頭が悪く、非効率的(宝塚記念)

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 入学の時期になると桜花賞の穴馬に関する話題が聞こえはじめ、年末になると「今年も早かった」と1年を振り返る声が聞こえてくる。それと同じように、夏至の時期にはボーナスの金額に関する話題が聞こえ始めてくる。そんなボーナスに事件が起きた。

 今振り返るととんでもない話だけど、ボーナスの支給もなければ、保険にも加入させてもらえない制作会社に勤め、友人たちからは編集土方と呼ばれていた俺が、ボーナスを受け取れ、保険にも加入させてもらえる出版社に入ってはや数年。なんと10万円ほどボーナスが減額した。

「ちょっとボーナスの金額が減っちゃってさ。」

「え、あなた、それじゃあ家のローンが払えないじゃない!」

「そうは言われてもなあ。」

「娘ちゃんの発表会の衣装、もう予約しちゃったのよ!」

「悪い。けど、仕方ないよなあ。」

「他人事じゃないんだからね!そんな無責任でいるなんて!実家に帰らせていただきます!」

子供でも居たら一大事。離婚の危機だ。良かった良かった。とはいえ、高校生が課題と部活の合間を縫って、あくせくバイトすること100時間ほどのお金が受け取れなくなってしまうわけだ。これは困った。ということで目を落とすのは馬柱。タイミングよく今週末には春のグランプリ、宝塚記念が控えている。

 予想にあたって、手始めに過去のレースを15年分見た。15年というと、毎月毎月小遣いを貯金して母の日にはカーネーションをプレゼントするという、よく理解できない思想を持っていた俺が毎週末稼ぎのほとんどを馬券につぎ込むようになるほどの年月。もっと言ってしまえば、ベビーカーでぎゃあぎゃあ泣いていた男の子が、ベッドの上で「生でいいよね」とか言い出すようになるくらいの年月。そんな、途方もない期間のレースを目を皿のようにして確認した。注目したのは、今回も似たような条件になるであろう、雨が振って、かつ重馬場で施行されたレース。それは15年の間でたったの1回しかない。2008年の宝塚記念だ。稍重以下の馬場で馬券内を外したことが1度しかないエイシンデピュティが逃げを打ち、勝ち馬となった。宝塚記念自体が非根幹距離で、求められる適性も王道路線とは違った特殊なレースということも加わり、同じようなタイプの馬を探したい。と思っていると、俺のボーナスを救ってくれるだろう馬が居た。

 購入する馬券はトーホウジャッカル単勝1点。先行できる脚もあるだけになんとか逃げを打ってほしい。

「えー、でも、重馬場のトーホウジャッカルって1回好走しただけですし、ロベルト系の確変タイミングだっただけなんじゃないですか?逃げ馬っていったら、脚質は違うけど、田辺ジョッキー騎乗ですし、ワンアンドオンリーとか逃げそうじゃないですか?それに、ドゥラメンテは怪物ですよ?抑えとかなくていいんですか?」

 一理ある。しかし、そんな質問、俺から言わせれば、どっちだっていい。眉毛の下剃りますか?って聞かれた時と同じ気持ち。どっちだっていいわ。頭の馬を見つけてその馬を信じて分厚く張る、ただそれだけ。現段階での予想オッズは8番人気の21倍台、無謀と思われるかもしれないが、わずかな可能性を信じて馬券を握りしめる所存です。

 そういえば、とあるニュース記事を見ていると、こんなことが書いてあった。

 信じるに足るものを信じる行為は厳密に言えば「信じる」ではない。

それはデーターに裏打ちされた打算であり傾向分析に過ぎない。過去の事例に照らし合わせ、そうであるという結論を導いたにすぎない。真の「信じる」とは信じるに値する要素が一切ないにも関わらず、盲目的な何かを頼りに「信じる」ことなのである。本当のところの信じるは多分に頭が悪く、非効率的な、生臭い行為なのだ。

なるほど、よくわからんが、なんだか納得させられる。とかく、10万円ほど減額したボーナスを自分の手で取り返そう。そんなのは多分に頭が悪く、非効率的な、生臭い行為であって「普通に働いていい本をつくった方が儲かりまっせ」と言われるかもしれないけど。トーホウジャッカルを信じます。