ギャンブル論文つまみ読み

大学講師として教壇にも立つ芸人サンキュータツオが著した『もっと ヘンな論文』で取り上げられていた「曖昧さが残る場所ー競艇場エスノグラフィー」という論文が面白かった。そこでGoogle Scholarで気になるワードを打ち込んでみると、なかなかの数のギャンブル関連論文が引っかかったので、斜め読みして面白かったものをメモがわりに列挙してみる。各論文は誰でもアクセス出来るインターネット下にあるんで、興味ある方はタイトルをググったりなんだりすれば読めます。


日本の公営競馬における「競馬必勝法の具体例」

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馬券における裁定取引の実現可能例を示した、馬券好きなら誰もが「おん?」と思ってしまうような概要から論考は始まる。

金融市場の裁定取引とは方法が違うものの、勝馬投票券の投票締切直前に適切な種類の馬券を購入することで「馬券購入額37,900円、最低利益額(=自らにとっ て最も都合の悪い着順が実現したときの利益額)3,400円」という必勝取引を実行可能であったことを具体例とともに示す(さらに筆者は、そのようなレースが地方競馬に豊富に存在することを指摘する)。

こうした夢のような話には疑いをもってかかるのが当然で、その先鋒として「現実に馬券を購入するときには総売上枚数が最終的にどうなるか原理上知り得ないですよね!」という意見したくなったが、筆者はその意見にも先回りして

裁定取引実行時点でのオッズから「その時点における総売上枚数」は逆算できるため、過去のレースにおける<「締切 5 分前時点での総売上枚数」と「最終的な総売上枚数」>の関係式を当てはめることで当該レースの最終的な総売上枚数を裁定取引実行時点においてある程度正確に予測することができる(つまり、予測が下ブレした時のリスクを鑑みたうえで裁定取引ができる)ことを鮮やかに説いていく。私は数字に弱いので、本論を読んでなお実行可能性について半信半疑ではあるものの、馬券というものに対してのアプローチとして新鮮だった。

筆者の芦谷さんは「『穴馬への過剰な選考』に関するサーベイ」という先行研究も行なっている。なんとまあ酔狂な。

 

競馬場の男性学ー居場所論からの自己の社会学(2)ー

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大井競馬場に居るときに「自分らしさ」を最も強く感じるという筆者が“地方競馬場がいかにして高齢男性の<居場所>となっているか”を論じる。

平日の10〜16時に開催され、(中央競馬とは異なり、無料の)バスで競馬場に行き来するという、地方競馬固有の特徴を「勤労」になぞらえながら、働くことそのものがモチベーションになりえた団塊世代が定年を迎え、勤務先を<居場所>とできなくなり、(自宅を<居場所>とする機会を奪われつづけた彼らは)図書館などの公共施設やパチンコなどの遊戯施設、あるいは早い時間から開催している公営ギャンブル場に<居場所>を見出すようになるのだと推測。特に競馬場は100 円〜200円の入場料を払ってしまえば、広い敷地内で思いのままに過ごすことができると論旨を展開し、彼らが現役時代に植えつけられた、男性性を基本とした労働規範による「通勤・勤務による職場の<居場所>化」を平日開催の地方競馬場が代替していると結論づける。

「競馬場と女性たち」の項では、JRAの広告戦略から見出される、競馬場に集う女性の話(反論したくなる女性競馬ファンも多いだろうけど)。端的かつ実感にも即していて興味深い切り口。

“競輪・競艇オートレースと違い、競馬場に関しては競技中の騒音がほとんどない。敷地の外れまで行ってしまえば物音すらないことから、

競馬をしない自由すら保証されている点に競馬場の寛容さがある。”という指摘は、競馬場で予想もそこそこに本を読んで過ごすことの少なくない私は手を叩いて同感。競馬場は本当にゆるやかな赦しが与えられる空間だと思う。

 

公営競技場の有効利用に関する観察

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昭和の時代、多くの入場者があった頃を基準に施設が整備されている公営競技場。その多くは2000年代以降に廃止の憂き目に。いやはや、レジャーの多様化が進んだ昨今、入場者の減少に対応した施設の対応・活用が課題ですよね……というわけで、これまでに廃止した公営競技場が現時点でどのように再利用されているのかを振り返り、競技場の持つ地理的特徴からどのような活用法が考察され得るのかを考えていくという内容。

思えば、自分自身廃止した競馬場が現時点でどのような有効利用をされているのか知らないことが多かった。

本論文では、利用状況について「産業系の利用」「住宅系の利用」「公共系の利用」と分類しており、産業系の利用として、上山競馬場蔵王フロンティア工業団地として工場を誘致していること。旭川競馬場は、タイヤのテストコースとして売却されたこと。公共系の利用として、足利競馬場はスタンド等が取り壊され運動公園としてウォーキングコース・軟式野球場・テニスコート・遊具エリア等が整備され、敷地の一部に病院が整備されていること、中津競馬場はアリーナ・野球場等からなる運動公園として整備され、敷地の一部には商業施設が立地していることなどなどがまとめられている。

公営競技の多くはネット販売で売り上げこそ回復しているものの、入場者数は横ばいor減少傾向にある云々……という話はよく見聞きしますが、先の論文で触れた“ゆるやかな赦しの空間”として公営競技場が一つでも多く後世に残ってほしい、と考える身なもんで、「赤字=廃止」という最悪の事態に陥らないためにも、開催日以外の有効活用だとか、コストカットだとか、防災時の拠点となる施設整備だとか、お金の面でもそうでない面でも、存在価値を高められるように各主催者が動いてくれると何より。この論考はそのあたりまで補足・展開されている。


競走馬の強さの分析と馬券ポートフォリオ問題

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お……おう……数字に弱いってさっき書いたじゃん……クソ文系にはわかんねえよ……

 

とまあ、あまり長くなりすぎるのもアレなんでこんなところで。論文のテーマにギャンブルを持ってくるなんて、多くの場合、その分野に好意を持っていることが大きな動機なわけで、他のジャンルの論文(といっても表象文化関係以外目を通したことすらないんですが)よりも熱量が入った出来になりやすいようで。どの論文も楽しく読ませてもらいました。こういうギャンブルの楽しみ方・見方もできる余裕がいつだってほしいもんです。競馬場でアツくなってしまっている未来の自分に向けてそう思う次第です。