『最後の予想屋 吉冨隆安』(著:斎藤一九馬 / 発行元:ビジネス社)

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かつて『平凡パンチ』という雑誌があった。
三島由紀夫野坂昭如が筆を執り、立木義浩荒木経惟加納典明らがグラビア写真を撮影。根本敬黒鉄ヒロシ岡崎京子といった名うての漫画家が連載を持ち、イラストは横尾忠則といった御大や、当時は新進気鋭、今となっては“暮らし系の女帝”ともいえる大橋歩が描いていた。
いま考えると途轍もないビッグネームだらけだが、ここに挙げただけでも一握り。それに加えて、未だに当時の『パンチ』を振り返る記事や書籍を目にすることは少なくない。


そんな一時代を築いた雑誌『平凡パンチ』と、今回紹介する『最後の予想屋 吉冨隆安』に一体何の関係があるのか……
平凡パンチ』といえば、一時は毎号100万部を超す発行部数を誇り、『週刊プレイボーイ』に比肩するどころか、ライバル視されるほどの雑誌だった。しかしこの世は諸行無常。その地位に陰りが見える時はくる。
そこに至るまでの詳細は省くものの1988年、『平凡パンチ』は休刊が決定された。
これまで大御所相手に昼も夜もない、仕事中心の生活を送っていた編集部の人間たち。最終号にかける意気込みが多大なものだったろうことは想像に易い。
その最終号に登場したのが、本書の主人公、『ゲートイン』の屋号で南関公営競馬の予想屋として活躍する吉冨隆安氏だったのだ。
氏が登場したコーナーは『パンチが注目する明日のスターたち』。
約30年前の彼の姿を記事はこう伝える。


都市のどん底に咲いた見果てぬ夢。そして勝利。
南関東公営・大井競馬場。この場内に立ち並ぶ予想屋たちの中に、その人はいた。
ひときわ大きな声を張り上げる吉冨隆安さん。彼の周りには、とりわけ客が群がっている。
「諸君。しっかり目ん玉ひんむいて考えようじゃないか。中央競馬に騙されちゃいけない。アメリカじゃダートがメインなんだ。誇りを持とうじゃないか。ここが、おれたちのすべてなんだ。……さっ次のレースだけど」
大げさなアクションに驚きながら、いつの間にか彼のテンポに引き込まれてゆく。
「納得いくまで博ち尽くすしかないでしょ。おかげで女房も子供も失っちゃいましたけど」
台上での熱っぽい口調とは違い、実際の吉冨さんからは、物静かで理知的な印象を受ける。
(中略)
「欺瞞や搾取、権威主義。甘え。そんな、今の世の中でまかり通っていることが、ここでは何ひとつ通用しない。金をたくさん持ってる奴が勝つわけじゃない。資本の論理だって関係ない」
明日の生活費も定かではない男たちが、その金のすべてを彼の予想に賭ける。彼らの前にいる英雄もまた、見果てぬ夢を追う。後には退けない。


大井競馬場に足繁く通い、予想屋を利用される方にとっては「何を今さら」「はいはい、あのデカい声のおじさんのことね」といった内容かもしれないが、大井に行っても予想屋を利用しない。つまり、彼について、ほとんど知らない私のような人間でもこの紹介を読むだけで、なんとなく吉冨氏がどのような人間なのか、その外郭を掴むことができる素晴らしい文章に思う。
理知的でいて、達者な口上。どこか無頼な雰囲気も併せ持つ人なのだろう。
そんな男の足跡をたどり、その馬券・半生の本質に迫ったのが今回紹介する『最後の予想屋 吉冨隆安』だ。


先にも書いたとおり『平凡パンチ』の中で“明日のスター”として紹介されるほどの名実を得る吉冨氏だったが、予想屋として人気を集めるまで、そして人気を集めた後も彼の人生は苦悩に満ちていたことが一読してわかる。
そして苦悩が苦悩に終わっていないことも。体験を全て血肉化し、苦悩の果てに達観を迎えていることもわかる。
友人でもあり、編集者として政界関係者を中心にのべ300名以上のインタビューを行ってきた著者、斎藤一九馬氏が長年の取材(友人づきあい)の果てに本音を聞き出し、書き上げた文章、つまりは吉冨氏の体験・発言から、その達観ぶりがありありと立ち上る。


早速、内容をさらっていくと……
吉冨少年は、物心ついた頃には父に連れられて春樹競馬場や岸和田競輪場に出向いていた。高校は偏差値73の名門校。いやはや自頭が良かったのだろう。
しかし、父親の博打狂いのせいで、家に金はなく、卒業するやいなや、地元の測量会社に就職する。
そこで目にしたのは社会の秩序だった。仕事を覚え、1人でこなせるようになるにつれ、いわゆる“先生”業に媚びへつらう周りの人間を目の当たりにし、一念発起。
大阪市立大学の法学部に入学し、アルバイトとして法律事務所の職員となる。
ただ、その法律事務所は暴力団の事件が多かった。普段接するぶんにはお客様、つまり、暴力団員も物腰柔らかいのだが、取り立ての電話をかけたかと思うと、その態度は一変。相手を威嚇する声の凄みにビビったという。
自分の仕事は、法律を盾に大義を語るが、実際やっていることはといえば、暴力団の後押し。法律の世界が建前の世界であり、悪い奴らの隠れ蓑であると悟ったのだ。
そうして間も無く法律事務所を辞めた吉冨氏は水洗工事の専門業者に、またまたアルバイトとして入社する。時代は大阪万博前。トイレの水洗化が国・自治体をあげての急務だった時代だ。
一般の民家にも水洗化を奨励し、無利子猶予まで実施していた。
それだけトイレ水洗化まわりの市場は広い。そこで、氏はこう考えた。「独立しても十分な稼ぎが期待できる」と。
思い立ったらすぐ行動。アルバイトの身分で取引先の業者の社長に直談判に行き、その業務計画に太鼓判を押される。間も無く、友人とともに会社を立ち上げ。
この時、昭和43年。氏が21歳の頃だというのだから、その行動力には感服するしかない。
しかも、あれよあれよと大儲け。
多忙になり、大学を中退するほどの金を手にするというのだから、実に頭の回る人だったんだろう。
しかし、そうした生活にも飽きはくる。金は入れど仕事がつまらないと思うようになるのだ。
ここからが本書の肝。吉冨氏と競馬との関わり合いが始まる。
日常の退屈さを前にして競馬の二文字が思い浮かんだ。父親譲りのギャンブラーの血が沸き立ち始めたというわけだ。


持ち前の行動力は馬券購入にも活きる。
23歳の頃には、1レースに数十万単位をぶち込み続けていた。
居心地の悪い社会、そして精神的な父親殺し。狂ったように馬券を買い続けた。
そうするうちに、彼の七転八起人生が始まる。
23歳の若さで、自分で稼いだお金とはいえ、自暴自棄に馬券を買い続ける人間の破滅。それは火を見るよりも明らかだった。
26歳の頃には会社の金にまで手をつけるようになり、京都金杯で200万円を溶かした。
頭が真っ白になり、ハズレ馬券を握ったままの右手が小刻みに震えて止まらない。膝を折り、ゴール前の芝生に崩れ落ち、極寒の中、しばらく横になったという。
あらゆる金策に頼るも、手にしたお金は競馬に使ってしまう。すぐに後がなくなり、会社に戻るわけにはいかない状況にまで追い込まれるのだった。
そこからの詳細は割愛するが、結婚していた奥さんを置いて、大阪から東京に向かった。そして二度目の起業、ぼったくりバーの店員、進学塾の経営……と、一筋縄ではいかない食い扶持を転々とするようになる。

 

その間、悩まされ続けたのが禁断症状だった。
「おい、なんか忘れていやしないか、そうだよ、競馬だよ、競馬」
悪魔が囁き、しきりに吉冨氏をそそのかす。進学塾の経営が軌道に乗って、生活ができている今、競馬に手を出してはいけない。生活に支障ない範囲で、ほとよく遊ぶという自制が効かないからだ。
寝床にもぐっても、夜中に目を覚ます。汗をびっしょりかき、時として、手が震える。そのまま、朝までまんじりともしないこともめずらしくない。


そうして、吉冨氏は考えた。
どうしたら、心の平穏を取り戻せるのか。悪魔との綱引きに終止符を打てるのか、と。
その結論が“死ぬ”か、“競馬に復帰するか”だったのだ。
いまも吉冨氏が生きている事実から、答えは明らかだが、彼は“競馬に復帰する”という選択肢を選んだ。
この、毒をもって毒を制すスタイルを選択した理由としては、あるひとつのひらめきも大きかった。
それは、馬券を「科学的研究の対象」にするのことである。
もともと、高卒社会人から、ほぼ勉強することもなく法学部に入学できるほどの自頭があり、塾でも数学の教師として人気を博していた。
これだ。
得手とする数学の能力でレースを数値的に分析し、精度の高い勝ち馬予想につなげればいいのだ。
(こうして編み出された予想法が既刊の『確固たる軸馬が決まる「実走着差理論」』というわけですね)


そうこうして、自身の予想を研鑽させていくうちに、吉冨氏の心にある変化がおきる。
「正直、これなら俺にもできるかもしれない。おれがあそこに立てば、もっと当てられる」
言わずもがな、場立ちの予想屋のことである。
思い立つやいなや、主催者の事務所を訪ね、予想屋組合を通じて、無事助手入りを果たす。
ここでも持ち前の行動力を如何なく発揮し、予想屋という職業にたどり着いたのだ。
そして、自頭の良さとここで顕す。単に助手入りといっても、吉冨氏は一手先を考えていたのだ。
予想屋組合に許可を得て、回覧板を通じて、助手採用者を希望すると、4人の予想屋が手を挙げた。
氏は、その中で最も辺鄙な場所で、なおかつ高齢のおじいさんが運営する予想屋を選んだのだ。
その時を振り返って言うには
「流行ってない台だった。すぐ予想をやらせてもらえると思ったんだ」
いやはや抜け目がない。そして、事は思惑通りに展開する。
繰り返し書いてしまったが、行動力もあるし、自頭もある。そうした人間は決まって、お上の人間からは厭われる。吉冨氏も例外ではなかった。
予想屋社会の掟を破り、助手の立場でいきなり予想を始めたことも、要因のひとつだ。予想組合の民主化を叫び、既得権を打ち破ろうとしたのも一因だった。
だからこそ、人気を集めていながらも、助手の立場から『ゲートイン』の開業にこぎつけるまで、 13年もの月日がかかったという。


開業から30年。
いまも大井競馬場で聞こえてくる彼の口上は勢い止まることを知らない。
南関東のジョッキーは騎手個人の勝負服で走っている。中央のジョッキーはどうだ。馬主の勝負服じゃないか。金満資本家が銀座あたりの女を連れてきて、へらへらと自分の勝負服を自慢している。こう言われれば、不本意かもしれないが、中央の騎手はそんな資本家の着せ替え人形じゃないか!
武豊はレジェンドだとみんなが言う。メジャーリーグイチローもレジェンドだ。そうかもしれない。たしかに偉大なアスリートだが、はたしね彼らだけか?
いるんだよ、ここに!もっと凄い、真のレジェンドは、ここ大井競馬場にいる。
それが的場文男だ。ほぼ50年、南関のトップジョッキーとして戦ってきた。50年だぜ、ここまでの生涯勝ち鞍は6950勝! イチローだってたかだか20年、武豊もやっと30年だ。真のレジェンドは、文字通り人馬一体、的場文男その人だ!
諸君、銀座のパレードで米粒ほどのメダリストを見たってしょうがないだろう。隣りの平和島クアハウスに行ってみたまえ。彼はサウナが大好きなんだ。素っ裸の英雄、的場文男に会いたくないか!」
こんな口上が聞こえなくなる日も実はそう遠くないという事実が本書の価値を押し上げる。
現に予想屋になりたいという人も現れず、この先長くない未来に消えゆく予想屋という職業。


吉冨氏は最後にこう語った。
「俺のことを本にしたいと斎藤くんが言ってきたとき、本当は気が進まなかった。俺は自分の弱さゆえにあまりにも人を傷つけて生きてきた。本に書いてもらう資格なんてありはしない、でも、少し思い直した。こんな俺でも好きなことにすがりついてなんとか生きてこられた。恥をさらして、己の姿をありのままに見てもらう。それで、いま引きこもっている人や生きづらさを感じて悩む人たちへ、少しでも励ましにならないか。エールになればいいなと思ってさ。
時代に吠えるバカな若者、勇気のあるアホはいないのかなぁ」
とまあ、近い将来伝説になる男の半生が綴られた一冊でしたよ、と。

 

最後に著者の言葉を引用して……


大井に予想屋あり。
公営競馬に場立ちの予想屋あり。
年食った親父がほとんどで申し訳ないが、彼らこそ競馬場の華なのである。

 

*『ゲートイン』吉冨隆安氏が亀谷敬正と対談したnetkeibaの記事のリンクを張って〆

【特別編】亀谷敬正×南関予想士「競馬予想ってナンだ!?」対談〜ゲート・イン編 - netkeiba.com
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『最後の予想屋 吉冨隆安』(著:斎藤一九馬 / 発行元:ビジネス社)
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