競馬に関する掌編

中国人の投資家が参入しているという噂がたったのは60年ほど前のことだったかな。一部では噂になっておったんだよ。
その頃はVRBS、ああ、ヴァーチャル・リアリティ・ベースボール・スタジアムがまだ東京ドームという名前でな、人間が木の棒とゴムの玉を道具にして野球をしておったんだ。近くにはWINS後楽園という建物があって、毎週末競馬ファンが集まっとった。
お前さんの年じゃ場外馬券場に行ったこともないか。まあいい。昔はマークシートという紙に自分の買う券種、そして馬、組み合わせ、金額を記入して購入していたんだ。「馬券」を。
驚くのも無理はない。わが国で2度目の東京五輪が開催される、それより10年も前の話なんだからな。想像すらつかないだろう。
えーっと、何の話をしておったかな。そうだ、そうだ。WINS後楽園の話だった。そこに中国人の投資家が集まり始めたのが2007年頃の話だ。あそこには有料の指定席が2種類あってなあ。安い方は1,500円、高い方で5,000円だったはずだ。その高い方の指定席に中国人投資家たちは跋扈していたらしい。貧乏学生で指定席になんて座ったこともない私は見たことはないんだがな。ただし確実に存在したことだけは噂を聞くかぎり間違いのないことだった。
噂を聞くようになるのと時期を同じくして、競馬ファンの文句の数が増えたんだ。いやいや、騎乗方法や騎手に対しての文句ではない。ほとんどの文句は払戻し金についてのものだった。
私だって何度も嘆いた。馬券を買った時には30倍のオッズの組み合わせを買っていても、払い戻しの時には20倍。そんなことが起こり始めたんだ。文句が増えるのも仕方のないことだろう。そうは思わんかね。
はじめはJRAに文句が向けられた。主な訴えは「せめて締め切られてレースが終わるまでにわかる払い戻し額は公表してくれ」というものだった。だが、この現象を引き起こしているのが、中国人の投資家たちだということが噂になり始めると、徐々に文句の矛先は彼らへと向かうようになった。どうやら、〆切の直前にオッズを解析して期待値の高い組み合わせを大量にシステム購入していたらしいんだ。
とはいえ一部の投資家によるものだ。はじめの頃は、さほど大きな問題にもならなかった。だが、AIが一般人にも普及してきた頃には問題は無視できないほど大きくなっていった。オッズが〆切直前と同じままだということなど一度もなくなった。不思議なもので、確定後に払い戻し額が増えたという経験もない。これはまあ、スーパーコンピュータの演算能力によるところが大きいんだろう。詳しいことは私のような者にはわからんのだがな。
しかし、〆切直前オッズと実際の払い戻し額の乖離はもう、背骨に転移した癌みたいなものになってしまったんだ。と言っても伝わらないか。いまや癌は不治の病ではないんだものな。かつて、癌が不治の病の代表とされていた頃には、そういうことわざがあったんだ。
さあ、話を戻そう。私だって払い戻しに関して何度も文句を言ったさ。WINS後楽園で定期的に開かれたデモにも何度も参加した。
デモが開かれて20年くらい経った頃だったか。JRAもようやく重い腰を上げてくれた。「馬券」の発行停止と同時にブックメーカー制を導入したんだ。お前さんの国が昔から導入していた競馬と同じシステムになったというわけだよ。わが国はいつだって西洋諸国のケツを追うことしかできないのだな。G8から追放されるのも無理はないかもしれんな。
またしても話がずれてしまったな。とにかくだ。他の多くのデモと違って、私たちが参加したデモは無駄じゃなかったんだ。JRAという巨大組織を動かし、利益を勝ち取ったんだ。私たちは喜んだ。すぐさま居酒屋で盃を交わしたよ。翌日の朝には、口の中に残った吐瀉物とアルコールの香りで、お茶を口に含んだ瞬間、口内でお茶割りができてしまう。それくらい飲んださ。これが、そうだな、2040年くらいの話だったろうか。
ただ、ここでまた問題が起こったんだ。次はその話をしよう……

と、おっと、もう次のレースが始まるじゃないか!

私の購入した組み合わせは……

軸馬が出走取り消しか! 

また人気馬の取り消しじゃないか!

ええ加減に八百長はやめえ!

 

海外のブックメーカー方式をそのまま転用した日本は<購入した際のオッズで払い戻しが行われる>ようになったと同時に<出走取り消しによる返還>が行われなくなっていたのでした。

 

教訓①
問題の解決が新たな問題を産む場合もある

教訓②
人はなにかにつけて文句をいってしまうだけでなく、他者に責任をなすりつけてしまう生物である