『セイバーメトリクスの落とし穴』を読んだ

 

セイバーメトリクスの落とし穴 (光文社新書)

セイバーメトリクスの落とし穴 (光文社新書)

 

シーズンが始まったら試合を見ない日もちらほらあるのにキャンプでのなんてことない守備練習を穴が空くほど見てしまう…… そんな、1年で最も野球に飢えているこの時期にトンデモない本が出たぞー!

著者は“野球経験は中学の部活動(しかも途中で退部)までだが、様々なデータ分析と膨大な量の試合を観る中で磨き上げた感性を基に、選手のプレーや監督の采配に関してTwitterでコメントし続けたところ、15,000人近くのスポーツ好きにフォローされる人気アカウント”として知られるお股ニキ。

光文社も攻めますね。菊池涼介渡辺俊介高津臣吾に並んで“お股ニキ”ですからね。しかし、聞き馴染みのない間の抜けた名前だけで敬遠するのは早計早計。


第1章 野球を再定義する

「最適バランス」を探るすごろく/田中角栄に学ぶ相対思考/高速化する現代野球/正解のコモディティ化

「柔よく剛を制す」の思い込み/イチローと上原の「ありえない」技術/才能へ回帰する残酷な世界 

第2章 ピッチング論 前編(投球術編) 

最も「野球的」なプレー/「パーフェクトではなくグッドを目指せ」/藤浪と薮田に見る制球の最低ライン/ 

野村、吉見、三浦……技巧派投手の罠/「8割の力」がプロで活躍する鍵/過度なクイックの弊害/メジャーのストライクゾーンは狭い 

第3章 ピッチング論 後編(変化球編) 

ボールはどのように変化しているのか/軌道を決定する3要素/縫い目を使う特殊な変化/ストレートの「ノビ」を科学する/ 

ありふれたジャイロボール/深すぎるカッター/構造的に打てない落ちる球/大谷と田中のスプリットが「魔球」であるわけ/ 

万能変化球「スラッター」/あらゆる弱点を克服?/スラッターの欠点/88マイルの最適バランス/スラット・カーブ理論/ 

カーショウと星野伸之/スラット・シュート理論/「必要経費」のツーシーム/変化球論がもめるわけ 

第4章 バッティング論 

フライボール革命とバレルゾーン/投手は大型化、野手は小型化/柳田や丸の必然的な弱点/ダウンスイング信仰の闇/ 

日本で「右の大砲」が育ちにくい理由/連続ティー練習の問題点/「動くボール」は前で打て/「フォーム」ではなく「トップ」が全て 

第5章 キャッチャー論 

キャッチャーの5ツール/フレーミングという技術/数字でわかるフレーミングの重要性/帰納法的アプローチ/「古田型」と「里崎型」/ 

配球の影響は証明できるか/「ビジネス的中間球」の必要性/玉砕戦法「インコース特攻」/落合、松井、大谷に見る強打者への近道/ 

クロスファイアに依存する日本の左投手/野村克也の大いなる功罪/「秀才」里崎智也は意外と保守的 

第6章 監督・采配論 

大阪桐蔭が体現した野球の本質/良い監督の条件/プレイングマネージャーという愚行/監督はシェフであり主婦である/采配が狂っていく理由/ 

増し続けるコーチの重要性/打順における不毛な「格」/「2番最強打者論」の本質/「ジグザグ打線」の真の意味/日本人の異常な送りバント信仰/ 

小技の野球は弱者の野球/ビッグボールとマネーボールが勝てない理由/「トータルベースボール」の実践/真の「守護神」はストッパー/ 

レバレッジで考える継投ルール/先発投手のリリーフ化/オープナー、ブルペンデー、規定投球回/ポスト分業化時代のユーティリティ/ 

180度異なる短期決戦/ピッチャーズパークとバッターズパーク/球場のデザインが試合に与える影響 

第7章 球団経営・補強論 

ソフトバンクモデルと日本ハムモデル/アイビーリーグ人材の参入/アメスポは社会主義なのか/戦力均衡策が「タンキング」を生む逆説/ 

タイミングが命の「コンテンダー」/「目利き」が基本の日本球界/成功体験の幻影/「球界の盟主」争奪戦/セイバーメトリクスの落とし穴/ 

バレンティンのWARと本当の価値/「三振以外は全て運」なのか/ピタゴラス勝率に表れるレベルの差 

第8章 野球文化論 

一発屋」と「作業ゲー」/再現性により失われるドラマ性/伝説的名将、栗山英樹/カーショウという名の怪物/スラット・カーブの極み/ 

永遠のアイドル、ミゲル・カブレラ/オールラウンダーの時代/「見えすぎる時代」の功罪/意外と大きい「パワプロ」の影響/蔓延する勝利至上主義/ 「合成の誤謬」で負け続ける日本/野球は輪廻を繰り返す/開幕オーダーは所信表明演説/世界の野球を見る意義/野球にも「感想戦」を 


これらの小見出しを見て興味関心を抱かない野球ファンがいるでしょうか。いません。はい。キャッチーな切り口でありながら、内容はデータが下敷きにされていて濃密。これまで考えたこともなかったことに対する気づきに溢れ、こういうものだと決めてかかっていた思い込みが誤りだと指摘される…… いやーいい新書でした。

やや大げさかもしれませんが、これを読んで野球を観るのと、そうでないのとでは、野球の楽しみ方が一味も二味も違ってくる、そんな新しい視座に気付かされたと思ってます。

そういう意味で、町山智浩名著『映画の見方がわかる本』の野球版がついに出たぞ!(それを標榜していたであろうセイバーメトリクス本が散々な内容だったのはある種の皮肉)という感でいっぱいです。というわけでどんどん書く。


なお、これから記される文章は、年間10試合ほど現地観戦をするも、球場では楽しさのあまり、ついつい酒を飲みすぎてしまい、野球を見に来てるんだか酒を飲みに来てるんだかわからなくなってしまう、野球に不真面目な広島東洋カープファンが書いた、尾籠にほど近い文章です。なんなら今も飲酒していますし、野球について長々と書く語彙を持ち合わせていないので、本文の中で特に琴線に触れた箇所を引用していくかたちで続けてみようと思います。

 

最高のチームバッティングとはホームランを打つことである

p.19 「最適バランス」を探るすごろく

言われてみればたしかにそうだ。4安打を一度の打席でなしているんだから、ノーアウト1塁の右打ちよりも理にかなっている。常にどの選手もその意識、ではいけないけど、たしかにそうだ。西武の山川穂高がことさら声高にホームラン狙いを公言するのもチームバッティングのことを思ってのことなのかもしれない(そうではないような気もするが…)

 

クイックを速くしすぎるとそもそも相手走者が走ってこないので盗塁阻止のメリットを得られず、なおかつボールが乱れて打たれる最悪のパターンに陥る。盗塁アウトのメリットを享受しつつ、ボールの質を維持できるバランスが重要である。日本シリーズにおけるソフトバンクは、このバランスが最適だったのだ。

p.61 過度なクイックの弊害

うっ…頭が痛くなってきた…… たしかにソフトバンクの選手はクイックが適度にうまい選手が多い。投手ごとの被盗塁数or被盗塁企図数が見てみたい。本文は、“目的はクイック自体でなく「トータルでの投球結果の最大化」”と続くが、まさしく。盗塁を気にするあまりバッターに集中できていないピッチャーを見るのは心臓に悪い。いっそのことオールワインドアップの方が絶対結果よくなるでしょ…と思うこと、ありますよね。

 

(スラッターは)制球ミスしたらおしまいではなく、ミスしてもなお武器となるところが、他のボールとは明確に異なる。つまり、高めに抜けたら長打を打たれやすいフォークやスプリットの弱点も克服しているのだ。

p.101 万能変化球「スラッター」

この本の白眉。語られている変化球論はパワプロで育った自分にとって目から鱗の連続だった。回転数と回転角度にタテヨコの変化量という生データ、実際の球の動きを見て変化球を捉える重要性。ノビのある球ほど初速と終速の差があるというのもたしかになるほど。FRBによって脚光を浴び始めたスラッター。打者と投手の駆け引きは、他のスポーツにおける戦略進化と同様に狐の化かしあいで、螺旋状に戦略が発展していってることに気づかされる。回転角度を微妙に変化させるプロ野球選手の身体性にも驚嘆。

 

ソフトバンク会長の王貞治氏は現役時代、日本刀を持って天井からぶら下げた紙の短冊を、ダウンスイングで素振りし続けた。その鬼気迫る表情は映像に収められており、人々の脳裏に鮮明に刻まれている。しかし、実際に試合中の川上や王のスイングを映像で見ると、ダウンスイングではない、王のホームランは最下部から17度の角度でスイングしており、理想の角度である19度と近い。王の一本足打法はアッパー傾向が強くなり「すぎて」しまうため、それを矯正するために日本刀でダウンスイングの練習をしていたそうだ。

p.139 ダウンスイング信仰の闇

まぶたに浮かぶあの映像……もちろんいずれゆり戻しはあるんだろうけど、少年野球レベルで指導に変化があって、バレルゾーン狙いを徹底するチームが出てきたら応援したい。って、もう存在するんでしょうね。旧態依然がはびこる少年野球界にそんなチームが颯爽と登場して新たなドラマが紡がれる。楽しみ。

 

過度なスモールベースボール信仰や技術信仰、結果論からの過剰なチームバッティングを求められるあまり、逆方向への打撃を目指しすぎた結果として多くの打者が本来の打撃を崩している。特に右打者は深刻である。

走者が一塁や二塁にいる場面において、左打者の場合は引っ張って長打を狙うことと、最低限セカンドゴロを転がして進塁打を狙うことは相反しない。そのため、左のプルヒッターは「チームバッティングができる」と評価され、バッティングを矯正されにくい。

p.141 「右の大砲」が育ちにくい理由

なるほどの一言。ノーアウト一塁の局面で引っ張る右打者を見ては文句を言いたくなっていたが、文句を言うべきは自分の凝り固まった発想に対してである。

 

キャッチャーとしても自らの壁性能に自信がないと、結果的に窮屈な配球となってしまう。キャッチングの基礎レベルの高低が、配球や投球自体にも影響を及ぼすのだ。

p.157 キャッチャーの5ツール

配球を語るときに配球を語ることは誤っているという一休さん的とんち発想が思わず浮かぶ。たしかにこのボールを放ってほしくても、投手・捕手双方にわずかなりとも不安があれば、理想のピッチングはできないし、理想の要求もできない。配球の前提条件には、いつも捕手のその他の基礎技術が介在するわけだ。たしかに。

 

日本にでは左右の打者が交互に並ぶ「ジグザグ打線」や、相手投手の利き腕と反対側の打者を並べる、いわゆる「左右病」など、極端に考えるケースが多いように思う。利き腕に過剰にこだわる必要はない。例えば外へ逃げるチェンジアップや内へ食い込むカッターを得意とする左打者は右打者を苦にしておらず、左打者の方がむしろ投げにくい場合も少なくない。単純な相手の利き腕ではなく、実態を見るべきだ。左のアベレージヒッターに出塁させ、クイックで球威が落ちたクロスファイアを右の大砲が狙うといった機能性が不可欠である。

本当のジグザグ打線とは、積極的にスイングする「積極型」と、ボールをよく見る「待球・出塁型」を交互に並べることだ。

p.208 「ジグザグ打線」の真の意味

当たり前といえば当たり前の話し。だけど、左のワンポイント起用で抑えちゃったりしたもんなら、無邪気に「名采配!」と思っちゃうことがないとはいえない。もう一歩踏み込んで、その実態を図って野球を楽しく観戦したい。緒方にも是非この箇所を読んでほしい。ついでに福良にも読んでほしい。そうだよ2015年ザガースキーの一件だよ。

 

ポジションを固定せず、さまざまなことを高いレベルで維持できるスーパーユーティリティは、補強戦略も楽にしてくれる本当にありがたい存在だ。キャッチャーと内野手は親和性が高いから、キャッチャーと内野を両方こなす選手も増えるかもしれない。力のある捕手を2人揃えられれば併用できる上に、3番目の捕手を削って投手を多く登録できる。(中略)ハイレベルなプロ野球では分業化が進む一方であったが、運用の概念が不可欠となった昨今は、かつての高校野球のようにさまざまなポジションをこなす選手が増加していく「ポスト分業化時代」に突入していると考えられる。

p.240 ポスト分業化時代のユーティリティ

今年から登録枠が増えたものの、戦略的に狡猾になるためには、1人ひとりの選手にさまざまな役割が求められるし、シーズン固定枠の聖域を0にしたい……というわけで、複数のポジションを兼業できる選手が増えるに越したことはない。ああ木村拓也がいれば……冥福を祈る。 

 

セイバーメトリクスの落とし穴』を読んだ昨今ワールドチャンピオンに輝いたチームに共通しているのが「タンキング」である。タンキングとは早くから優勝を諦め、選手を放出し、年俸総額を下げ、「わざと負ける」ことだ自チームの順位を下げ、ドラフト上位の指名権を狙う戦略である。

p.268 戦力均衡策が「タンキング」を生む逆説

これ、全然知りませんでした、MLBを全く見ていないせいですね。いやはや不勉強を恥じます。本を読んで受けた印象でしかないものの、MLBは制度が本当に言葉通りシステマチック。それでいて、制度の穴はいつだって誰かに突かれるもんですね。

 

広島が三連覇する前の弱小時代、あるファンを見ていると、失礼だが正直レベルが低いなと思うことがあった。勝っていないチームにはそれなりに勝てない理由があり、戦力が劣るだけでなく試合の進め方や考え方も未熟であることが少なくない。ファンもその一部だ。

p.331 世界の野球を見る意義

わ……わかる…… 負けが常態化したチームのファンは諦念や理性の放棄に陥りがちな傾向があるように感じる。そのチームが好きなだけならそれでいいのかもしれないけど、野球が好きなら、もう一歩踏み込んで、内容を正しく吟味して、いい部分を再認識することで希望を見出して……と、楽しみにつなげていきたい。数年後、カープの惨状を嘆いているであろう自分に向けて書いておく。

 

と、ここまで、ご丁寧に画面をスクロールしていたそこの貴方! こんな長文をスクロールするほど興味があるってことでしょう! この本、買いですよ、買い。

(特にNPBを主に見ている私のような野球ファンにとっては)ほとんど知らないようなMLBの発想・戦術・理論や、生データに基づいた変化球の考え方など、多くの新たな知見にあふれていますし、上でもいくつか紹介したように、経験や流説によって凝り固まった先入観も解きほぐされます。繰り返しになりますが、この『セイバーメトリクスの落とし穴』は『映画の見方がわかる本』の野球版だと確信します。


余談ですが、僕が野球を面白いと思うところは、他のスポーツに比べて流れがゆったりしていて酒を飲むのにちょうどいいスポーツであるという点はさておき、一選手を追って見えてくる悲哀に満ちたドラマであったり、(結果を残した選手でさえ人身売買的残酷ショーともいえる人的補償の駒にされる!)、球団を取り巻くファンの模様であったり、応援の一体感であったり、球場の雰囲気であったり、プロ野球選手が見せる超人的な身体能力そのものであったり、挙げればキリがないんですが、この本を読んだことで、もう一歩踏み込んだ、より技術的な部分もこれからの野球ファンは楽しめるのだということを確信しました。テクニカルな面については“わかった気になってる”だけですが、これから野球を見続けるにあたって、より野球をしゃぶり尽くす見方の入り口を教えてもらったように思います。おすすめです。

あ… (つい『なんとなくクリスタル』を連想してしまうような)主観とユーモアに溢れる注釈は、時に日本社会やビジネス・人生を看破するほどに真面目な印象の本文とは対照的で、著者の言葉を借りるならスラッターとカーブのように巧みな相互作用が働いていて楽しいですよ、これまたおすすめです。


*「引用の範囲内」という考えで本文を引用しておりますが問題があるようでしたらご指摘ください……