二度と食べられないと考えるほど(日経新春杯予想)

ホテルに入室するやいなや彼女は瘡蓋で伝線したストッキングを脱ぎ、左上腕にきつく縛りつけた。流れるような手つきでジミーチュウの黒い革鞄から取り出した白い粉をコントレックスで溶かし、注射器に吸い上げ、か細い手首に浮かび上がった血管に針を突き刺す。そのとき、一切の躊躇いを見せないのはいつものことだった。


かつて一ヶ月に一度会っていた女性との話だ。mixiを通してクラブで顔を合わせて意気投合。以来、広島と名古屋の中距離恋愛。相手と会うのはいつも中間地点の大阪だった。大阪府を流れる淀川を分岐した大川に架かる天満橋、そこにあるラブホテルで出会った味噌汁とおにぎりのセットが忘れられない。

関西人特有のサービス精神なのか、過剰な低価格と読み放題の漫画、そして翌日の朝食サービスがそのホテルの売りだった。交際途中からは薬物にのめり込む相手を見て気分は盛り下がっていたが、若かった私はこちらから別れを切り出す勇気がなく、だらだらと付き合いを続けていた。今思い返せば、広島から大阪へわざわざ会いに行く楽しみの大きな割合をホテルの朝食として供される味噌汁とおにぎりが占めていたような気さえする。

ちょこっとだけ入った豚肉の脂が表面に浮いた味噌汁は、勢いでホテルに宿泊した客を気遣ってかいつもしじみがたっぷり入っており、五臓六腑に染み渡るとしか形容しようがない味わいで、おにぎりはというと機械で握ったかのように見える直線的な三角形でありながら口に入れた途端ほろほろと口いっぱいに広がる白飯が塩のみの味付けで、これがなんともうまい。どちらも、二度と食べられないと考えるほど恋しくなる味だ。

しかし、別れた女とヨリを戻しても思っていた未来を共に歩むことが困難であることと同様に、あの味噌汁とおにぎりをいま改めて食べることができても、期待通りの味わいではないかもしれない。

その女性とは最後は嫌な別れ方になり、人間不信に陥りかけた。でもそれでよかったのだ。いまの私をかたちづくる一つの経験であることに変わりはないし、時間が経過した今となっては(こうしてブログのネタにもできるし)、自分が何を大切に考える人間なのかを教えてくれたように思う。本当に感謝しかない。もしもまたどこかで会うことがあれば「どうもありがとう」と、少々の皮肉をこめて感謝の気持ちを伝えたいと思い返した。

そんなこんなで今週も馬柱を眺めていると、日経新春杯を走る馬の中に「どうもありがとう」という意の名前を持つ馬がいた。ムイトオブリガード。本命。彼女と食べた味噌汁とおにぎりを思い出しながらレースの展開を見守りたい。