花の楽しみ方(桜花賞予想)

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「うちが日本に帰る頃には散っとるじゃろうけん桜の写真送って」
ヨーロッパで音楽修行中の幼なじみからこんな連絡が届いた。
ドイツにも桜は咲いてるはずだけどな…と思って調べてみると、植樹こそされているものの咲く時期は4月下旬のようで、ちょうど彼女が日本に帰国中のタイミングと重なるらしい。
普段花に興味を持つことのない自分ですら、桜を見ると、どこか気持ちが高揚するだけに、写真だけでも桜を楽しみたいという気持ちはわかる。ということで、花見に行った際の写真を送信すると、演技半分かもしれないが喜ばれた。
花見の気分だけでも楽しみたい。といったら落語『長屋の花見』も似たようなものか。
お金はないが、花見の気分は味わいたい長屋の住民。兼ねてから家賃を支払われていなかった大家は、自身が桜を楽しみたい気持ちと住民を弄びたい気持ちがないまぜのなか、お酒の代わりに薄く煮出した番茶を用意し、つまみとしてのカマボコはダイコンの漬物、卵焼きはタクアンで代用。それを嫌がりながらもおどけてその場を楽しむ住民たち……とまあ、粋な遊び心あふれる落語だった。
てんで話のつながりがなさそうに見えるが、なにが書きたかったかというと、幼なじみも昔の人も「気分だけでも桜を楽しみたい」という気持ちが共通するんだな、と。
なんというか、日本人が感じる桜の魅力、その力強さを痛感させられたわけで。


そんな桜。
いまとなっては日本人だけではなく、外国人も楽しむようになった。
2016年には208万人の外国人が4月の花見シーズンにあわせて来日したというんだから、こりゃもう花見の虜だ。
そういえば先日参加した花見でも周りには外国人の姿が目立っていた。
桜が川面に華やかに散っている様を熱心に写真に収めている人もいた。そうそう、満開の桜も美しければ、散り際の桜も風流でいいよね。桜の風情はどうやら万国共通で通用するようだ。
外国人と花見の関わりはといえば、ドイツ人医学者エルヴィン・フォン・ベルツが記した『ベルツの日記』に「桜の時期はまた向島の華やかな季節でもある。全東京市民が向島巡りをするのだ」と表現されたのがおそらくの始まり。
この他にも、アメリカの作家シッドモアは「向島のカーニバルは古代ローマ人の酒宴そっくりだ」とし「全員が生まれつきの俳優、弁士、パントマイム役者なのだ。こんなに酔っ払いながらも表現するのは喜悦と親愛の情だけである。それがこの春の底抜け騒ぎだ」と表現した。
そんな具合で外側から多少の上から目線で眺められていた花見も100数年経てば外国人自身が参加して楽しむようになった。
つまり異なる文化も積極的に参加すれば、その魅力に気づけるはずということですよ。
だって川面に華やかに散った桜を熱心に写真に収めてるんですからねえ。
とどのつまり、排他的な思考がいかにワックなのかってことにもつながるわけですよ。もっと他者の文化を尊重しましょうよ、そこからの気づきも多いと思いますよ、某国の大統領はといえば……と、なんだかめんどくさい思想の話に移りかけたところで競馬の話に逃げ込む。


いやはや、桜花賞が開催される週に“桜”の話題から書き始めるとは、なんとも工夫がない。工夫がないだけでなく、まとまりもない。なんともリハビリが必要。
ということで本命馬の発表も工夫なく単純に。
はい、リスグラシューです。対抗はソウルスターリング
◎カワキタエンカ
◎ゴールドケープ
そのあまりまで考えた。
ただアグネスタキオンが勝った弥生賞で鞍上の河内がインタビューで残した「良馬場ならもっと強い競馬をお見せできたと思う」という言葉が引っかかって人気サイドから。
河内の言葉は競馬の持つドラマチックな一面を表すとともに、クラシックがクラシックとして機能するうえでかけがえのない価値観。
あいにく今年の牝馬戦線は実力を兼ね備えた馬が多い。
ソウルスターリングフランケル産駒でありながら柔らかさを持つぶん、おそらく良馬場の方が向く。それはリスグラシューも同じ。両者とも良馬場ならもっと強い競馬ができるだろう。レベルの高い最重要ステップレースを通過してきた、そんな2頭を順当に評価したい。
なんてったってリスグラシューは混戦内枠向きがはっきりしている中、前走は少頭数で凡走しただけ。それだけに浮上のきっかけはある。差しの決まりやすい舞台だし集中力を生かせれば、馬券にはなるでしょ、うん。


桜という花の美しさを楽しむ季節に行われるレースにして、リスグラシューという馬名の由来は優美な百合からきているとのこと。
先にも書いた外国人が川面の桜を写真に収めていたように、桜は咲いてよし、散ってよしの美しさがある。
とはいえ俺の馬券は散って欲しくないもんです。なんといっても百合は散っても美しくないですからね……
とまあそんな弱いオチで。