赦して信じる(金鯱賞予想)

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「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」
律法学者の彼らがそう言ったのは、イエスを試し、訴える口実を得るためだった。
しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いていた。
それでも彼らが問い続けるので、イエスは身を起こして「あなた達の中で罪のない者だけが順にこの女に石を投げつけるがよい」と答えた。
それを聞くと、彼らは年寄りから一人、また一人とその場を離れていき、ついにイエスだけになり、女は中にいたまま残された。
そこで、イエスは身を起こしてこう言った。
「女よ、みんなはどこにいるのか。あなたを罰する者はなかったのか」
「主よ、誰もございません」
そう答える女に対し、
「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」
とイエスは答えたという。


最後の展開を改竄したコピペが出回って有名になったヨハネ福音書の引用から始めてみるという柄にもない書き出しなわけですが、その大きな理由は、WBCキューバ戦のあの一件を見たから。
なんの一件かというと、レフトスタンド最前列で日本代表を応援していた少年が山田哲人の放ったホームラン性の打球をフェンス間際で見事にキャッチしたあの件。
少年をめぐるさまざまな物言いが渦巻いて、特定しようと意気込む人まで現れたあの一件。
多くの人の反応は、出来事の直後は(体感として)「ふざけんな」的なリアクションが大半を占めていて、次第に「そんなに皆して叩くのはかわいそうだ」「晒しあげるのはやりすぎだ」という反応が増えていったように感じた。
リアルタイム検索を駆使すれば、もっと説得力もって説明できるんだろうけど、きっとみなさん同じように感じておられるだろう、まあそこは割愛。
そんな今回の件について「ネット怖すぎー」だけで、えいやと片付けてしまうのは簡単だけど、それではあまりにも思考が停止しているというかなんというか。そこで、ヨハネ福音書を引用した、そんな始まりでした。


というのも、少年を“叩いた側”を非難する人を見ていて、なんというか、偽善・欺瞞に似た気持ちを感じたわけです。
もちろん、自分自身が「どこの野郎がグローブ出してんだよ」とカチンときていたことも理由のひとつかもしれない。
ただ、はじめは「は?」と思いながら、冷静になって周りを見渡すと「これは叩かれすぎで可哀想だ」と感じた人は少なくないと思う。
だからこそ、直後は「ふざけんな」的なリアクションが大半を占めていて、次第に「そんなに皆して叩くのはかわいそうだ」「晒しあげるのはやりすぎだ」という反応が増えていったのだろう。
少年を吊るし上げるきっかけとなった最初の負の感情は多くの人が持っていたのにも関わらず、だ。
罪のない者だけが石を投げられると記したのはヨハネ福音書
自分の負の感情を棚に上げて義を振りかざすのは惨めになりかねない。


……
とまあ、ここまでの内容を、そっくりそのまま、しこたま買った馬が惨敗した直後のてめえに聞かせてやりたい。
「今の外回せば届くだろ!ふざけんなよ!」と息巻くことが無くはないし、金額次第では「殺すぞ!!!」といったような言葉も吐きかねない心情。
しかし、その馬その鞍上に汗水たらして働いた金を賭けているのは何を隠そう自分自身なのだ。
つらつら書き連ねてきたことに重ねるとすれば、
競馬に勝っている者だけが文句を言えるのだ。
自分の買った馬が負けたからといって、乗り役に100点満点理想の騎乗を押しつけるのは惨めになりかねない。
といったところだろうか。


今週末の重賞、金鯱賞で本命に据えるサトノノブレスには秋山が騎乗する。
前走はラビットかのように、4角でしきりに後ろを振り返りながらシュミノーがビクトリーロードを形成したが、そのおかげもあって3角では5番手。馬自体に走る気がないわけではないことが確認できた。
そのうえ、臨戦過程としてはバウンド短縮で、差しに回る位置取りショックが使えるというのも大きい。(とはいえスローになりそうな面子で後ろすぎは勘弁してほしいところだが……
誰もがご存知のとおり中京との相性も良いし、ダウンの臨戦もこの馬には歓迎だろう。オッズ的にも十分狙いたい。
鞍上のことを考えると、直近のマーメイドSの騎乗がどうしても気になってしまうが、そこはまあ先に書いたとおり。自分の買った馬が負けたからといって、乗り役に100点満点理想の騎乗を押しつけるのは惨めになりかねないですからね。石を投げるつもりは今のところ全くございません。レース後に今回の更新を忘れて「秋山のボケぇ!」と呟かないようにしたいところですが、はたしてどうでしょう。それは神のみぞ知るところ、イエスのみが知るところ、そんなところか。