「春」の訪れを待つ(中山記念予想)

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立春を迎え、暦の上ではもう春を迎えたわけですが、朝晩はまだまだ冷え込む日々が続いて厚手の布団が手放せない。そろそろこの寒さも勘弁してほしい。居住スペースを侵食する植物を外に出すためにも、一刻も早くおだやかな春が訪れてきてほしい。そう思いながら日々を過ごしている。

春の訪れを待つ気持ちは、なにも私に限った話ではない。手元のことわざ集を開いてみると、世代問わず万国共通、各人が各人の春を待ち望んでいることがよくわかる。

19世紀にイギリスの詩人シェリーは、つらく厳しい時期を耐え抜けば、必ず幸せがめぐって来るというたとえ。寒くて暗い冬が来れば、暖かく明るい春がすぐやってくるというあかしだという意味で「冬来りなば春遠からじ」という言葉を残し、20世紀に作家の宮本百合子は辛抱の念を「うららかな春は厳しい冬のあとからくる」としたため、ロシアには「親切な言葉は、春の日差しのように暖かだ」という諺が、中国には「春宵一刻値千金」という諺が残されている。

このページ以外にも、春についての言葉は他の季節に比べて数が多い。そして、その多くは冬の過酷さを耐え忍んだ先に待っているうららかな春の気持ちよさを謳った言葉だ。


そんな誰もが待ち望む春、の大一番・大阪記念に向けたステップレースのひとつ中山記念で本命の印を落とすのはラッキーライラックに決めた。

2歳時には最優秀2歳牝馬の栄冠に輝いた彼女だったが、その後は体調が回復しないこともあり、アーモンドアイに辛酸を舐めさせられ続けた。いうならば、ここ数ヶ月の競走生活は「過酷な冬」のようなものだったろう。

そんなラッキーライラック、偶然にも「春の訪れ」を知らせる花として知られる“ライラック”の名を馬名に持っている。一般に「春の訪れ」という言葉は、冬の寒さによる過酷で抑圧された生活を対照し、「抑圧からの解放」という比喩として用いられるわけで。ラッキーライラックも、その名の一部が示すような「春の訪れ」、つまり「抑圧からの解放」、つまり「勝利」を掴むタイミングがやってきたというわけだ。季節もこのこじつけにふさわしい頃合い。本命はラッキーライラック。なんとか俺の財布にも春を訪れさせてほしい。俺の財布にも、抑圧からの解放を。そんな風に願う。

間違っても、寒さによる過酷な冬に続いて、花粉によるさらに過酷な春を迎える……  といった結果にならないことを願いながら、レースを見守ることとする。「春」の訪れを待つ。