言霊を説いた教師(皐月賞予想)

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言葉には言霊が宿るんよ。自分の言葉は言霊になって戻ってくるけん、あんまりそういうこと言うちゃいけんよ。もっといい言霊を吐きんさい。
小学2年生の頃、同級生をからかっていると、担任の花本先生にそう咎められた。
体調が悪くて頭が痛いと言うと、両手を広げて頭にかざしてくる、ちょっと変わったところのある花本先生。
子供ながらに「クセの強い人だな」とぼんやり感じ取ってはいたが、新興宗教・真○に傾倒していたことを知るのはそれから数年後。当時の素直な少年は訝しむことなく「言霊ねえ…」とぼんやり教えを受けていた。


そんな先生のことを思い出したのは、浅田真央の引退会見を見ている時だった。
世界選手権を3度、グランプリファイナルを4度優勝。トップアスリートとして輝かしい成績を残しながらも、五輪では勝利を手にすることはできず、どこか求道者のような雰囲気もまとうようになっていた浅田真央
苦節の多い選手生命になることは五輪の年齢制限に3ヶ月足りず出場がかなわなかったことから予見されていたのかもしれない。
ソチ五輪ショートプログラムを失敗。バンクーバー五輪ではキムヨナに優勝を退けられ、最愛の母との別れもあった。
順風満帆とは言えない道を耐え抜き歩み続けた国民の娘がついに引退を決意したのだ。
「この道を選んだのも自分ですし自分で望んだ道なので辛いと思ったことはありません。全て出し切ったので悔いはありません。」
メモを見ることなく、ゆっくり、はっきりと口にした言葉には、花本先生のいうところの言霊がこもっていたように感じたのだ。
フィギュアスケートという競技自体に特別関心がない自分でもグッときた。形式だけの薄っぺらさが欠片もないアツい会見だった。
他にも、引退を「人生の中の1つの通過点」ととらえ、「フィギュアスケートでやり残したことは何もない」「この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたい」と、自身の未来について前向きな予感を感じさせる言葉の数々も良い。
ありがちな言葉ではあるものの、苦節を乗り越え続けてきた彼女の言霊がこもっているだけに人の心を打つ言葉になっていたのだろう。
ソチ五輪で6位に終わった時に選手生活を終えていたら、今も選手として復帰することを望んでいたかもしれません」と綴った引退のタイミングしかり、時間をかけて自問自答を繰り返し、納得して、丁寧に吐き出した言葉は(繰り返し書くが)言霊のオンパレードだった。いやはや超立派。聖人。


と、つらつらとおじさんの感想文を書いてしまったが、中央競馬はついにクラシックが幕を開ける。
いくらメンバーが低調だろうと、週末に開催されるは牡馬クラシック第1戦目の皐月賞。否が応にも期待は高まる。桜花賞に比べ馬券戦略にセンスが問われそうなのも良い。
自分が本命に据えるのは、時間をかけてアダムバローズに決めた。
時間をかけた割に決め手は持ちタイムという安易さ。経験値は頭抜けてるうえに重賞での敗戦はかかってしまったことと、直線で受けた不利によるもので物色を避けているのも好材料と取った。
やられるなら鮮度のある馬だと思うので、アルアイン、プラチナヴォイスあたりも抑えたい所存。


アダムバローズ鞍上の池添謙一というとオルフェーブルを指しつつ「三冠レースのような大きな舞台では、ずっと乗っている騎手の強みというのはかならず出る。」と語ったように、ダービーを目指す一本道の馬生において、手綱を通してジョッキーが競馬を教えこむ重要性は確実に存在すると思っている。
安易な成果主義に陥らない鞍上がかつて示したそんな方針にアダムバローズは合致しない(7戦中池添が騎乗したのはわずか2回)だけに、彼の言霊が気にならなくはないものの、アダムバローズに財布の中身を託す。


ここまできて浅田真央をひくのは気がひけるが、自分の重賞成績も順風満帆とは言えない道を耐え抜き続けている。それだけにこう言いたい。
「俺は勝つ!重賞をキッチリ当てる!俺は勝てる!」
こんなとこでどうですか花本先生、教えを受けて10余年。言霊の力信じてますんで。

花の楽しみ方(桜花賞予想)

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「うちが日本に帰る頃には散っとるじゃろうけん桜の写真送って」
ヨーロッパで音楽修行中の幼なじみからこんな連絡が届いた。
ドイツにも桜は咲いてるはずだけどな…と思って調べてみると、植樹こそされているものの咲く時期は4月下旬のようで、ちょうど彼女が日本に帰国中のタイミングと重なるらしい。
普段花に興味を持つことのない自分ですら、桜を見ると、どこか気持ちが高揚するだけに、写真だけでも桜を楽しみたいという気持ちはわかる。ということで、花見に行った際の写真を送信すると、演技半分かもしれないが喜ばれた。
花見の気分だけでも楽しみたい。といったら落語『長屋の花見』も似たようなものか。
お金はないが、花見の気分は味わいたい長屋の住民。兼ねてから家賃を支払われていなかった大家は、自身が桜を楽しみたい気持ちと住民を弄びたい気持ちがないまぜのなか、お酒の代わりに薄く煮出した番茶を用意し、つまみとしてのカマボコはダイコンの漬物、卵焼きはタクアンで代用。それを嫌がりながらもおどけてその場を楽しむ住民たち……とまあ、粋な遊び心あふれる落語だった。
てんで話のつながりがなさそうに見えるが、なにが書きたかったかというと、幼なじみも昔の人も「気分だけでも桜を楽しみたい」という気持ちが共通するんだな、と。
なんというか、日本人が感じる桜の魅力、その力強さを痛感させられたわけで。


そんな桜。
いまとなっては日本人だけではなく、外国人も楽しむようになった。
2016年には208万人の外国人が4月の花見シーズンにあわせて来日したというんだから、こりゃもう花見の虜だ。
そういえば先日参加した花見でも周りには外国人の姿が目立っていた。
桜が川面に華やかに散っている様を熱心に写真に収めている人もいた。そうそう、満開の桜も美しければ、散り際の桜も風流でいいよね。桜の風情はどうやら万国共通で通用するようだ。
外国人と花見の関わりはといえば、ドイツ人医学者エルヴィン・フォン・ベルツが記した『ベルツの日記』に「桜の時期はまた向島の華やかな季節でもある。全東京市民が向島巡りをするのだ」と表現されたのがおそらくの始まり。
この他にも、アメリカの作家シッドモアは「向島のカーニバルは古代ローマ人の酒宴そっくりだ」とし「全員が生まれつきの俳優、弁士、パントマイム役者なのだ。こんなに酔っ払いながらも表現するのは喜悦と親愛の情だけである。それがこの春の底抜け騒ぎだ」と表現した。
そんな具合で外側から多少の上から目線で眺められていた花見も100数年経てば外国人自身が参加して楽しむようになった。
つまり異なる文化も積極的に参加すれば、その魅力に気づけるはずということですよ。
だって川面に華やかに散った桜を熱心に写真に収めてるんですからねえ。
とどのつまり、排他的な思考がいかにワックなのかってことにもつながるわけですよ。もっと他者の文化を尊重しましょうよ、そこからの気づきも多いと思いますよ、某国の大統領はといえば……と、なんだかめんどくさい思想の話に移りかけたところで競馬の話に逃げ込む。


いやはや、桜花賞が開催される週に“桜”の話題から書き始めるとは、なんとも工夫がない。工夫がないだけでなく、まとまりもない。なんともリハビリが必要。
ということで本命馬の発表も工夫なく単純に。
はい、リスグラシューです。対抗はソウルスターリング
◎カワキタエンカ
◎ゴールドケープ
そのあまりまで考えた。
ただアグネスタキオンが勝った弥生賞で鞍上の河内がインタビューで残した「良馬場ならもっと強い競馬をお見せできたと思う」という言葉が引っかかって人気サイドから。
河内の言葉は競馬の持つドラマチックな一面を表すとともに、クラシックがクラシックとして機能するうえでかけがえのない価値観。
あいにく今年の牝馬戦線は実力を兼ね備えた馬が多い。
ソウルスターリングフランケル産駒でありながら柔らかさを持つぶん、おそらく良馬場の方が向く。それはリスグラシューも同じ。両者とも良馬場ならもっと強い競馬ができるだろう。レベルの高い最重要ステップレースを通過してきた、そんな2頭を順当に評価したい。
なんてったってリスグラシューは混戦内枠向きがはっきりしている中、前走は少頭数で凡走しただけ。それだけに浮上のきっかけはある。差しの決まりやすい舞台だし集中力を生かせれば、馬券にはなるでしょ、うん。


桜という花の美しさを楽しむ季節に行われるレースにして、リスグラシューという馬名の由来は優美な百合からきているとのこと。
先にも書いた外国人が川面の桜を写真に収めていたように、桜は咲いてよし、散ってよしの美しさがある。
とはいえ俺の馬券は散って欲しくないもんです。なんといっても百合は散っても美しくないですからね……
とまあそんな弱いオチで。

道徳教育(大阪杯予想)

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ある日、お母さんからお菓子代として200円のお小遣いをもらった中田くんは近所にある和菓子屋に行きました。
すると、店の前で「お腹が空いたよ〜」と小さな声で涙ぐむ女の子がいました。
ただし、食べたかったいちご大福の値段は110円。ふたつ買って、ひとつを自分で食べ、もうひとつを女の子にあげることはできません。
「おばさん、いちご大福ひとつちょうだい」
「はいよ!いちご大福ひとつね!いつもありがとね!」
中田くんは買ったばかりのいちご大福を食べることなく、目の前にいた女の子にあげました。
「え?くれるの?ありがとう!」
「いいんだ!すごくお腹空いてそうだったから!」
お腹は空いたけど、ちょっといいことをした気分。家に帰った中田くんはお母さんにこう言います。
「さっきはお小遣いありがとう!いちご大福を食べてきたよ!」
「まあ!美味しかった?」
「うん!」
中田くんはお母さんを心配させたくないという思いから、とっさに嘘をついてしまいました。
はたして彼の行動・言動は正しかったのでしょうか。


いやいや、いったいなんでこんな意味不明な文章から始めるんだ。
というのも、道徳が教科化されることが決まって、その教科書制作の過程で「消防団のおじさん」が「おじいさん」に、「パン屋」が「和菓子屋」に、「公園の遊具」が「和楽器店」に変更されたというニュースを受けて、なんというか、俺の中に潜む説教ジジイめいた部分が燃焼してきたわけですな。
以下、面倒なジジくさい文章がつらつら並びます、埃臭い4畳間から失礼します。


単刀直入に、これだけ多様性がありありと表れる時代に、「パン屋」を「和菓子屋」に変更するって、道徳の教科書検定にもかかわらず、なんて道徳のない話なのか。
修正に至った理由はといえば、文科省が学習生活指導要綱に基づき「わが国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持つ」点が不足していることを気にして、というもの。
その指摘を出版社が修正したと経緯も交えて報道された(この理不尽な修正指示に立場上従わざるをえない編集者、ならびにイラストレーター、ライターの方々の苦行とも呼べる作業はいたたまれないけど、そうした面はひとまず置いておいて)。いやはや甚だおかしい話だ。
はじめに書いた文章の「和菓子屋」を「パン屋」に変えたって、なんら問題ないだろうに。
あの文章が道徳的かどうか、自分では判断しかねるけど、教科書的な道徳性はあるでしょ、多分。
更にそんな中、文科省による天下り問題も最終報告書が出て明るみになった。
万人が同じ感想を抱いているだろうなか、あえて屋上屋を重ねると、身内に利のある面ではルール無用で余念なく、教科書検定という本質においては石部金吉のごとく杓子定規のルールを持ってくる。
なんとも利己的で道徳心のない話としかいえない。
そんな杓子定規も問題だし、本質(教育の内容)よりも体裁(言葉尻)にこだわるような態度は唾棄すべきものだと思いますけどね、うん。
「あ、もしかして、文科省さんが身をもって反面教師を演じてくれたんですかね」
とまあ、そんな姑の小言ばりの嫌味を吐きたくすらなってくる次第。


って、そんなことを声高に主張したいとも思ってないんですけどね。
ポーズポーズ。
じゃあなんでポーズとはいっても、わざわざ面倒な話題を先に書いたのかって、そりゃこの後に続く競馬予想の文章の前段としてですよ。
そして、俺もちょうど今、頭の上がらないクライアントからの理不尽な修正指示に頭を悩ませてるからな!!!
ということで競馬の話、本質の話に。


WINSや競馬場にいる先輩方は今後数百年先を見通しても、道徳の教科書に登場することのない人物が揃っていると言って差し支えない。
きっと今週末はより一層大きなサウンドで非・道徳的な声が聞こえるだろう。
なんてったってキタサンブラックが登場する大阪杯が開催される。それにくわえて初G1。
そこで私が本命の印を打って購入する馬はモンドインテロだ。
距離における鮮度も、カテゴリーにおける鮮度も頭一つ抜けているのが最も大きな理由。
しかも、前走が大幅な短縮で厳しい流れになっているなかで先行して3着に残したというところから、この馬がどんな条件でもある程度着順をまとめられる高いポテンシャルを持っていることは証明されていて。
さすがに前半3ハロンが32秒台以下となると好成績を残せていないものの、大阪杯の過去の成績を見ても、今回がそこまでのハイペースになるとは考えづらい。
ロードヴァンドール、マルターズアポジーがハナを競り合い、並びが落ち着く頃にはキタサンブラックが番手になって、そのうち潰しにかかる。
前にいる馬に圧力がかかるなか、さらにその1,2列後ろからモンドインテロが勝負を仕掛ける、想定される位置は絶好。
更に単勝想定13番人気、いやはやマークシートを塗らない理由がない。


ポーズとはいえ、罵るだけで終わるのはいかがなものかと思うので、最後に俺から文科省への提言をひとつ。
まず道徳とは一体なんなのか。
辞書に書かれた字面をコピペすると“社会生活を営む上で、ひとりひとりが守るべき行為の規準”とある。
そう仮定すると、他の教科と違う唯一にして最大の特徴が浮かび上がってくる。
反面教師が活きるということだ。
「ああなってはいけないな」
「ああいう言葉を人に向けて言っちゃダメだな」
その反対を志せば、自ずと道徳心は磨かれていくものでしょう。
ということで、先生方も生徒を引き連れて中山競馬場に行ってみてはいかがでしょうか。
俺たちがしっかり反面教師になりますんで。ばっちり教育させていただきますんで。

チャックベリーの訃報(高松宮記念予想)

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10代の頃によく聴いていた音楽ってのは年齢を重ねて聞いても耳に快く響く。
きっとそうした経験は誰にでもあって、自分の場合は、ラジオから録音した気になるバンドの音源を聞いていた時に、おじさんから「お前ブルーハーツとかも好きなんじゃないんか」と紹介され、よく聴くようになった彼らの音楽がそのひとつ。
反骨精神あふれる歌詞と歌い方に心ひかれていたんだと思う。今思うと「てめえの考えている世の中の不条理なんて、本当の意味での世の中の不条理から比べると驚くほど小さい」としか思わないものの、まあそうした反骨精神を持つこと自体が健全で……そんなところだろう。


つらつらと問わず語りをやめずに書き続けると、ブルーハーツにハマったことが音楽にのめり込むようになったきっかけだったように思う。
ボーカルの甲本ヒロトが影響を受けた音楽はなんなんだろうという思いから、The WHOを聴き、ピストルズを聴き……更にどんどんと時代を遡っていった。今風の言葉でいうとDigっていったわけだ。
そして、遡った先に居たのがロックンロールの創始者チャックベリーだった。
一生懸命英和辞典を引いて歌詞を和訳してみると、俺に振り向いてくれない女、大嫌いな教師、家出など、メロディーこそ軽快だったが、チャックベリーの歌詞には、思春期特有の鬱屈とした精神をほだす世界が描き出されていて、思わず共鳴した。生まれた国こそ違えど、強烈な連帯感を感じたことが彼の音楽を聴き続けた大きな理由なんだろう。ブルーハーツを聴く時間は減り、チャックベリーを聴く時間が増えていき……そこからというものジャズ、ヒップホップ、民族音楽と、どんどんニッチとされる音楽を好むようになってしまったが、どんな音楽でもユニティを感じる瞬間にグッとくる自分にとって、音楽の悦びを教えてくれたのはチャックベリーに違いない。


そのチャックベリーが先週末自宅で亡くなったという。御年90歳、当然といえば当然か。覚悟もしていた。とはいえ訃報には驚かされた。
読み書きはうまくできないけど、ギターだったら、鐘を鳴らすように弾ける。
そう歌いあげ、死の直前まで健全な反骨精神を抱き、何歳になろうとアルバムの製作をやめることのなかった創作意欲旺盛なロックの創始者が逝ってしまったのだ。
ただし、1人の偉大な存在がこの世から去ったとて、彼の残した功績が脈々と受け継がれていることも事実。ビートルズローリングストーンズはもちろん、ジョージアサテライツも、ラモーンズもチャックベリーがいなければ今の彼らではなかっただろう。
競馬に例えると、彼はさながら偉大な種牡馬のような存在だったということだ。それもサンデーサイレンス級の……と、問わず語りの音楽与太話から、無理やり競馬の話につなげたところで、今週の重賞の予想に。


今週末に開催される重賞で最も注目されるべきは高松宮記念
言わずと知れたスプリント王者決定戦で自分が本命に推す馬はワンスインナムーン。彼の父親は短縮大好き・アップ大好きアドマイヤムーン。京都牝馬組の相性は良くないとされるが、あえてその臨戦を評価したい。
S主体の馬である程度一本気に行けた方がいいだけに、外枠に入ったこともさほど悲観する要素ではないだろう。内を見ながら先頭集団に取り付けられたらベストで、重賞鮮度も活かせるはず。例年に比べて低調なメンバーなだけに、一発まで考慮して馬券を手広く抑えたい。


といつもなら、ここで〆るとこなんだけど、そういえば高松宮記念は誰がそう名付けたか“電撃6ハロン”とも呼ばれる。
ここまでの流れから何が言いたいのか、察しのいい方はお気づきかもしれませんが、ラモーンズの話。
チャックベリーが産み出した50年代以降の反骨精神にまみれたロックンロールを熱心に聞いていたことが、一聴するだに明確なラモーンズ。彼らの代表曲である『電撃バップ』の歌詞はこうだ。

奴らは真っ直ぐ並んで
強い風の中を行く
ガキ共は発狂してるぜ
後ろに積みこんで
蒸気を吹かす
ビートに乗って撃ちつけるんだ
なあいこうぜ、後ろから撃ち込んでやろう
奴らが欲しいものなんて知らないが
エンジン吹かして、準備はできてんだろ


パワーコードだけで奏でられる勢い任せのこの曲。なんというか高松宮記念のことみたいだな、と。
大したオチはないんですが、「ワンスインナムーン、エンジン吹かして、準備はできてんだろ」
そんな感じで。

 

(レース終了後追記)

ワンスインナムーンは結局16着で入線。

そういえばチャックベリーの影響下にあるのは清志郎も一緒だった。「この雨にやられて、エンジンいかれちまった」ってとこですかね、残念。

ある日の風俗店の話(フラワーC予想)

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「イラシャイマセー、ツギノオキャクサマー」
おっとこれは聞いてない。
珍しく競馬で大勝したその日、いつもなら猫背をさらに丸くした情けない姿で歩くオケラ街道を、今日は胸をはって、晴れやかな気持ちで歩いてきたというのに……50分12,000円、いつもより高級なピンサロに入店した自分にあてがわれたのは、つたない日本語を喋る女性だった。

「キョハオシゴトデスカ?」
ルックスは中の上。とはいえ、大枚はたいてアジアか、聞いてない……いやまあ考え直そう。サービスこそが大切だもんな、うん。それにあれだ、国際交流だ、うん。見方によっては、K-POPアイドルの端のほうにいそうな顔とも言えなくはないし、なんてったって後戻りはできないんだから。与えられたこの状況を100%楽しむために、まずはいい雰囲気をつくる、他に選択肢はないじゃないか。
「仕事…? ああ、うん、まあそんなところかな。ところで君、どこから来たの?」
仕事ではなくて競馬帰りだが、風俗とはいえ初対面の女性にギャンブルの話はいい選択とは言えない。ここはソツなく出身地の話から。
「フッサダヨ」
福生って!(笑) 違うよ! そうじゃなくて出身は?」
「アアソユコトネ! ウマレハカンコクダヨ。ニホンゴベンキョウスルタメニキマシタ」
「へえ、バンコク? バンコクっていったらパタヤがあるよね、ね、あのゴーゴーバー。何年か前に行ったんだけどさ、あそこは楽しかったなあ」
「チガウ! バンコクジャナクテ、カ・ン・コ・ク!」
「ごめんごめん、冗談だって(笑) そんなに怒らなくていいじゃん。隣だよとなり、そんなに変わらないって、ってそんなこと言ったら、また怒られちゃうか」
ひとボケ入れて女も笑っている。ちょっと空気も緩んだ。うん、よしよし。この調子でいい雰囲気をつくっていこう。
「オニイサン、ヨクシャベルネ! ホントハハヤクハジメタイデショ!」
「いやいやいやいや、俺喋るのが好きだからいいんだよ。ね、もうちょっと喋ろうよ。」
「ワカリマシタ。デモチョト、ギャクニヤリニクイネ」
「そうそう、そういう風に困った顔を見るのが好きなんだよね」
「ヘンタイ! モットフツウニシテ! ホカノヒトミタイニ、ホウショウフキ、タノシンテクダサイ!」
「いやいや普通だって! 本当に困り顔を見るのが好きなんだよ、いるよ? そういう人結構。にしても放縦不羈って!(笑) 日本人の俺でも漢字で書けないよ! やけに難しい日本語知ってるね。」
よくよく見てみると、韓国の若い女の子にしては、整形の跡もない。どことなく、日本人らしい顔な気がする。それにそんな難しい日本語知ってる外国人がこんなとこにいるはずない。

「사실 일본인 지요?」
きょとんとする女。
「さては、お前日本人だな!」
「チガイマス…ヨ!」
「いいっていいって。誰かに言うわけじゃないから大丈夫だって」
これはこれは、当初考えていた“与えられたこの状況を100%楽しむために、まずはいい雰囲気をつくる”という当初の目的からは離れてしまったものの、楽しそうなことになってきたぞ……
「사실 일본인 지요? ああ、韓国語はわからないよね。だからさ、本当は日本人でしょ?」
すると女は機嫌の悪そうな顔で
「仕方ないな、もう、そうだよ。早く脱いで!始める!」
と続けて、こちらに手を伸ばしてくる。
「そうそう、そういう困った顔が好きなんだよ」――

 

とまあ、自分で書いててもキツいなーと思うような、やけに気持ちの悪いトーンで、ピンサロでの与太話をつらつら書いてしまいました。
なんでピンサロの話かって、花びら大回転ってことですよ、花びら、つまりフラワーですね。はい、フラワーCの予想に。
自分が本命に推す馬はモリトシラユリ。先々週ころから中山の芝コースがステゴになっているのは火を見るよりも明らかで、適度に重厚な血統の当馬にとってもプラスに働くはず。バウンド延長で前受けしてくれれば、本来の力を発揮できないディープ産駒の追撃を封じ込められるはず。江田だし、後方からの競馬はしないでしょ、うん。前走の凡走で物色されておらず、単勝人気が30倍つくというのもよい。馬連、ワイドに財布の中身全部。


なお、前段はラジオから流れてきたんだったか、ファミレスで聞こえてきたんだったか、なにかの本で読んだんだったか……まあそんな話を思い出しながら書いただけでまったくもってのフィクションですからね! ええ!