コロナ禍:ダービーデイの東京競馬場をレポートする

 日本ダービーは特別なレースだ。その特別さは説明が難しい。いや、説明しようとすればできるものの、説明することそのものこそが軽薄に感じられる。そんな特別さがある。特別なものは特別なのであって、特別以外の何物でもないのだ。そんなトートロジーが許される大レース日本ダービーが今年は無観客で開催されることになった。実に76年ぶり。第二次世界大戦影響下以来の無観客の日本ダービー開催だという。

 タイトルにもある通り、未曾有の事態に見舞われたダービーデイの東京競馬場の様子を観察する。道中の電車は新型コロナウイルスの影響もあってか、ガラガラといっていい乗車率。競馬新聞と睨み合う博徒の姿もそこにはない。競馬開催時に運行される「府中競馬正門前駅」行きの電車も休止されているため*1、「府中駅」から東京競馬場へと歩いて向かう。当たり前だが、いつものダービーデイとはまるっきり様相が違う。

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人がほとんどいない府中競馬正門前駅

 府中駅からの道すがら、缶チューハイ片手に府中競馬場正門前に寄ってみる。
当たり前だが、赤ペン片手に高揚する人だかりはない。私と同じように(なのか)、カメラ片手に競馬場へ向かう人を数人見かけただけだ。駅前のアハルテケ像を矯めつ眇めつ煙草を吸う。発走時刻までは、あと約3時間。競馬場の周辺を歩き回ることにした。

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灰皿がなくなって久しいアハルテケ像周辺

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あの駐車場に車が一台も停まっていない

 すれ違う人は、近所を散歩する風の親子、ジョギングを楽しむ人がほとんど。ではあるのだが、所々に競馬新聞を片手に佇むおじさんが居る。なんとも微笑ましい。「千鳥」すぐそばに居た男性に「競馬場の中には入れないんですよね?」と声をかけてみると、「なんとなく来ようと思いまして」とのこと。わかる。特別な思いが集まる日本ダービー。無観客の開催とはいえ、ついついこの場に集いたくなってしまうものだろう。

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正門前にちらちらと集う見物人

 レース発走までは縁石で待つこととした。レースが始まろうとしても、ほとんど人が増えることはない。入れ替わり立ち替わり、無観客の東京競馬場を観察する人が訪れては、その場を去っていく。15時30分頃にその場に居た人は十数名ほどだろうか。
 レース発走が近づくにつれ、パドックから係員の「止まれ」の号令が聞こえる。平原綾香君が代独唱が聞こえる。競馬場の中に居るわけでもなければ、ガヤガヤとした雑踏もない。しかし、ダービーの現場にいる実感を確かに感じた。式典特有の一連の流れが毎年の日本ダービーのそれを思い起こさせる。日本ダービーを構成する一つひとつの要素が、いま、ここの実感をもたらす。

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東門も閑散としている

 レースの様子は片耳イヤホンのラジオで確認。馬が走り出すと蹄音も聞こえてきたのには驚いた。予想は惨敗。イメージ通りの展開だったものの、本命にしたブラックホールは17番人気の7着。人気を考えれば上々といえるかもしれないが、さすがに無理筋の予想だったということか……ここでダービーの結果に落胆するや否や、周りの人と同様に、即座に目黒記念の絞り込みに入る……そんな定番の動きを取れないことがなんとも残念で仕方ない。

 もちろん無観客の開催となったことも残念。ではあるものの、こんな事態のなかダービー開催までなんとか漕ぎ着けたJRAには、僭越ながら頭が下がる。来年こそは周囲の人と一緒にこの狂想を楽しみたい。月並みでしかないが、そんなことを考えながら帰路についた。安田記念ペルシアンナイトの復権に期待する。

 

*1 これは勘違い。実際には運行されていたが乗り換え案内アプリに表示されず早合点してしまった。

キムタクすげえ…… 『JUDGE EYES』を楽しんだゴールデンウィーク(NHKマイルカップ予想)

 気分よく外出を楽しめなかった今年のゴールデンウィーク。外出自粛の是非はさておき、連休のほとんどを部屋で過ごしたという人も少なくないだろう。かくいう私もその一人だ。
 ここで資格だとか英会話の勉強でもすれば、もう少しまともな生活ができる人生が歩めるんだろうが、せっかくの連休。存分に堕落した。連休初日にPS Storeにアクセスし、セールになっているめぼしいソフトをチェック。『JUDGE EYES』が40%割引で3,000円で売られている。安い。この値段ならハズレだったとしても許せる。子どもの頃に『ボディハザード』をプロパー価格で購入して辛い目にあって以来、ゲームのコスパにだけはやたらと厳しくなっている私も即断で「購入」の一声。
そんなわけで、今年のゴールデンウィークは今さらながら(ソフト発売日は2018年12月13日)プレイしていた。

 

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 もともと「キムタクが 『龍が如く』の世界に入って暴れ放題……」そんな事前知識しかなかった。むしろ、発売当初はこのゲームにネガティブな感情すら抱いていたように思う。ナンバリングを重ねていくだけ。同じゲームシステムを使ってしょうもないスピンオフをリリースするだけ。「維新」だとか「オブザデッド」だとか知らねえええええと飽き飽きしていた。そこにきてあれですか。有名人を使うってだけですか。しかもキムタクってちょっとストレートすぎませんか。えええええ。話題性のつくり方がさあ。ちょっとさあ。


 だが、実際にプレイしてみると、キムタクを操作してエセ歌舞伎町こと「神室町」を散歩するだけで面白いのだ。面白えじゃねえかこの野郎。どれだけ面白かったかというと、やらなければいけない仕事が目の前にあるにもかかわらず 、3日続けて1日10時間以上プレイしてしまうほど。「あともうちょっと、もうちょっと、やっぱりこの章が終わるまで……」が続いてしまう。なんてったってシナリオがよくできている。大筋はこうだ。

 

 いまから3年前。殺人の容疑をかけられた男を無罪に導き、華やかな法廷デビューを飾ったキムタクだったが、男は釈放後すぐに別の殺人事件を起こす。その結果、キムタクに対する世間の評価は“凶悪な殺人鬼を世に放ったインチキ弁護士”へと一転してしまう。
 無罪だと信じて弁護した男が釈放後すぐに起こした凄惨な事件。自分は人の善悪すらも見抜けない弁護士なのか……正義とはなんなのか……弁護士としての信念も失ってしまったキムタクは弁護士バッジを外し、探偵業を細々と営むようになっていた。そんな彼のもとに舞い込んできた依頼が、ヤクザ同士の抗争で出た死体の容疑者として浮かび上がった若頭の潔白を証明する証拠集め。無事に依頼をこなしたキムタクだったが、事件には不審に思う点があった。独自に調査を進めていくと、3年前に担当した事件とも繋がる巨悪の存在が見え隠れする。彼は弁護士として法廷に戻ってくるのか……
とまあ、そんなところでして。まあ法廷に戻ってくることは火を見るよりも明らかなわけですが、そういうの、嫌いじゃないです。

 

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 なんといってもキムタクの存在がゲームの屋台骨をしっかり支えている。科学者が厚労省の役人と繋がっていてラブホテルを根城にしているだとか、医療機関に忍び込んで真犯人を追うシーンでは、そこでは警官を殴る蹴るするわ、建物内で爆発が起こるわ。荒唐無稽としか表しようのない展開が続くのだが、いいのだ。許せるのだ。それこそがキムタクのパワーなのだ。
 かつて心に深い傷を負うなりして、世間に目を背けた気取りがちな男。それがなにかしらで心打たれて、良い格好しいのポーズを捨てて、過去の自分に打ち勝って万事解決……
そう、それでいいのだ。キムタクが演じてきた数々のドラマがプリインストールされている世代ということもあってか、
難しいことを考えない適度なカタルシスがあるのだ。
龍が如くスタジオが『JUDGE EYES』をつくりあげた」ことはまぎれもない事実だが、それと同じ、もしくはそれ以上の力で「キムタクが『JUDGE EYES』をつくりあげた」一作だった。
 キムタクあっての「JUDGE EYES』なのだ。これまで全く興味はないジャニーズの優男だったが、いや、キムタク、すげえじゃねえか。

 

 さて、無観客開催が続いている春のG1シーズン。今年のNHKマイルCの本命馬はハーモニーマゼランに決めた。ニュージーランドTのハイペースを前でしっかり受けられた経験が、イン前高速馬場の府中で輝く。
 ダイワメジャー産駒あってのNHKマイルカップ。そんなところでオチをつけたい。ダイワメジャーダイワメジャーでもレシステンシアの方でした……そんな結末も見え隠れするが、ここはハーモニーマゼランに「目」を向けたい。

JUDGE EYES:死神の遺言 新価格版 - PS4

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  • 発売日: 2019/07/18
  • メディア: Video Game
 

 

 

逡巡しながら……しかないのかね(皐月賞予想)

 左を向いても右を向いても、コロナ、コロナ、コロナである。自然とブログにもそんな話題が増える。それがリアルというもんだ。晩酌を終えて点けたテレビで見かけた番組の話をしたい。


「緊急対談 パンデミックが変える世界 〜海外の知性が語る展望〜」
パンデミックとなった新型肺炎。都市の封鎖や大量死が連日報じられている今、人類は大きなチャレンジを突きつけられている。世界はどう変わるのか。人類は今後どこに向かうのか。歴史学政治学、経済学の各分野で独自の思想を展開する世界のオピニオンリーダーたちに徹底的に尋ねていく緊急特番。
【出演】ユヴァル・ノア・ハラリ,イアン・ブレマー,ジャック・アタリ

 最近の学者に明るくないので、この番組に出演している人たちについて、まったく知らなかった。正確に書くと、「アタリは知ってるぞ」と思ったが、それは『アンチ・オイディプス』で有名な「ガタリ」の勘違いだった。
 それだけに、出演者の人選がいったいどういう座組みなのかよくわからん。「ローレルベローチェ、トウショウピスト、プロフェシーライツ」みたいなよくわからない組み合わせなのかもしれないし、メンバーのそろった有馬記念の出馬表みたいに思えるのかもしれない。さておき、NHKが本腰を入れてつくった類の番組でありそうなことは確かだった。

 ジャック・アタリのコメントを引用する(テレビを見ながら速記したものなので正確ではない)。

人類は未来について考える力がとても乏しく、また忘れっぽくもあります。問題を引き起こしている物事を忘れてしまうことも多いです。かつての負の遺産を嫌うため、問題が取り除かれると、これまで通りの生活に戻ってしまうのです。
人類が今、そのような弱さを持たないよう願っています。私たち全員が次の世代の利益を大切にする必要があります。親として、消費者として、労働者として、慈善家として、そしてまた一市民として投票を行うときにも、次世代の利益となるよう行動をとることができれば、それが希望となるでしょう。

 どの学者も今回のコロナウイルス騒動に向けて前向きな言葉を並べている。
 その大切さも正当性もわかる。しかし、私はといえば辟易のみだ。改めて自分の能無しぶりを突きつけられているような気さえする。
 中国で感染が広がり始めた頃は対岸の火事のように捉えていたし、日本国内で感染者が出始めてからも「マスクつけると息苦しい」だの「結局重篤化するのは高齢者でしょ」だのとのたまって他人事を貫いていた。そして今はなるべく外出を控えているザマだ。極めて一貫性がない。しかしどうしろというのか。何がベストな選択肢なのかはわからない。
 科学的な知見のない自分のような人間にとっては、あらゆるメディアから発信される情報を取捨選択して、人間的生活が侵されない程度の対応をとることしかできない。それが正しい行動なのかもわからないままに。そもそも、正しい行動なんてものがあるとすれば…… の話ではあるが。

 とかく、ああでもない。こうでもない。そんな風に逡巡しながら過ごすしかないというのが素直な思いだ。少なくとも社会の停滞に自分が加担しないようにしたい。ってほんといつまで続くんだよ……

 

 なんて暗くなってても仕方ない。ありがたいことに(無観客でこそあれ)競馬は今週も開催される。クラシック。皐月賞。メンバーもさることながら天候も含めて今年は特に難しい。本命はブラックホールダーリントンホールか。馬場がどこまで回復するかを加味して最終的な印を決めたい。逡巡しながらステイホームの休日を過ごす。迷いながら生きていくしかないのが現状だ。そんな感じで。

みんなの記憶の片隅にある「“駅ビル”の思い出」(大阪杯予想)

 あなたには思い出の駅ビルがあるだろうか。俺にはある。というわけで書く。

 俺の知らぬ間に「ASSE」が閉館していた。54年の歴史に幕をおろしたという。
パッとしないアパレルショップ、品揃えの悪い書店、小汚いトイレ、観光客に金を落としてもらうための狙い以外ない飲食店(ただしお好み焼き「麗ちゃん」だけは別格)……「ASSE」はどこにでもある駅ビルだった。屋上にちょっとした遊園地でもあればノスタルジーな魅力が増されるものだろうが、そんなものはない。もちろん、ブランディングにしっかり力を入れているというわけでもない。「駅前市街地の空洞化」を体現するような駅ビルだった。
 思い入れがないわけではない。通学時に必ず通る駅ビルで、中学2年生の頃には他校の女子と手をつないであてどなく歩いた。2,3回のデートで自然消滅した。5階にあった書店で格好つけて思想棚に並ぶ本を立ち読みしていた。内容は一つも理解できなかった。打ち上げというものをはじめて体験したのもASSEでのことだった。文化祭後に30人ほどで鉄板焼き屋に行き、その場のノリでビールを頼んだ。店員に断られた。
 進学を機に上京した時に降りたった高田馬場駅。妙に落ち着いた心持ちになったのは、今思い返すと駅ビル「BIG BOX」に既視感があったからかもしれない。都会に出て地に足がつかないことはなかった。駅ビルのヤレ具合に地元とのつながりを覚えて、東京の暮らしにもすぐ馴染んだ。大学はすぐにやめた。
 あなたには思い出の駅ビルがあるだろうか。きっとある。それだけ。

 

 さて、大阪杯。かつて「BIG BOX」に覚えたような「既視感」を感じさせられるジナンボーに本命の印を打った。常に行きたがる彼の走りには、母アパパネの姿がダブったのだ。

明確な逃げ馬がいない今回のメンバー。テンがない(印象の)ジナンボーにとっては理想的といえるだろう。前走で馬体を増やし、本格化の兆しを見せつつある良血馬に期待したい。

「予想通り10万の負け。帰り、ヤケ酒とラーメン」――あるギャンブル中毒者(男性・50代・会社員)の日記を読む

 自宅からほど近くに「手帳類図書室」という施設がある。

人が記した手帳や日記やネタ帳など、あらゆる「手帳類」を収集する志良堂正史のコレクションを読むことができます。ギャラリーの一画で、誰にも見せるつもりじゃなかった手帳類を、1時間1000円からご覧いただけます。手帳類の筆致や筆跡、手触り、音、においなどを、あなたの五感で解釈してみてください。

 興味をそそられる人も少なくないだろう。現にテレビ・ラジオ・新聞・雑誌など、さまざまなメディアでその取り組みが紹介されている。私もかねて興味はあった。とはいえ、自らピーピング・トムになるということは少々気恥ずかしく、“気にはなるけど行ったことがない”施設のひとつとして、その横を通り過ぎるだけだった。
 そんな手帳類図書室に行ったという友人から一通のメッセージが届いた。
「この間、参宮橋の知らない人の手帳が読めるところに行ったよ。中年ギャンブラーが死ぬまでの手帳もあったな……」
 かねて、市井の博打打ちに関心を抱き続ける人間には「行く」「読む」以外の選択肢は残されなかった。“最後は死んでしまう人の日々が綴られた日記”ということで、ためらうような気持ちもよぎったが、好奇心には太刀打ちできない。

 

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 メッセージを受け取った週末。早速行ってきた。洒落た雰囲気、入りづらいアートギャラリーの受付で「手帳類図書室」の利用を伝えると、その奥にある小さなスペースに案内される。リングで綴じられた収蔵手帳リストを渡され、一つひとつの手帳に割り当てられた番号を受付の女性に伝えるとその手帳が読めるシステムであることを知らされる。 脇目も振らずに目的の手帳を探す。あった。
 番号を伝えて手渡されたのは想像以上に大きな手帳だった。大きさはB5、厚みはおよそ3cm。茶色の革張りで、表面には21世紀からの10年日記というタイトルが刻まれている。

 

※あとで検索してみるとこの手帳のようです。日本直販

 

  日記の内容はというと…… 仕事の愚痴やスナックでの色恋、そしてギャンブルについての断片的な記録が端的に残されていた。正直な感想として、それはギャンブル愛好者の普遍的な日常だった。

 もちろん時々でグッと胸が絞られるような内容も日記に残されているのだが、それはきっと私たちの人生ともそう大差はない。私やブログを読んでいる人と違うことはといえば唯一で、すでに書き手が死んでしまっているということくらいだろう。忌憚ない言葉で書くと、あまりにも普通なギャンブル好きとしての日常があった。

 しかし、その日記を記していた人はすでにこの世にいない。つまり、私たちのような人間にとってあり得た(あり得る)一つの人生かもしれない。だからこそ、自分自身、そして、同じようにギャンブルを愛好するこのブログの読者にも紹介したいと思った。「手帳類図書館」に寄贈した人のメッセージを読むと「このような生き方をした人がいたことを知っておいてほしい」と書いてある。
 ならば、ブログで紹介してもいいだろう…… そんな思いで、こうしてブログを書いている。故人の日記を紹介する軽忽さを指摘されれば言い訳のしようもないのだが、一切収益化していない(そもそもできない)ブログでの紹介ということで、どうか勘弁されたい。

 

 日記を書き始めたのは2001年1月1日。以下、引用部は誤字・脱字を含めてすべて原文ママ(ただし読めなかった文字は××と記しています)。

2001/1/1
51歳で始めての日記ドキドキです。
年始の計画につつましく節約を勤めることをせず、年初に毎年正月はオケラになる。ゴルフだけにしておきなさい

 そんな思いとともに新年を迎えたにもかかわらず、男性は数日後早々に博打を始めてしまう。

 

2001/1/6
本日船橋オート初日。又気持が高ぶる。行くのをよそうと思いきや、行ってしまい、予想通り10万の負け。帰り、ヤケ酒とラーメン餃子で北区。正月休みは本日で終り。個人的には、いい休みとは言えなかったね。

 数日前の自分はなかったことになっているのだろうか。オートレース場に出かけて10万円の負け。さすがに大きな負けに懲りたのか、以降はギャンブルに精が出ない日々が続く。この二日後の日記には「まだ若い。70才まで仕事がしたいと思う」ともある。

 

2001/1/23
きのうもらったネクタイをしめ、はりきって出勤。相変わらず肩が痛くてダメのよう。会社の女性鈴木が薬とシップをもってきて朝から塗り込む。夜、サロンパスを貼ったら、少し軽快。金も無いので、自宅で食事を作り食べる。自分ちの食事は、自分で言うのも変だけど、本当においしい。

 いたってまともな生活を送っている。倹約に努めているようにもとれる。そう思いながら読み進めると、こんな日記が目に留まった。

 

2001/3/26
自己破産免責決定となる。会社へ行き、打ち合わせの後裁判所へ。(中略)僕は幸福な男だと思う。

 なんというか、懲りてない。私も人様のことをとやかく言えた立場ではないが、自己破産免責決定日に「幸せ」だとなるんだろうか。いや、なるのかもしれない。わからない。少なくとも男性はなっていたらしい。借金の原因はわからないが、日記を読むに事業を興しているわけでもなく、企業勤め(不動産関係)のサラリーマン。十中八九ギャンブル絡みの借金だろう。
 以降も男性のギャンブリングライフは続く。数千円、時に数万円の勝ち負けを繰り返し、仕事に努め、たまの贅沢に「台ワンクラブ」に出かけ、大きな変化の起こらない日常が続いた。ように思われたが、男性の心の中はそうではなかったらしい。

 

2003/1/16
本日パチンコを止める決意。56才にして始めてパチンコを止める決意

 これまでも、自分に向けて「よくない」とは書いている日記はあったものの、「決意」というほど強い言葉は出てきていなかった。新年を迎えたにあたって、ついに意志を固めたのだ。
 しかし、男性はその十数日後マルハンに赴いた日記を残している…… 次につながる日記がこうだ。

 

2003/2/5
止めようと思っているパチンコが止められず、本日は朝10:00出勤のパチンコである。本当にバカは死んでも治らないね。一日中して結局2万負け。そごうで買物し、×××の湯でくつろぎ、自宅には9:00過ぎ。今度はパチンコを止められそうかな!

どんな思考で「止められそう」と思ったのかはわからないが、男性はどうやらパチンコを止められそうだと思っているらしい。

 

2003/2/6
本当にパチンコを止められそう。今日最後の勝負で始めて、自分にはパチンコは向いていないと思った日はない。頑張れよ!!!(注:今日最後の気持ちでパチンコに行って負けた。自分は本当にパチンコに向いていない。これほどまでに痛感したのは生まれて初めてだ。の意だと思われる)(注注:これまでの日記でも何度となくパチンコに向いていないことについての呪詛は記されている)

案の定である。さらにその翌日。

 

2003/2/7
今日も仕事は真面目に行う。久しぶりに単チラを××××で2,000枚ほど巻き、多少昼寝もしたけど。あいみと××が木下サーカスへ行ってしまったことを聞き、残念。ゴルフ練習もとりやめ、パチンコへ行く。久しぶり2万プラス。

またパチンコに出向いている。ここまでくると、男性にとってのパチンコはあらゆる感傷を癒やしてくれるたったひとつの遊戯だったのかもしれない。

 

2003/2/8
仕事的にはヒマな一日。土曜日なのに。今日は2.8の日なので、パチンコウラノスの出る日だとのこと。又、仕事の帰りに行ってしまった。プラス0.8万の為、だんだんツキが回ってきたのかな。

 こんな風に、罪悪感を抱きながらも、ギャンブルをする自分を受け入れる日々が続く。ギャンブルの沼にはまった人間であるなら一度ならずとも抱いたことのある感覚だろう。

 日記は鉛筆であったりボールペンであったり、おそらく自分の身の近くにあったであろう筆記具で綴られている。一時は「今日はフデで書きたい気分」として、筆文字で日記をしたためていた日もあった。

 本人の言葉では「10年日記も半分を迎えた。なかななかな根性である」とのことであったが、その実日記を書くことを楽しみにしていたように感じらていたんじゃないだろうか。筆記具にこだわらず、その日あった出来事、感じた思いを、どの日も、スペースいっぱいに書き込んでいた。

 しかし、死期が近づくにつれ、どんどん文字がか細くなり、筆圧も弱まっていた。最後に記されていた一文はこんな内容だった。

 

2007/5/21

本日も朝から吐き出し、食べなくても胃酸が出っぱなしである。12時に××クリニックに行き診さつ。胃の中に胃酸1.8l入っている。これを取り除き、胃と胸の間にポリープ発見。××病院入院手続き。

  日記の巻末に(おそらく寄贈にあたって)貼られていた戸籍謄本によると、日記を書きしたためていた男性は2011年1月14日に亡くなっている。入院後も数年生き延びられたようだ。しかし、体調が芳しくなかったのか、日記が更新されることはなかった。

 入院している間、男性はギャンブルを楽しむことはできたのだろうか。日記に残されていないだけにわからない。しかし、いまはきっとどこかでギャンブルを楽しんでいることだろう。どこの誰かも知らないが、同じギャンブル好きとして冥福を祈った次第。