「やっと」「ようやく」「ついに」「とうとう」(日本ダービー予想)

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さて、オークスが終わったかと思えば、その翌週にあたる今週末には日本ダービーが開催される。
ここ一週間の競馬ファンの体感は世間でいうところのクリスマスから大晦日あたりの忙しさみたいなもんだろう。イベントごとが連続で開催される忙しさだけでなく、普段とは違う妙な高揚感に包まれながら過ごす点もよく似ている。


今年も「ついに」日本ダービーがやってくるのだ。

いや、ここは「ついに」でいいのか?「やっと」と表記すべき?それとも「ようやく」?「とうとう」?
と書き出しから自分自身で重箱の隅が気になり始めてしまった。
ということで、先行研究を紐解いてみると、こんなことが記されていた。


類義語として扱われる「やっと」「ようやく」「ついに」「とうとう」これらの副詞には共通点をがある。
ひとつは、ある事態の実現までに長い時間がかかるという特徴。
・個展の話は2年前からありましたが、大学院で日本画の保存修復技術を学んでいたため、<やっと / ようやく/ ついに / とうとう>実現しました。
・日本では通産省主導で昨年、電機、電力などの企業でつくる「CALS技術研究組合」と「CALS推進協議会」が発足、<ようやく /やっと/ ついに / とうとう>実用化に向けて動き出している。
・住民の悲願だった橋が<ついに / やっと / ようやく / とうとう>完成した。
などなど。

以上の例で、この四語の副詞がお互いに入れ替わっても、出来事の実現まで長い時間が経ったという意味は変わらないということがわかる。
さらに、もうひとつの特徴は、出来事の実現までの苦労や大変さに感情をプラスすることだという。
例えば
・急な山道を歩き続けて、やっと頂上に着いた。
・彼は20年研究して、とうとうがんに効く薬を作り上げた。
・人類はついに宇宙にまで行くようになった。
など。どの副詞を選択するかによって、文意は大きく変わってくる。

では、それぞれの場合において、どの言葉を選択してもいいのか。そうではない。
この四語の使い分けについて論文が残されていた。
「やっと」「ようやく」はその事態(状態)が話者にとって望ましいという特徴を共有すると述べている。「ついに」「とうとう」はこの点についての制限はない。
また、「やっと」と「ようやく」には、事態や状態の実現が期待されているが、その実現が困難である/あったという前提を持つのに対し、「ついに」「とうとう」はこの点について積極的な特徴を持たないと述べている。

A『資本論』全三巻のうち<やっと∕ようやく∕*ついに∕*とうとう>第一巻の半分まで読み終わった。
B 審判の判定に対する抗議から、<ついに∕とうとう∕*やっと∕*ようやく>放棄試合になった。
また、「ついに」と「とうとう」の実現した事態や状態は、普通には実現しないと考えられることであると述べている。つまり、話し手にとって「ついに」と「とうとう」が使える事態や状態は尋常なことではないという意味を指し示すのである。したがって、Aは半分まで読むことは通常に実現し、尋常なことなので、「ついに」「とうとう」と共起することができない。これに対し、「やっと」と「ようやく」は話し手の望ましい気持ちを表すので、例Bでは使えない。

C 夜が白み始めた頃、嵐は<やっと>止みました。
一方、ルチラは、これらの副詞は事態の成立する前に話し手がその実現を予想するものとして使うと述べている。例えば、例Cには、嵐が止むことに話し手が期待しているというニュアンスがあるとしている。

他にも金英児は、「やっと」と「ようやく」の意味と用法について以下のように述べている。
「やっと」「ようやく」の共通点として、待っていたり、望んでいたことが時間や手間をかけて実現することを表すので、実現しなかったことや否定的な内容、或いは相手の行為には用いない、と。

そして、ルチラはこの四語を事態の成立に対する、期待性や予想性があるかどうか、その事態を達成するまでの過程或いは結果に視点を置くのかによってその使い分けを観察し、下位分類をしている。四つの副詞はお互いに言い換えられる場合も可能が、その意味解釈は多少変わることが分かる。
例えば、Dの例では、「やっと」を使って、その待ち望んでいた気持ちを表す。「やっと」を「ようやく」に変えると、その期待する気持ちは変わらないが、「ようやく」の方はウエイトレスが来るまでの時間の過程に注目することになる。また、「ついに」に入れ替えると、期待ではなく、予想の通りに実現されたニュアンスになる。「とうとう」に入れ替えると、その実現の最終局面に視点を置くことになるとしている。

D つまらなそうな顔をしたウエイトレスがやっと来た。

つまり、これらの副詞は、話者のある出来事に対する心的態度と関連していることがわかる。

 


以上をもって考えると、日本ダービーの到来を楽しみにする自分の気持ちを表すにふさわしい副詞は「ついに」だ。

こんな堅苦しい文章を引用しながらも書きたかったのはダービーに向けての高揚感を正確に書き残しておきたかったから。

 

そう、日本ダービーが「ついに」やってきたのだ。
そんな日本ダービーで本命に推すのはスワーヴリチャード。
今週はいつもに増して、競馬ファンが考察を熱く語らうだろうから理由は手短に。
土曜日の開催は外伸びが目立ってましたが、一部競馬ファンの予想通り内から乾いていくんじゃないですかね。左回りでズドン。前走の活性化もよくて。
アドミラブルは人気落ちで塗りたい。大外は距離損でマイナス、馬場バイアスでマイナスになりそうなものの、ゲートの駐立に難がある馬にとって最後の枠入れというのは絶好。マイナスをはるかに上回るプラスだと考える。そもそも、その程度のマイナスは豊富な体力でどうにかしてくれそうですし。
他にもペルシアンナイト、カデナあたりは必ず抑える所存です。


馬券のことを考えれば数あるレースのひとつでしかない。
そんな態度をとれない青臭い僕としては、なんといっても自分の馬券が外れても納得のいくレースを期待したい。


「やっと」栄冠をつかむのはどの騎手か、「ようやく」ダービーを獲得するのはどの調教師か。
今年も「とうとう」日本ダービー馬が決まる。


*本命馬はもう一晩考えます