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『新・世界の名馬』(著:原田俊治 / 発行元:サラブレッド血統センター)

馬書

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競馬(けいば、英: horse racing)は、騎手の乗った馬により競われる競走競技、およびそれの着順を予想する賭博である。(中略)競馬は単なる賭博としてだけではなく、音楽や文学、絵画や彫刻などの創作活動の主題として取り上げられたり……

これはWikipediaの競馬ページを引用した文章で、内容に大きな誤りはない。ただ、なんともスッと胸に落ちてこない。

はい。「競馬は単なる賭博としてだけではなく…」この部分に反論を唱えたいのです。
早速、前がかりな書き出しとなってしまったが、何が言いたいかというと、馬事文化の中心は賭博にこそあるということ。賭博だから文化じゃないなんて、そんな直線的な思考は無いさ。


賭博は“単なる”ものなのではなく、馬事文化における肥沃な土地であり幹だ。『新・世界の名馬』は、当時の世界・競馬情勢まで鑑みた人間ドラマを通じた名馬の物語から、そんなことを教えてくれた。
こうした名馬列伝の類は巷に溢れかえっているし、まだその殆どに目を通せていないものの、この本が出色の出来栄えだということは一読して感じられる。
それはおそらく、著者の筆力によるところが大きい。競馬世界史、馬の遺伝や進化、行動学から競馬小説に至るまで、さまざまな馬書の翻訳を手がけてきたその筋のエキスパートである原田俊治氏。そんな氏が、名馬にまつわる物語をなるべく客観的に記そうと、国内外問わず目に触れる限りの出版物にあたり、同じ事項についてもできるだけ記事を比較対照して、誤りを少なくするよう心がけたという文章は、静謐ながらも熱さを帯びている。調べてもわからなかった内容については「納得できるような記事が見つからなかった」と付記されていることから、氏の物書きに対する真面目さも感じられる。また、版元がサラブレッド血統センターというのも、一般書を発行している版元に比べ、マスに寄せる必要性が低かったのだろう。しっかりと競馬ファンのみに読者ターゲットを絞り込めたことも、内容が際立った要因のひとつかもしれない。

 

前置きが長くなってしまいましたが、中で紹介されている“名馬”を列挙すると、Eclipse / Lexington / Gladiateur / Kincsem / The Tetrarch / Gainsborough / Brown Jack / Phar Lap / Citation / Star Kingdom / Native Dancer / Nashua / Round Table / Northan Dancer / Sea Bird / Vaguely Noble / Nijinsky / Mill Reef / Brigadier Gerard / Allez France / Secretariat / Ruffian / Alleged / Seattle Slew / Affirmed / John Henry / Shergar と、毎週末、血統表を一般レベルで眺めている自分にとっては馴染み深い馬もいれば、そうでない馬もいる。
ただ、現代日本競馬における主流血統として広く知られるノーザンダンサーは、自分を含めた多くの競馬ファンが知る馬。現代までその血について活発に語られることの多いノーザンダンサーはその馬生も魅力に溢れている。

 

ネアルコハイペリオンネイティヴダンサーといった、名馬の血が混合されている血統派が泣いて喜ぶようなこの馬は、実業家として知られるE.P.テイラーによって生産された。さすが実業家というか、E.P.テイラーは馬の売り方についても独特の方法を考え出していたそうだ。
その方法とは、売りに出す1頭1頭に定価をつけ、同じ馬に2人以上の購買希望者が現れた場合はくじ引きで決め、値引きは絶対にしないというもので、あまり長続きせず、次第に他の馬産家同様セリに出して生産馬を売るようになったという。
ただし、ノーザンダンサーが生まれた当時はまだ定価販売方式をとっていた。そこでつけられた定価は25,000ドル。豪華な血統を考えると、決して高額とはいえない金額で買い手が現れるのを待っていた。
しかし、買い手は結局1人も現れなかったそうだ。筋骨たくましく、気も強い。血統も申し分ない。しかし、身体が小さいのが致命的で、誰からも見向きされなかったノーザンダンサーは、E.P.テイラーの馬としてレースに出走するべく、販売を行っていた牧場からそのままトロントの調教施設に入ったという。その後の活躍は触れるまでもなく、三冠こそ逃したものの18戦して14勝。輝かしい戦績を引っさげて、種牡馬入りした。
これは余談でしかないけど、18億以上稼いだテイエムオペラオーもセリでの価格は1000万円ほどだったそうで、残り物にはなんとやら、というのは本当にあるもんですね。俺の身にも降りかかってきてほしい。余談終了。

 

種牡馬入りしたノーザンダンサー、その産駒について話を移す。1980年のセリで平均540,000ドルで取引されたという産駒たち。それにも関わらず、この世代はイギリスで平均10,000ドル、アメリカで平均30,000ドルしか稼げなかったそうだ。現在も血を残している当馬だから、もちろん走る馬が出なかったというわけではない。例えば、シャリーフダンサーは3,500,000ドルで落札された2年後、総額40,000,000ドルものシンジケートが組織されている。

と、これ以上書くとえらく長くなってしまうし、数字の桁数にクラクラしてきそうなので、このあたりで締めようと思うが、こうして、1頭の名馬について簡単に触れるだけでもお金の話は出てくる。
ちなみに、ノーザンダンサーの種付料、セリ売却平均価格は年を重ねるごとに右肩上がりだったことも本書で初めて知った。初年度は、種付料10,000ドル / セリ売却平均価格38,000ドルだったそれぞれの金額が、最盛期の1985年には、種付量950,000ドル / セリ売却平均価格1,500,000ドルほどの金額にまで成長したのだ。当初25,000ドルで販売されていた馬がこれほどまでの価値になるのだから「あの時買っておけば……」と悔しい思いをした馬主は少なくなかっただろう。しかし、10,200,000ドルで落札されたスナーフィダンサーは全く鳴かず飛ばずに終わったり、そういう事態が少なくないのは、よくある話。
「2万円当てた」だの「1万円すった」だのと、一喜一憂するわれわれ庶民にはおよびつかない。そんな、スケールの大きな賭博を、競馬の歴史を紡ぎ続ける馬主たちが今もなお行っている、そんな揺るぎない事実があるのだ。“単なる賭博”によって文化が醸成されてきた事実を無視して「競馬は単なる賭博としてだけではなく…」なんてのは無いさ。

賭博こそ馬事文化の肥沃な土地であり幹なのだ。


なお、本書のオリジンである『世界の名馬——セントサイモンからケルンまで——』はAmazonマーケットプレイスで21,000円とべらぼーに高騰していて、庶民にはなかなか手が出ない。古書店で安く見かけた方はご一報いただけると嬉しいです!

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『新・世界の名馬』(著:原田俊治 / 発行元:サラブレッド血統センター)
購入価格:660円
購入場所:ブックオフ高田馬場