近・未来・競馬

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1950年代に発生した核戦争を経て、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国によって分割統治されるようになった。オセアニアでは、思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビジョン・町なかに仕掛けられたマイクによって、屋内・屋外を問わず、ほぼすべての行動が当局によって監視されていた。

そうしたオセアニアの完全な統治体制は、強制的に国民を勤勉にさせ、生産能力の爆発的増加、圧倒的な経済発展につながった。しかし、2020年代を迎える頃にはイースタシアに思想・芸術・経済あらゆる面で先を越されてしまう。


イースタシアはどのようにしてオセアニアを上回る発展を遂げたのか。その大きな要因は監視されることよりも、監視されることによって享受できる利便性を打ち出したことだった(オセアニアが極端な監視体制を敷いたことで自由な発想が生まれなくなり、新たな産業を創出する機会が失われたことも要因の一つとして挙げられるのだが……)。

イースタシアで一番の大国として知られる中国では、核戦争以前から“体制に異議を唱える者を抑え込む目的のさまざまな検閲ツール”が導入されていたことがあったからか、核戦争後もオセアニアほど大きな社会変動は生まれなかった。とはいえ、1990年代のオセアニアの爆発的経済発展はイースタシアにとって大きな脅威。国会では、独自の監視制度の発展が喫緊の課題として挙げられ、いつも喧々囂々の議論がなされた。結果的に、2002年に中国を特区として定め、試験的にイースタシアスコアという制度を導入し始めた。

イースタシアスコアの制度概要はこうだ。

・国中に設置された監視カメラで国民の動向を把握する

・インターネットの利用には国民ナンバーの提出を義務付け、現実社会同様、サイバー空間においても国民の動向を把握する

・国民の行動一つひとつに応じて各人のスコアは自動的に上昇、下降する

・スコアを利用できるのは政府の定めた8つの事業者に限る

ーー効果は絶大だった。経済は大きく発展し、いまやイースタシアの一挙手一投足をオセアニアが注視する立場だ。

民間の事業者に利用権限を委ね、窮屈さと利便性向上のバランスを取ることで、オセアニア的極端監視社会(2020年代の教科書には「監獄社会」と記されている)のような道を辿ることなく、スコアのエコシステムを築いていくことができ、競争優位性につながっていったのだ。

試験開始直後の頃こそ、制度の瓦解を信じてやまない無頼派による暴動も招いたが、トラブルを起こした者のスコアは一気に下降し、善行を続けた者は、「進学や就職に有利になる」「医療を優先的に受けられる」「ローンも組みやすくなる」「異性からも好意を持たれる」「肩こり・腰痛も快癒する」……等の恩恵を実際に受けられることが明らかになってからは、無頼派も影を潜めた。

2008年頃には、街にゴミをポイ捨てする人もいなければ、国民同士は顔を合わせるなり挨拶をし、公道の清掃に皆が励む。そうしてスコアを伸ばし、社会生活における利便性の獲得を目指すのだ。“徳を積む”という仏教的概念が身近な国であったこともイースタシアスコアを受け入れる原因としていまでは振り返られている。しかし、私はそう思っていない。ただただ、便利さに人類は反抗することができないというだけだ。


特区・中国の圧倒的な発展を受け、何を始めるにしても後手を踏むことで知られる、イースタシア内属の日本においても、イースタシアスコアの導入が開始された。あれは2019年のことだった。

開始当初、日本でスコアの利用が認められた事業者は、TOYOTA、NTT、三菱UFJ日本郵政、JR、セブン&アイ、リクルートJRA、LINEジャパンの9社。

国民現象・生産低下に喘ぐ国民は、イースタシアスコアの導入をやや訝しみつつも歓迎した。「スコアの導入によって○○はこう変わる!」メディアは中国の前例を挙げながら、嬉々として報道を続けていた。しかし、元々勤勉な人が多い国民性格ゆえか、生活に大きな変化はない。各々がスコア下降に気をつけながらも、ほとんどこれまで通りの生活を続け、当初想定されていたほどの爆発的な経済発展・利便性向上は見られなかった。

ただ一つ、JRAが運営する“競馬”という分野だけは様変わりした。