名前は知っているけど食べたことない料理:へぎそば

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好きなものがはっきりしているせいか、映画や音楽や文学その他もろもろ……新しい何かに挑戦するよりも、“これにしておけば間違いない”というものをついつい選びがち。しかし、そうしていてばかりではまだ知り得ぬ更なる「好き」に出会えない。まずは食事という面から保守的な自分に抗っていこうと思い立ち、「名前は知っている。なんとなく見た目もわかる。だけど食べたことはない。」そんな料理を積極的に食べてみようという試みをはじめてみました。(いつまで続くのかはわかりませんが)第一弾の「ビリヤニ」、第二弾の「シシカバブ」に続き、今回食べてみたのが「へぎそば」です。

 
遅めの昼飯を終えた私は食後の運動よろしく場外馬券場に出かけ、惰性でレースを摘んでいた。しかし、ろくに予想していないこともあってか、1レースたりとも馬券は的中しない。「こりゃ悪い流れだな」と愚痴をこぼし、メインレースを迎える前に帰路につこうと考え始めていたところだった。

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サンライズサーカス来たからそれでご飯食べよ」

そんなLINEが私のiPhoneに飛び込んだのだ。捨てる神あれば拾う神あり、ってそれは少し違うか。ともかく、別の場所で馬券を買っていた友人が見事に的中を連発させたらしく、馬券がかすりもしない私を見かねて(って誘ってくれたタイミングでは知る由もないのだけど…しかし、私にはそうとしか思えないようなタイミングだった)、食事に誘ってくれたのだ。僥倖。なんていい友人を持ったものか。

友人を待つ間に買った馬券も無風のまま合流。WINS後楽園から神楽坂へと向かうことになった。所持金を186円まですり減らした男に似合わぬ街に浮き足立ちながら、「ここは高そう…」「俺みたいな人間が入っちゃだめでしょ…」などと店先のメニューを見、店内を覗きこみしつつ、えっちらおっちら歩いている時に見つけたのが「へぎそば」の文字だった。

茅場町に名店(がんぎ)があると聞き、以前から「へぎそば」なる食べ物が気になっていた私はその旨を伝える。遅めの昼飯でカレーとナンを散々おかわりし、膨満感があったので「一口だけ食べたいんだよね〜」と、ホテルビュッフェを楽しむOLのような戯言を唱え、店が決まった。

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出てきた「へぎそば」がこれだ。

およそ一口程度の量ごとに束ねられたそばが仰々しい板に乗せられている。束ねられていることを除けば、ざるそばとなんら変わらない見た目をしている。薬味もそう。麺つゆに白ネギとわさび。ざるそばとなんら変わりない。うーむと思いながら、一口すすってみると…… 独特のぬめりがあり、口当たりはそうめんのそれに近い。しかし食感は弾力があって飲み込む時も喉にクル食べ応え。海藻のふのりを入れて打つことによって独特の歯ごたえ・喉越しを出しているとのこと、後で調べてみて知る。グッと飲み込んだそばを、さらに胃まで流し込まんとする日本酒が相まって美味。

昭和を代表する料理研究家の魚谷常吉は、このへぎそばを「へぎ板の上に整然と並べられたそばは波を連想する佇まい。磯の香がかすかに香るふのり、ひやっとぬめる感触。日本海を想う。」と称したというが、料理に関しての引き出しを持たない私は、窒息するような喉ごしを日本酒で流し込むことに一番の快楽を感じてしまう。なんともお粗末な表現、なんともお粗末な感受性である。

 
というわけで、最後は魚谷常吉の残した言葉をさらに借りて、それらしく締めることにする。

馬券が的中した友人にご馳走してもらう食事は遠慮と気兼ねなさがぶつかり合いながらも「人の金で食う飯は美味い」などとつい言いがち。しかし、それでは言葉が卑近すぎるし、相手への卑しさもある。馬券を当て、打算なしに食事に誘ってくれる友人に対して失礼な言葉だ。しかし、この食事をなんと表現すべきか…… 魚谷常吉の言葉を借りて「人情で食い、人情を食う」から、そばも酒も美味かった。そんなことを考える夜、そんなことを考えたへぎそばだった。次は「人情で食わせ、人情を食わせたい」。そんな心持ちで場外馬券場へ向かう。