はたから喧嘩を眺める(エンプレス杯予想)

酒の勢いで始まった殴り合いも、駅前で口論になるカップルも、動物同士の小競合いも。悪趣味だとわかっていながらも、喧嘩と呼ばれるものを見るとどうにもワクワクしてしまう。

ドーキンス VS グールド (ちくま学芸文庫)

ドーキンス VS グールド (ちくま学芸文庫)

 

最近読んだこの本のなかで描かれる喧嘩も楽しんだ。ダーウィン以後の進化論を牽引してきたドーキンスとグールドによる長きに渡る一大論争についての一冊だ。内容について引用すると……

自然淘汰と遺伝子の働きを重視し、利己的遺伝子説を唱えたリチャード・ドーキンス博士と、断続平衡説を提唱した古生物学者ティーヴン・ジェイ・グールドが生物進化の仕組みについて戦わせてきた論争の解説。

 後代に残す自身の子孫の数を極大化するために、生物(遺伝子)の、多様性が生まれたとするドーキンスに比べ、化石を研究してきたグールドは環境への適応を重視しない。

 グールドは、「動物の系統はもっとも根本的な部分においては、非常に長い期間にわたって変化しない」と主張しており、大量絶滅の際に多くの種が姿を消しても、そのとき生き残ったものは、適応度よりも偶然に助けられたということになる。

というわけだが、正否はよくわからない。今からはるか昔の証明不可能な推論のぶつかり合いが続くわけで、ドーキンスの方が正しいと読める箇所もあれば、グールドの方が正しいと読める箇所もある。はっきりとした答えを導き出すことが不可能な両者の論争は、それ故にドーキンス派対グールド派の感情的な応酬が続くのみなのだ。「これはこうなんです!」「いや!お前の言ってることはこう違うね!」が高度な内容で繰り返される、まさしく喧嘩そのもの。あ進化論について全く明るくないかわりに悪趣味である私は「2人ともアツくなってんなー」と楽しく読めた。


はてさて、ここまで進化論についての本を紹介したのは、いつものごとくレースで本命にする馬を紹介するための前置きである。以下、屁理屈。

ドーキンスやグールドが激論を交しあっているさまは、まるでレースが始まる前の競馬ファンが口角泡を飛ばし合う光景にダブる。進化の過程とレースの結果。時制こそ真逆ではあるものの、現時点でははっきりと証明のしようがないことを追い求めるという点において、進化論と競馬予想は相似する部分があるように思えたのだ。

進化論を語るうえで、はっきり証明のしようがない最も有名な事例といえば生物の進化過程を連なる鎖として見た時に、連続性が欠けた部分、つまりミッシングリンクのことですかね…… というわけでエンプレス杯の本命はミッシングリンク