人工知能で競馬を予想

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 G1連続開催が終わり、いくらか落ち着いた感のある東京競馬場だが、「あ、こいつバカだな」「あのおやじってマヌケなんだよね」という嬉しくなるような博打打ちは、今週も府中に集う。指定席で隣に居た40代ほどの団体10数人は、酒盛りをしながら、仲間内で集った金でWIN5に挑戦していた。WIN1が的中して大喜びしているさまは、マヌケ以外の何物でもなかったように思うが、WIN2、WIN3と突破し続けて盛り上がりが増していくうちに、こちら側もなんだか、的中した瞬間を見てみたいというか、同じ博打打ちとして応援する気持ちが芽生え始めていた。と思うやいなや、WIN4で脱落。その結果を悔やむことなく酒盛りを続ける彼らを、世間は下品と呼ぶかもしれないが、断じて高貴な存在だった。

 その賭場独特の空気感に浸っている間も気になっていたのは、重たい印を打っていたエプソムCでのアルバートドックだ。いつも馬券を買うときは、幼稚園児がはじめてのおつかいに出かける時のごとく「右よし、左よし、もう一度右よし」と決まった要素を確認したうえで、軸馬を決めていくのだが、どうしてもこの馬の乗り役のことだけが気にかかっていた。まあ、終わってみれば、かつての女王候補が勝利を遂げ、見事な力負けという結果。

 人間の脳みそで点検を繰り返したとて、正解に近づくことができないことを改めて分からされるかたちとなった。かつて、黒鉄ヒロシが『純粋競馬』の中で「データは宗教ですから」と語ったが、確かにそうかもしれない。自分で稼いだ身銭を切る際の拠り所のために、データを参照するんだろう。

 データというと、“Target”のことが頭をよぎるが、これからの競馬予想では、人工知能が注目を集めるかもしれない。ホワイトハウスが主催となり「来たるべきAIの世界にいかに取り組むか」を検討する全4回のワークショップの初回講演が行われていたくらい、人工知能への注目度は高い。つい最近も“囲碁界の魔王”という呼び名を持つイ・セドルに土を付けた一件は、大いにネットニュースを騒がせた。だが、囲碁で勝つくらいのこと、博打打ちからすると普通のことで、なんら騒ぐことではないように思う。競馬で馬鹿勝ちしてから自慢しやがれと言いたい。

 人工知能は、自分で最適解を求めながら、学習を続けていくことこそが最大の特徴だという。であるなら、こういう未来に期待したい。競馬に完璧な勝ち筋が無いことを悟って、1-7の馬連を買い続けるなどといった、いわゆる“蟻地獄作戦”など無謀な手に人工知能がひた走るのだ。そうなった未来には「あ、こいつバカだな」と、AIの存在を認めて、共に競馬を高貴に楽しもうではないか。そうなれば面白い、と思ったけど、やっぱり気味悪いですね。とりあえず、函館スプリントステークスにローレルベローチェが登録されているようで嬉しいです。 ホワイトハウスではなく、六畳一間から「来たるべきAIの競馬予想にいかに取り組むか」でした。