二日酔い対処法に関しての習作

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年の瀬ですね。忘年会が増えてきます。それに伴って、言葉の意味としても身体的な意味としても頭を痛くさせてしょうがないのが二日酔い。そんな二日酔いについての習作です。オールドスクールなテキストをお楽しみください。


二日酔いとは何か、そしてこれにどう対応すべきかという一組の問いは、深刻で重要な問題として、人類をいつまでも悩ませ続けるであろう。以前からそのように感じていたが、年末にかけていよいよ痛感するようになった。前者の方について、昔のイギリス人は、二日酔いは一種の狂犬病であるという考え方を抱いていたらしい。どうもそんな気がする。これは私の新学説で本当はここに書くのがちょっと惜しい。もっと詳しく実験調査を行ってから『エリザベス朝における二日酔いと狂犬病との関係』とか『二日酔いは狂犬病の一種なりというイギリス人の俗信について』とか、そんな大論文を書いてみたいのだが、面倒くさいから、ここで書いてしまうことにする。


英語で迎え酒のことを「hair of the dog」という。英検三級保有の私が訳すところ、つまり「犬の毛」である。その最も古い出典は16世紀のジョン・ヘイウッドが著した諺の収録『諺による対話』で、それには「子供と馬鹿は嘘がつけない」「火傷した子供は火を怖がる」などに混じって、「われわれを噛んだ犬の毛」という諺があるのだ。「われわれを噛んだ犬」を前夜の酒になぞらえ、その「犬の毛」を前夜の飲み残しに見立て、迎え酒をやれば二日酔いが治ると勧めたもので、当時の医学書にも、酔っ払いには翌日そうさせると良い。と書いてあったそうだ。しかし、前夜の酒はなぜ「犬」なのであろうか。調べてみると、ここでは単に「犬」と言っているが、普通の犬のことではなく、狂犬のことで、中世イギリスには、狂犬に噛まれたとき、その狂犬の毛を焼いて水と一緒に飲めば、狂犬病にかからなくて済む、という俗信があったらしい。さながら毒をもって毒を制すといったところだ。あるいは、ワクチンのごく原始的な段階ともいえよう。それを比喩的に、二日酔いと迎え酒に当てはめたものに違いない。しかし、この当てはめ方にはかなりの飛躍がある。この飛躍をたどるためには、昔のイギリス人は二日酔いを一種の狂犬病のようなものだと見なしていたらしい、と考えるほかない。そして、そう思ってみると、似ているところもあるもんですね。狂犬病というのは、ウィキペディアを引くと、狂犬の唾液によって伝染するらしい。唾液というのは液体であり、そして酒というものも液体である。共通性がある。非常にある。それに、狂犬病の症状としては、頭がひどく痛む、極度の食欲不振に陥る、むやみに水分を欲する、ということが挙げられる。実によく似ている。これでは、医学知識の乏しかった、当時のイギリス人が、両者の間に関係があると考えても無理はない。

二日酔いと狂犬病についての私の発見はこれで終わりなのですが(これではとても論文にはなりそうもない)、私はあまり迎え酒を好まない。二日酔いの朝は昨日の失態を、酒のことを考えただけでもムカムカする。ただひたすら布団で横になって、時々グイと水を飲んでは眠るのである。それしかない。そう思っていた。

 

ところが、世の中には偉い人もいるもので、キングズレー・エイミズという人はこんなことを言っている。

もし君の細君あるいは他のパートナーが君のそばにいる場合は、そして嫌がらない場合にかぎり、できるかぎり猛烈に性的行為を行うこと。この運動は君に良い効果がありーー君がセックスを好むと仮定しての話だがーー情緒的にも高揚を感じることができて、君の形而上的二日酔いに対して正面から戦いを挑む前に、ヒットエンドランの奇襲を加えることができる。

二日酔いの朝はいろんな情報サイトを見て回り、その対処法について人よりも豊富な知識を体得していると思い込んでいた私も、この、性行為が二日酔いの療法になるという考え方には愕然とした。

そこで過日の忘年会で隣席の女性にふと聞いてみたところ「え? 君は二日酔いの朝、したことないの?」とまじまじと顔を見つめられたのだ。驚き、かつ閉口してしまった。考えてみれば、その時女性の方もひどくびっくりしていたわけだ。世界は驚異に満ちている。


続いて各国の二日酔いの対処法がまとめられている本を引いてみると、

詩人バイロンは「酒と女を楽しみ、大浮かれに浮かれよう。翌朝は自分に訓戒をあれ、ソーダ水を飲もう」とある。彼の対処法はソーダ水だったわけだ。詩人だけあって、言い回しは気が利いているが、詩人のわりに内容は陳腐である。

アメリカでは「前夜にビールの栓を抜いておき、翌朝、気の抜けたやつを飲め」と言われている。いやいや前の晩から用心するくらいなら、問題はないのである。

メソポタミアでは、ツバメのクチバシを砕いたものをスプーンに一杯と、スプーン一杯の没薬を混ぜてペースト状にして飲むという手が使われていたそうだ。いずれも手に入れるのが大変である。

ニューヨークの伊達男は「牡鹿のフィズをひっかけてから、美術館へ行け。頭を静めるにはオランダの絵画に勝るものはない。フェルメールの絵があんなに盗まれたのはもっともなことだ」という。さながら泥棒のすすめである。

ハイチのブードゥー族では、昨晩飲んだ酒瓶のコルクにピンを13本刺す、という呪術が用いられたという。なるほど。その気持ちはよくわかるが、近頃はワインですらねじ切りキャップのものがほとんどだ。

プエルトリコでは、レモンを二つに切って、ワキの下をこするといいと言われている。実践は容易であるものの、行動に移すには多少勇気が必要である。

いやはや世界は驚異に満ちている。


私はこれからも二日酔いの朝は布団に横になり、時々起きてはグイと水を飲む、この対処法で乗り切ろうと思う。そもそも二日酔いにならぬ程度の飲酒に抑えるという能は持ち得ない。

驚異に満ちた世界ではあるなか、これだけは世界の方々と同様の価値観である、かもしれない。