マッチングアプリの広告の多さに考えた

この話である。如何ともしがたい問題である。

 

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私のTwitterタイムラインには1日に1度、いや、それ以上の頻度でこのような広告が表示される。

おそらくツイートやフォローしている人をもとに「20代」「独身」「男性」「交際相手無し」などと属性を判断したうえで、ターゲットに適した広告……はいこれ! という具合に表示されているのだろう。しかし、私には交際相手がおって、このようなアプリは現状必要としていない。マッチングアプリの広告がミスマッチしている。 


その話はまあいい。ともかく、私のインターネット上の行動は監視され、のべつ幕無しに記録・分析されているのでしょう。なにもTwitterにかぎった話じゃない。GoogleでもAmazonでもfacebookでもAppleでも……なんだってそう。なんなら、インターネットの世界にかぎった話ってわけでもない。嫌な話だが、我々は既に文字通りの超・監視社会を生きている。年初から個人情報を軽率に扱う企業が紙面を賑わせているし、プライバシーなんてあったもんじゃない。いたるところに設置されたカメラがこちらに目を向けている時代だ。


「嫌な話だが」とはいえ、行動が監視され、記録・分析を重ねられ、データと個人を紐付けられることで、利便性を享受している面もあるかもしれない。

知らなかった好みに出会える可能性は格段に高くなるだろうし、人と人との出会いは最適化され、これまでよりもずっと効率的・合理的に生きていけるだろう。嫌なものに触れるリスクも軽減されて、自分にとって心地よいものが身の回りを囲む。時代が進めば『マイノリティ・リポート』ばりに、犯罪を未然に防げるデータと個人の紐付けが的確になるかもしれない(日本でも犯罪予測はすでに始動してますしね)。

いやー、それでも、なんとも嫌な感じですよね。印象だけでも。自分が勝手にデータと紐づけられるってのは。プライバシーもへったくれもないですし、なんというか……嫌です。

「いやいや、いろんな大義があるんだから、ある程度の不自由を強いられるのは当たり前よ。プライバシーだなんだと言って、なんなら、人に知られたら困るようなことを考えたり、やったりしたしてるんじゃないの?」と思う人もいるかもしれない。しかし、そう思ってしまうのは権力の「公正さ」というものを過大に信頼してしまっているわけですよ。歴史を読み解けば、アクトンにあたるまでもなく、権力なんてものは本来的に腐敗と抑圧がセットで存在するもんですし……え?そこまでの権力じゃないじゃん、だって?……いやいや……って、これはあまりにも話が逸れてしまった。話題を整理。


クリックもしていないし、なんなら見かけるたびにブロックしているマッチングアプリの広告が異常に表示されるのは、それ以外の私の行動を(機械的にとはいえ)監視していて、そのデータと個人を紐づけた最適解と判断され続けているわけだ。

一般的な話だが、監視されているかもしれないとわかっていると、人間は迎合的で従順な行動を取りがちになる。人間は誰かに見られている時は、主体的な意志よりも他人からの期待や社会通念上の要求に従った決定をする。これらは、人間の本質に関わる事実で、社会科学・文学・宗教などあらゆる分野で語られてきた。

監視されている可能性を絶え間なく感じさせられること、それ自体が人間の行動や考え方に影響を及ぼし、誰かも分かんねえ監視者の意向を常に忖度するようにさせてしまうわけで。たかだかマッチングアプリの広告表示から大げさに捉えられるだろうが、この監視社会の進化の加速度を考えると針小棒大な考えとも思えない。なんとも危なっかしい話である。この小さな気持ち悪さのタネが大きく成長していかない未来を願うのみ。 

 

ちなみに冒頭pairsのモデルは里々佳さんというらしい。

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こういう

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ショートカットで

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ちょっとクセのある顔に

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私は好意を抱きやすい。

 

既に女の好みはバレてるってわけだ!恐ろしい話だ!