これまでオープンすら走ったことのない馬じゃないすか!そんな臨戦でジャパンカップで馬券になった馬なんて一頭もいませんよ!」なんて、まあおっしゃるとおりですよ、はい。でも、俺の本命馬はトーセンバジルなんですよ。しょうがない。
トーセンバジルの魅力は何よりもそのスケールの大きさ。ハービンジャー産駒、そして母父はフジキセキという血統構成で、Mの法則に従えば、本来であればかなりL寄りの馬になることが想像される。L系の狙いどころは弱い相手に対して、量・体力を活かした強い競馬ができるタイミングなわけで、その証拠にハービンジャー産駒は基本的になかなか連勝することがない。新馬戦で強い勝ち方をしても、2走目で馬脚を現すことが多いのもそうしたところに理由があると捉えている。そんなハービンジャー産駒の中で、初の3連勝を記録しているのがこの馬だ。これはMの法則で捉えると結構な突然変異。内枠で摩擦のあるレースでも馬券になっていて、本当に突然変異みたい。
かつて、ダーウィン派の進化生物学者リチャードドーキンスは著書『ブラインド・ウォッチメイカー』の中で、生物の進化には途方も無い時間経過による自然淘汰、そしてその中で起きる突然変異こそが必要だと説いていた。
俺は長い目で見た生物の進化を今目の当たりにしているのではないだろうか。さすがに言い過ぎかもしれないが、ハービンジャー産駒のある1頭が日本で突然変異を果たした。トーセンバジルが日本におけるハービンジャー産駒のイメージを塗り替える。そのために大きな「背伸び」をして登場するのがジャパンカップの舞台なのだ。そうなのだ。


自分に言い聞かせるようにここまで書いてきた。今年の俺の馬券の命運はトーセンバジルに委ねた。大外からズドンと馬券内に食い込む走りを見せてほしい。
俺も背伸びしながらモニターを見つめるから、背伸びした舞台で頑張ってくれよな、トーセンバジル。

自分が自分で情けなくなるよ

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まるで、床屋での会話かのように、政治の話から書き出すことが多い(気がする)本ブログ『放談リハビリテーション』ですが、書いている本人は政治について、ワイドショーレベルの知識しかないです。そんなところまで床屋の会話みたいですね。まあ、そんなもんですよ、駄文・雑文ご容赦ください。そんな文章を今日も読んでくださる諸氏には只々感謝。どうもありがとうございます。前置きはこのあたりにして本題へ。

 

最近のニュース報道は概ね3つの話題に分けられる。
ひとつはアメリカの新大統領になるドナルド・トランプに関する話題。もうひとつは大変なことになっている大統領朴槿恵に関する話題。そして最後は東京オリンピックを巡る小池百合子都知事に関する話題だ。
自分自身にとって、最も身近な東京オリンピックに関する話題を取り上げると、競技場をどこにするのか、それに伴う築地移転問題などなど、当初の予算の何倍ものお金がかかることが問題になっているのは周知の通り。しかしこの問題、1976年モントリオール、2004年アテネ開催の際にも同様の事態が起こっているのだ。つまり、今回東京オリンピックの予算問題における最も大きな失敗は“過去の失敗に目を向けず、同じ失敗を繰り返している”その1点に違いない。もっと余裕を持って安全安心な方法を考えていれば事はこんなに大きくなっていなかったはずだ。私たちはどうしてこうも過去の経験を活かさず、懲りもせずに、将来のことを楽観的に考えてしまうのだろうか。

 


……ここまで政治風なことを書いたのは全部前フリ。
“過去の失敗に目を向けず、同じ失敗を繰り返している”
俺こそがその体現者だ。
Twitterにも散々書いたのだが、半年前にもやってしまっているにも関わらず、的中馬券を無くしたんだよ!このヤロー!!馬連71.1倍の馬券を!!!いま手元に残ってるのは!!!!的中馬券を撮った写メだけだよ!!!!!
口では「いやー、これが10万馬券とかじゃなくてよかったっすよ、まじで。100万馬券とかだったらぶっ倒れてたでしょうね」なんて、余裕を見せつつ言ってみてるものの、内心めちゃくちゃ悔しいよ!数百円とか千円ちょっととか、そういう金額ならきっと何も思わなかった……7,110円って!!そこそこいい飲み屋で楽しめる金額だよ!!!半年前にも馬券無くしてるのに、どうしてこうも同じことを繰り返すのかね!!!!俺のバカバカバカ!!!!!
ふー。

 

それにしても、なんで人は同じ失敗を繰り返すんでしょうか。
小学生の頃から、夏休みの宿題を最後の数日で片付けて「来年こそはちゃんと計画的にやろう」と思うものの、数日後にはそんなことを忘れる頭の悪い子供だったし、大人になってからも締切直前もうどうにもならないタイミングからギアを上げて、なんとか間に合わせようとして失敗してきた人間にそんなことを自問してもしょうがないんですけどね。
このブログも目の前の〆切に追われている原稿を無視して書き出してしまったわけで……

競馬ファンの皆様方に馬券を紛失するという、そんな不幸が降りかかりませぬよう、俺を反面教師にしていただければ幸いです……

ちくしょー!!!
もう二度と馬券無くさないぞ!!!!!
(5日後にはそんな反省忘れて馬を眺めているんでしょうけど……)

逆転満塁ホームランのような(マイルCS)

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マンガや映画のワンシーンだと「ベタすぎるだろ」と一蹴されてしまうことが、たまに本当に起きることがある。
「9回ツーアウトからの逆転ホームラン」「無一文から大金持ち」「転校生が美人」とか。物語を駆動するための装置としては有能だけど、リアリティという面からは逸脱する。でも、そんなことすら起こるのが現実、というわけで。上に挙げた他にも「圧倒的有力馬が回避したG1レース」もそのひとつだ。

 

今週末のマイルCS。もし出走すれば、ほぼ間違いなく圧倒的な1番人気になったであろうモーリスの香港行きが確定した。それだけに、それなら俺が、とG1を奪取しようと小粒な馬がさまざまな路線から揃った印象。ドラマでしか見ることがないような「圧倒的有力馬が回避したG1レース」ことマイルCSの話に早々と移らせていただきます。

 

本命はガリバルディ
ミッキーアイルを含め、前に行きたい馬が多い中、これまで上がり最速を連発してきた馬が悲願を果たす。鮮度を持ったディープインパクトの恐ろしさは知っているうえで、キレを活かせる京都の舞台。前走でストレスが抜け切ってるであろうことが想像されるのもよし。外枠ながら内枠の馬も前に行く馬が多いので(これはMラジのタクヤさんとのやりとりからの受け売りだけど)、スタートから内に潜り込んで、せこせこ道中過ごし、京都T1600らしく4角でばらけた瞬間インをつく姿が目に浮かぶ。そんなこんなで、この馬に財布の中身全部。 

 

いわゆる競馬ブログにすまい、と無意味な意識で更新してたこのブログも今回こそはそんな感じで。家人の誕生日忘れてて、大変なことになってしまったんで、今回はそんな感じで。

忍耐強いのかタフなのか(エリザベス女王杯)

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ワイドショーを眺めていると、連日連夜アメリカ大統領選の話題で事欠きませんが、いかがお過ごしでしょうか。
ヒラリーになった方が良かっただの、トランプでいいんだだの、いろんな思惑をお持ちの有識者のコメントが、テレビでは矢継ぎ早に飛び交っていて、それはそれは賑やかでいいものだと思うのですが、一部の方が待望していた初の女性大統領、というわけにはいきませんでしたね。

 

今週は歴戦の牝馬が集うエリザベス女王杯について書こうと思っていただけに、ヒラリーが勝ってくれたほうがうまい導入ができたのにな、なんなら構成みたいなものを考えていただけに、ヒラリーが負けてしまうと、なかなか書き出しが決まらないな……なんてくだらないことを考えてる俺です。んー、そうだ、何年か前の『天声人語』に書いてあった話から始めてみる。

 

ミャンマーの実質的指導者アウンサンスーチー氏が数年前に来日し、京都大学で講演した際、学生から「なぜ、あなたはそんなにも忍耐力があるのか」と問われたそうです。そんな質問に対してアウンサンスーチーは「私は女性だから忍耐と言われるが、男性だったらタフだと言われるだろう。私はタフでもある」と語ったという。

 

ヒラリーも下手は打っちゃったけど、タフな女性だったように思う。体調もよくなかっただろうに、無理して選挙活動を敢行して。いやはやお疲れ様です。選挙戦こそ負けてしまったものの、2位ですからねえ。立派立派。忍耐強かったわけではなく、本当にタフな女性だった。
そして、俺がエリザベス女王杯で本命視するデンコウアンジュ、この馬も忍耐強いわけではなく、えらくタフな馬に違いない。

 

2016年に新馬としてデビューを予定していた馬が、およそ7,000頭。その中で3頭しかなし得ていない記録がある。何かというと、牝馬クラシック、その全てに出走することだ。
ウインファビラスレッドアヴァンセ、そしてデンコウアンジュ。3歳牝馬のクラシックを完走したのはこの3頭だけ。名前だけを見ると一線級でワンパンチ足りないメンバーのように思われるかもしれないが、無事是名馬という菊池寛による諺もあるように、怪我なく無事に走り続ける馬は素晴らしい。タフな馬は素晴らしい。
かの名手岡部幸雄も「3冠全てのレースに出走すること自体がすごいことなんです」とおっしゃっていた。間違いのない事実だ。

 

そして、デンコウアンジュのタフな点は競走それ自体にも表れている。この馬について語られる時「メジャーエンブレムを負かした」という言葉が冠のように乗っかることがよくあるように思うが、俺にとってこの馬の魅力はそこではなくて、非根幹距離での量を活かした競馬にこそある。
新馬戦こそ負けはしたものの、それを除くと5番人気1着、8番人気4着と常に着順を上げてくる走りを見せてきた。そここそがこの馬の真価。つまり、この馬をLC系と取るわけですが、そうなると今回の外目の枠も魅力になる。
ここに来て、煮え切らない近走の着順に穴党も業を煮やしたか、二桁人気まで人気が落ちているというのも馬券的には好材料。内枠に強い馬がいることは重々承知ではあるものの、ここらで3着内に食い込んでくれないか。


男勝りなタフさを持つデンコウアンジュの走りがここで実を結ぶこと、そして女々しく願望も忍耐強く馬券を買ってきた俺がそろそろ報われる時。ですよね、アウンサンスーチーさん?

『新・世界の名馬』(著:原田俊治 / 発行元:サラブレッド血統センター)

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競馬(けいば、英: horse racing)は、騎手の乗った馬により競われる競走競技、およびそれの着順を予想する賭博である。(中略)競馬は単なる賭博としてだけではなく、音楽や文学、絵画や彫刻などの創作活動の主題として取り上げられたり……

これはWikipediaの競馬ページを引用した文章で、内容に大きな誤りはない。ただ、なんともスッと胸に落ちてこない。

はい。「競馬は単なる賭博としてだけではなく…」この部分に反論を唱えたいのです。
早速、前がかりな書き出しとなってしまったが、何が言いたいかというと、馬事文化の中心は賭博にこそあるということ。賭博だから文化じゃないなんて、そんな直線的な思考は無いさ。


賭博は“単なる”ものなのではなく、馬事文化における肥沃な土地であり幹だ。『新・世界の名馬』は、当時の世界・競馬情勢まで鑑みた人間ドラマを通じた名馬の物語から、そんなことを教えてくれた。
こうした名馬列伝の類は巷に溢れかえっているし、まだその殆どに目を通せていないものの、この本が出色の出来栄えだということは一読して感じられる。
それはおそらく、著者の筆力によるところが大きい。競馬世界史、馬の遺伝や進化、行動学から競馬小説に至るまで、さまざまな馬書の翻訳を手がけてきたその筋のエキスパートである原田俊治氏。そんな氏が、名馬にまつわる物語をなるべく客観的に記そうと、国内外問わず目に触れる限りの出版物にあたり、同じ事項についてもできるだけ記事を比較対照して、誤りを少なくするよう心がけたという文章は、静謐ながらも熱さを帯びている。調べてもわからなかった内容については「納得できるような記事が見つからなかった」と付記されていることから、氏の物書きに対する真面目さも感じられる。また、版元がサラブレッド血統センターというのも、一般書を発行している版元に比べ、マスに寄せる必要性が低かったのだろう。しっかりと競馬ファンのみに読者ターゲットを絞り込めたことも、内容が際立った要因のひとつかもしれない。

 

前置きが長くなってしまいましたが、中で紹介されている“名馬”を列挙すると、Eclipse / Lexington / Gladiateur / Kincsem / The Tetrarch / Gainsborough / Brown Jack / Phar Lap / Citation / Star Kingdom / Native Dancer / Nashua / Round Table / Northan Dancer / Sea Bird / Vaguely Noble / Nijinsky / Mill Reef / Brigadier Gerard / Allez France / Secretariat / Ruffian / Alleged / Seattle Slew / Affirmed / John Henry / Shergar と、毎週末、血統表を一般レベルで眺めている自分にとっては馴染み深い馬もいれば、そうでない馬もいる。
ただ、現代日本競馬における主流血統として広く知られるノーザンダンサーは、自分を含めた多くの競馬ファンが知る馬。現代までその血について活発に語られることの多いノーザンダンサーはその馬生も魅力に溢れている。

 

ネアルコハイペリオンネイティヴダンサーといった、名馬の血が混合されている血統派が泣いて喜ぶようなこの馬は、実業家として知られるE.P.テイラーによって生産された。さすが実業家というか、E.P.テイラーは馬の売り方についても独特の方法を考え出していたそうだ。
その方法とは、売りに出す1頭1頭に定価をつけ、同じ馬に2人以上の購買希望者が現れた場合はくじ引きで決め、値引きは絶対にしないというもので、あまり長続きせず、次第に他の馬産家同様セリに出して生産馬を売るようになったという。
ただし、ノーザンダンサーが生まれた当時はまだ定価販売方式をとっていた。そこでつけられた定価は25,000ドル。豪華な血統を考えると、決して高額とはいえない金額で買い手が現れるのを待っていた。
しかし、買い手は結局1人も現れなかったそうだ。筋骨たくましく、気も強い。血統も申し分ない。しかし、身体が小さいのが致命的で、誰からも見向きされなかったノーザンダンサーは、E.P.テイラーの馬としてレースに出走するべく、販売を行っていた牧場からそのままトロントの調教施設に入ったという。その後の活躍は触れるまでもなく、三冠こそ逃したものの18戦して14勝。輝かしい戦績を引っさげて、種牡馬入りした。
これは余談でしかないけど、18億以上稼いだテイエムオペラオーもセリでの価格は1000万円ほどだったそうで、残り物にはなんとやら、というのは本当にあるもんですね。俺の身にも降りかかってきてほしい。余談終了。

 

種牡馬入りしたノーザンダンサー、その産駒について話を移す。1980年のセリで平均540,000ドルで取引されたという産駒たち。それにも関わらず、この世代はイギリスで平均10,000ドル、アメリカで平均30,000ドルしか稼げなかったそうだ。現在も血を残している当馬だから、もちろん走る馬が出なかったというわけではない。例えば、シャリーフダンサーは3,500,000ドルで落札された2年後、総額40,000,000ドルものシンジケートが組織されている。

と、これ以上書くとえらく長くなってしまうし、数字の桁数にクラクラしてきそうなので、このあたりで締めようと思うが、こうして、1頭の名馬について簡単に触れるだけでもお金の話は出てくる。
ちなみに、ノーザンダンサーの種付料、セリ売却平均価格は年を重ねるごとに右肩上がりだったことも本書で初めて知った。初年度は、種付料10,000ドル / セリ売却平均価格38,000ドルだったそれぞれの金額が、最盛期の1985年には、種付量950,000ドル / セリ売却平均価格1,500,000ドルほどの金額にまで成長したのだ。当初25,000ドルで販売されていた馬がこれほどまでの価値になるのだから「あの時買っておけば……」と悔しい思いをした馬主は少なくなかっただろう。しかし、10,200,000ドルで落札されたスナーフィダンサーは全く鳴かず飛ばずに終わったり、そういう事態が少なくないのは、よくある話。
「2万円当てた」だの「1万円すった」だのと、一喜一憂するわれわれ庶民にはおよびつかない。そんな、スケールの大きな賭博を、競馬の歴史を紡ぎ続ける馬主たちが今もなお行っている、そんな揺るぎない事実があるのだ。“単なる賭博”によって文化が醸成されてきた事実を無視して「競馬は単なる賭博としてだけではなく…」なんてのは無いさ。

賭博こそ馬事文化の肥沃な土地であり幹なのだ。


なお、本書のオリジンである『世界の名馬——セントサイモンからケルンまで——』はAmazonマーケットプレイスで21,000円とべらぼーに高騰していて、庶民にはなかなか手が出ない。古書店で安く見かけた方はご一報いただけると嬉しいです!

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『新・世界の名馬』(著:原田俊治 / 発行元:サラブレッド血統センター)
購入価格:660円
購入場所:ブックオフ高田馬場