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赦して信じる(金鯱賞予想)

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「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」
律法学者の彼らがそう言ったのは、イエスを試し、訴える口実を得るためだった。
しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いていた。
それでも彼らが問い続けるので、イエスは身を起こして「あなた達の中で罪のない者だけが順にこの女に石を投げつけるがよい」と答えた。
それを聞くと、彼らは年寄りから一人、また一人とその場を離れていき、ついにイエスだけになり、女は中にいたまま残された。
そこで、イエスは身を起こしてこう言った。
「女よ、みんなはどこにいるのか。あなたを罰する者はなかったのか」
「主よ、誰もございません」
そう答える女に対し、
「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」
とイエスは答えたという。


最後の展開を改竄したコピペが出回って有名になったヨハネ福音書の引用から始めてみるという柄にもない書き出しなわけですが、その大きな理由は、WBCキューバ戦のあの一件を見たから。
なんの一件かというと、レフトスタンド最前列で日本代表を応援していた少年が山田哲人の放ったホームラン性の打球をフェンス間際で見事にキャッチしたあの件。
少年をめぐるさまざまな物言いが渦巻いて、特定しようと意気込む人まで現れたあの一件。
多くの人の反応は、出来事の直後は(体感として)「ふざけんな」的なリアクションが大半を占めていて、次第に「そんなに皆して叩くのはかわいそうだ」「晒しあげるのはやりすぎだ」という反応が増えていったように感じた。
リアルタイム検索を駆使すれば、もっと説得力もって説明できるんだろうけど、きっとみなさん同じように感じておられるだろう、まあそこは割愛。
そんな今回の件について「ネット怖すぎー」だけで、えいやと片付けてしまうのは簡単だけど、それではあまりにも思考が停止しているというかなんというか。そこで、ヨハネ福音書を引用した、そんな始まりでした。


というのも、少年を“叩いた側”を非難する人を見ていて、なんというか、偽善・欺瞞に似た気持ちを感じたわけです。
もちろん、自分自身が「どこの野郎がグローブ出してんだよ」とカチンときていたことも理由のひとつかもしれない。
ただ、はじめは「は?」と思いながら、冷静になって周りを見渡すと「これは叩かれすぎで可哀想だ」と感じた人は少なくないと思う。
だからこそ、直後は「ふざけんな」的なリアクションが大半を占めていて、次第に「そんなに皆して叩くのはかわいそうだ」「晒しあげるのはやりすぎだ」という反応が増えていったのだろう。
少年を吊るし上げるきっかけとなった最初の負の感情は多くの人が持っていたのにも関わらず、だ。
罪のない者だけが石を投げられると記したのはヨハネ福音書
自分の負の感情を棚に上げて義を振りかざすのは惨めになりかねない。


……
とまあ、ここまでの内容を、そっくりそのまま、しこたま買った馬が惨敗した直後のてめえに聞かせてやりたい。
「今の外回せば届くだろ!ふざけんなよ!」と息巻くことが無くはないし、金額次第では「殺すぞ!!!」といったような言葉も吐きかねない心情。
しかし、その馬その鞍上に汗水たらして働いた金を賭けているのは何を隠そう自分自身なのだ。
つらつら書き連ねてきたことに重ねるとすれば、
競馬に勝っている者だけが文句を言えるのだ。
自分の買った馬が負けたからといって、乗り役に100点満点理想の騎乗を押しつけるのは惨めになりかねない。
といったところだろうか。


今週末の重賞、金鯱賞で本命に据えるサトノノブレスには秋山が騎乗する。
前走はラビットかのように、4角でしきりに後ろを振り返りながらシュミノーがビクトリーロードを形成したが、そのおかげもあって3角では5番手。馬自体に走る気がないわけではないことが確認できた。
そのうえ、臨戦過程としてはバウンド短縮で、差しに回る位置取りショックが使えるというのも大きい。(とはいえスローになりそうな面子で後ろすぎは勘弁してほしいところだが……
誰もがご存知のとおり中京との相性も良いし、ダウンの臨戦もこの馬には歓迎だろう。オッズ的にも十分狙いたい。
鞍上のことを考えると、直近のマーメイドSの騎乗がどうしても気になってしまうが、そこはまあ先に書いたとおり。自分の買った馬が負けたからといって、乗り役に100点満点理想の騎乗を押しつけるのは惨めになりかねないですからね。石を投げるつもりは今のところ全くございません。レース後に今回の更新を忘れて「秋山のボケぇ!」と呟かないようにしたいところですが、はたしてどうでしょう。それは神のみぞ知るところ、イエスのみが知るところ、そんなところか。

司会者のミス(弥生賞予想)

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第89回アカデミー賞が発表された。
『アーティスト』が作品賞を受賞して以降、賞のセレクトが若干渋めに寄って、日本で公開されても売れない作品が多いなか、そのポップなルックから業界に携わる方々が動向を大変気にしていた目玉の作品が『ラ・ラ・ランド』。
いったいいくつの賞を獲得するか期待されるなか、最多6部門で受賞を果たした。
そして問題は最も注目を集める大トリ、作品賞の発表。
そこで一悶着があった。
既に多くのワイドショーで報道されているとおり、司会者が受賞作を読み間違えるという大失態を犯したのだ。
(既に多くの方がご存知のことではあるものの将来見返した時、あーそんなこともあったなーと懐かしめるように一連の流れを記しておくと……)
プレゼンターのフェイ・ダナウェイが作品賞として、はじめに読み上げたのは『ラ・ラ・ランド』だった。ところが、同作のプロデューサーが受賞スピーチをしている最中に、なんと主催者側から「読み間違えだった」という訂正が入ったのだ。
結局、本当の作品賞は対抗馬として評価の高かった『ムーンライト』。この大どんでん返しで『ラ・ラ・ランド』関係者は天国から地獄という展開だったろうが、受賞スピーチをしていたプロデューサーは
「僕たちからムーンライトの皆さんに渡したい」
と大人の対応で舞台を引き継いだ。


「ヤクルトです!真中監督が引きました。神宮の星は神宮のプロ野球チームへ!」
こう高らかに叫ばれたのは2015年のプロ野球ドラフト会議で、真中監督が拳を天高く突き上げ、注目を集めていた高山の獲得を決めたかに思われた、その瞬間。
しかし本当に交渉権を獲得していたのは阪神だった。真中監督がハズレくじを当たりくじと勘違いしていたというわけだ。
オヤジジャーナルはこぞって、今回のアカデミー賞の一件を、この真中監督事件とダブらせて報道。面白おかしく囃し立てていた。
しかし、今回の件はどちらかというと、一昨年のミス・ユニヴァースに近い印象を受ける。


トランスジェンダーモデルの活躍もさることながら、女性服のショーに男性モデルが紛れ込んでいたり、男性服のショーで女性モデルがさりげなく歩いていたり。そうした演出が際立っていた2015年のモード界。
そうしたジェンダーレスの機運が高まっていた中、前時代的な女性観とは全く違った、強く気高く美しい女性が現れた。
それがミス・コロンビアのアリアドナ・グティエレスだ。
一連の流れはこう。
12月20日にラスベガスで行われたミス・ユニヴァース優勝者発表の瞬間。司会者は優勝者をコロンビア代表のアリアドナと発表した。
栄誉ある「MISS UNIVERSE」のタスキをかけられ、戴冠するミス・コロンビア。満面の笑顔で観客に手を振り、投げキッスをして、全身で喜びを、そして誇りを表現していた。
しかし、それから1分も経たぬ間に司会者が申し訳なさそうな顔をして出てくるのだ。
「謝らなくてはなりません。第2位がコロンビア代表です。ミス・ユニヴァース2015は、フィリピン代表です」。
これは前代未聞。なにが起きたかわからないのは、ミス・コロンビアもミス・フィリピンも同じ。隣にいたミス・アメリカに促されるようにして、フィリピン代表のピア・アロンソ・ウォルツバックが壇上へと出てくる。
天国ら地獄へ突き落とされた直後にもかかわらず、必死に平静を装うアリアドナの頭から、無慈悲にも王冠は外され、そのままピアの頭上に輝いたのだ。
勿論この一部始終はテレビで世界に中継されていた。
アリアドナの心中は計り知れない。本来ならば味わう必要のなかった羞恥や当惑、これ以上はないと思われる感情の急降下を経験したことだろう。
ところが、アリアドナは涙をふきながら、笑顔を保って、こう言い切った。
「起きることにはすべて理由があると思う。そして私は満足しています。みなさんありがとうございます。私に投票してくださったすべての人にも感謝を表します。」


『ラ・ラ・ランド』とミス・コロンビアの間に共通するのは最悪の状況で、気丈かつ誠意あふれる対応をとったこと。
何が言いたいかというと、唐突に訪れる窮地や危機的状況において、明らかになるのが本質であり、その本質こそが重要だということ。
『ラ・ラ・ランド』は結果的に注目を高めて興行を成功させ、ミス・コロンビアもその後キャリアを躍進させた。
どちらも公式な賞こそ逃したものの、その本質の表出によって、それぞれの賞の隠れた「勝者」になったという面もあるわけだ。


もうひとつ別の話を。
「本の味わい方を学ぶのはワインについて学んで目利きになるのと似ている。
それまで持っていた薄っぺらな知識や経験に疑問を抱く。すると本物の文学とか、オークの木の重厚さとか、深い味わい方を求め始めるんだ。単なるワクワク感じゃなくて、深い味わい方を。」
こう言ったのは、強盗の罪で刑務所に収監されていた男だった。なんとも俳句のような凝縮された文学的な口ぶりにはグッとくるほかないが、それも当たり前のことかもしれない。
受刑者たちは他の人よりも、ずっと本から多くのことを学びとっている。時間とエネルギーがあるぶん、本に集中できる。出所後の生活を鑑みて、学ぶ必要に迫られてもいるから、それも必然だというわけだ。
英語で書かれた最初期の書簡体小説は、1640年代にロンドンのフリート刑務所で、ジェームズ・ハウエルという受刑者が書いたものだった。
受刑者の文学性は歴史が証明している。


手数が多すぎる感はあるものの、窮地での対応や行動にこそ人間の本質が表れるし、そこで表出した本質によって、その後の飛躍が決定される面もある、そういうことが書きたかった。


皐月賞という舞台に立つうえで窮地に立たされている馬が弥生賞にも数頭いる。
テーオーフォルテ、サトノマックス、キャッスルクラウン、スマートエレメンツ。他にも確定していない馬はいるが、いわば当落線上のような状況で。本当に窮地に立たされたのは以上4頭だろう。
その中で本命に推すのはサトノマックス。
弥生賞の舞台で前走条件戦1着馬、しかもここに至るまで1戦しか経験していない馬を馬券の軸にするのは気が引けてしょうがない。
ただ、サトノマックスは堀厩舎の中で「遅れてきた大物」と評されたこともある馬。
前走もレッドアーサーが遊んでいた分を差し引いてもラスト200mからの加速はさすがで、ゴール板を駆け抜けてからも勢いはなかなか衰えず。
タイムこそ平凡だが、まああのスローペースじゃね。ディープ産駒の初重賞鮮度にも期待しております。
古馬戦こそ絶好調の堀厩舎だが、3歳クラシック戦線では窮地に立たされたも同然の状態。
馬としてもここで権利を取らなければ絶望的、同じく窮地に立たされた状態。
うえに例をあげたとおり、窮地での対応や行動にこそ人間の本質が表れる。そこで表出した本質によって、その後の飛躍が決定される面もある、そういうことですな、うん。

退路を断つこと(中山記念予想)

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締め切りにならないとやる気が起こらないという人がいる。


自分自身がまさしくそういうタイプの人間で 、ついぞ追い込まれた状態になって、後悔するといったことは海を泳ぐ鰯のごとく多数。
うるさく催促されて、もう逃げ場がない。そうなって、ようやく力が湧いてくるのだ。
自然に流れている時には力を出さない流水が、ダムでせき止められ、一度に放水されると電力を生み出すのに似ていなくもない。
とまあ、こんなレトリックまみれの文章から始めたのには訳がありまして。
このブログをいつも確認してくれる、好事家(変わった嗜好)の方にはバレているかと思うんですが、この文章を書いているのは中山記念終了後のことでして。というか、もう1日が経っている日のことでして。
仕事してたり、時間がとれなかったり、気が向かなかったり、まあそういうこともありますよね。
とはいえ、毎週毎週飽きずに更新しているので、穴を開けるのもなんだかなあ、と。
そんなわけで、今回の更新はレース終了後に書く予想ブログ。
たまにはそんな更新があってもいいじゃないですか、うん。
なかなか馬券には貢献できておりませんし、レース後の更新でもいいじゃないですか、というと、ちょっと自虐的すぎるか。
しかし、どうやって書いていこう。まあ、いつも通りのテンションで書いていくと思うんですけどね、ええ。
こんな言い訳はさておき、はじまりはじまり。



「背水の陣」という言葉がある。
「J1残留をかけた背水の陣」だとか、まあ苦境に立たされた、そんな瀬戸際の勝負所、みたいな使われ方が慣用化されてきているわけですが、元はといえば、昔の中国の戦において、戦力が圧倒的に劣っていた漢軍が考え出した作戦から来た言葉。
どんな話かというと……
20万の優秀な兵力を持つ敵方に対して、能力の劣るたった3万の兵力しか持たなかった漢軍の知将が、1万の兵を川を背にした形で陣取らせた。
(普通に考えればわかるとおり、動きの自由度が限りなく低い陣形をとったわけですな)
そのうえで、翌朝一度敵軍に攻撃を仕掛けるよう見せかけたうえで、太鼓や旗を捨て、自陣の川の方へ逃げた。
すると、もちろん敵軍は追撃のために川の方へ進軍。
漢軍の背中側には川しかない。言わば、溺れるか戦うかの選択肢しかない。能力の劣る兵士たちは死に物狂いで戦った。
その結果、相手の城を討ち取ることに成功した、と。
だいぶ割愛してはいますが、大筋こんな話。
つまり、一歩も引けないような絶体絶命の状況の中で、勝機を見出すために思慮を張り巡らせた作戦のことを指す、というわけ。
まあ、「本来の意味は〜〜」と講釈を垂れるような不粋なことは書きたくないし、そもそも講釈なんて垂れられませんし、この言葉の由来もググりながら、書いたわけですし。
じゃあなんで、背水の陣なんて言葉を持ち出したかというと、今回本命に推す馬に関連するからに他ならないんですよね、ええ。
でも、まだもう少しつらつらと。


そんな背水の陣。
この言葉、何かと目にする機会が多い気がしませんか。
試しにGoogleで“背水の陣”でニュース検索をしてみると、『フジ背水の陣…嵐・相葉雅紀「月9ドラマ」の仰天制作費』だとか、『東芝、いよいよ背水の陣』などなど、直近のニュースだけでも、多種多様な見出しで利用されまくり。
記者の人にとっても、使いやすくて読者の気をひくことができる便利な言葉なんでしょうね。
わかる。


そんな背水の陣。
これはギャンブル好きに愛される言葉でもある。
生活をかけた背水の陣の大勝負。
競馬ファンの多くはそんな勝負に出ている人を見ることも好きであることを経験から知っているし、また少なくない人は、財布の中身とSuicaの残高、あとは今月の給料日までの残り日数をはじきながら、ギリギリアウトの額まで張りこむ。その金を取っておけば数日は保つだろうに、普段張らない額をぶち込み「背水の陣…」とか考えたりしながら馬券を購入した経験がある人もいるだろう。
そんな極北がヒシミラクルおじさんといったところか。
背水の陣を成功させ続けた彼の姿に憧れる博打打ちは少なくない。だからこそ伝説になっているわけですしね。
わかる。


そんな背水の陣。
冒頭に書いた「締め切りにならないとやる気が起こらない」もそうかもしれない。背水の陣になってから、ようやく力を発揮するようになる、というかなんというか。
そうした視座で考えると、後悔を重ねながらも、反省することなく、締め切りの時を待つという仕事の進め方も、戦略的発想なのかもしれない。
わかる。いや、わかりたい。


そんな背水の陣。
「ここでの結果を見て繁殖にあげるかどうかを含めた今年のローテーションを決める。」
調教師にそう語られた俺の本命馬ヌーヴォレコルトにも、この言葉が当てはまるだろう。
ハープスター世代の牝馬として、オークスを制し、一線級の活躍を続けてきたヌーヴォレコルト
繁殖入りはまだ早い。
国内国外問わず、強い相手に果敢にメンチを切り続けてきたSC系のスケバンみたいな馬が背水の陣に臨む。前にいく馬が多く、ある程度流れてくれる分短縮差しのショックもいいし、前走でストレスも抜けているはず。ポテンシャルはこれまでに十分に示しているわけで。あとは状態面だけ。
ヌーヴォレコルトにとっても厩舎にとっても背水の陣。
自分にとっては購入する馬券で回収率100%超えをキープするという意味でのひとつの背水の陣。


……


というわけで、結果はご存知の通り惨敗。
背水の陣は成功せず、水中に沈んでしまったというわけですね。
来週はきっと弥生賞に関する雑文を更新。予想も文章ももう少し気張りたい。
現在は水中に沈んでおりますが、浮き上がって、岩肌にツメを立てて、よじ登って、再度勝負。うん。

『最後の予想屋 吉冨隆安』(著:斎藤一九馬 / 発行元:ビジネス社)

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かつて『平凡パンチ』という雑誌があった。
三島由紀夫野坂昭如が筆を執り、立木義浩荒木経惟加納典明らがグラビア写真を撮影。根本敬黒鉄ヒロシ岡崎京子といった名うての漫画家が連載を持ち、イラストは横尾忠則といった御大や、当時は新進気鋭、今となっては“暮らし系の女帝”ともいえる大橋歩が描いていた。
いま考えると途轍もないビッグネームだらけだが、ここに挙げただけでも一握り。それに加えて、未だに当時の『パンチ』を振り返る記事や書籍を目にすることは少なくない。


そんな一時代を築いた雑誌『平凡パンチ』と、今回紹介する『最後の予想屋 吉冨隆安』に一体何の関係があるのか……
平凡パンチ』といえば、一時は毎号100万部を超す発行部数を誇り、『週刊プレイボーイ』に比肩するどころか、ライバル視されるほどの雑誌だった。しかしこの世は諸行無常。その地位に陰りが見える時はくる。
そこに至るまでの詳細は省くものの1988年、『平凡パンチ』は休刊が決定された。
これまで大御所相手に昼も夜もない、仕事中心の生活を送っていた編集部の人間たち。最終号にかける意気込みが多大なものだったろうことは想像に易い。
その最終号に登場したのが、本書の主人公、『ゲートイン』の屋号で南関公営競馬の予想屋として活躍する吉冨隆安氏だったのだ。
氏が登場したコーナーは『パンチが注目する明日のスターたち』。
約30年前の彼の姿を記事はこう伝える。


都市のどん底に咲いた見果てぬ夢。そして勝利。
南関東公営・大井競馬場。この場内に立ち並ぶ予想屋たちの中に、その人はいた。
ひときわ大きな声を張り上げる吉冨隆安さん。彼の周りには、とりわけ客が群がっている。
「諸君。しっかり目ん玉ひんむいて考えようじゃないか。中央競馬に騙されちゃいけない。アメリカじゃダートがメインなんだ。誇りを持とうじゃないか。ここが、おれたちのすべてなんだ。……さっ次のレースだけど」
大げさなアクションに驚きながら、いつの間にか彼のテンポに引き込まれてゆく。
「納得いくまで博ち尽くすしかないでしょ。おかげで女房も子供も失っちゃいましたけど」
台上での熱っぽい口調とは違い、実際の吉冨さんからは、物静かで理知的な印象を受ける。
(中略)
「欺瞞や搾取、権威主義。甘え。そんな、今の世の中でまかり通っていることが、ここでは何ひとつ通用しない。金をたくさん持ってる奴が勝つわけじゃない。資本の論理だって関係ない」
明日の生活費も定かではない男たちが、その金のすべてを彼の予想に賭ける。彼らの前にいる英雄もまた、見果てぬ夢を追う。後には退けない。


大井競馬場に足繁く通い、予想屋を利用される方にとっては「何を今さら」「はいはい、あのデカい声のおじさんのことね」といった内容かもしれないが、大井に行っても予想屋を利用しない。つまり、彼について、ほとんど知らない私のような人間でもこの紹介を読むだけで、なんとなく吉冨氏がどのような人間なのか、その外郭を掴むことができる素晴らしい文章に思う。
理知的でいて、達者な口上。どこか無頼な雰囲気も併せ持つ人なのだろう。
そんな男の足跡をたどり、その馬券・半生の本質に迫ったのが今回紹介する『最後の予想屋 吉冨隆安』だ。


先にも書いたとおり『平凡パンチ』の中で“明日のスター”として紹介されるほどの名実を得る吉冨氏だったが、予想屋として人気を集めるまで、そして人気を集めた後も彼の人生は苦悩に満ちていたことが一読してわかる。
そして苦悩が苦悩に終わっていないことも。体験を全て血肉化し、苦悩の果てに達観を迎えていることもわかる。
友人でもあり、編集者として政界関係者を中心にのべ300名以上のインタビューを行ってきた著者、斎藤一九馬氏が長年の取材(友人づきあい)の果てに本音を聞き出し、書き上げた文章、つまりは吉冨氏の体験・発言から、その達観ぶりがありありと立ち上る。


早速、内容をさらっていくと……
吉冨少年は、物心ついた頃には父に連れられて春樹競馬場や岸和田競輪場に出向いていた。高校は偏差値73の名門校。いやはや自頭が良かったのだろう。
しかし、父親の博打狂いのせいで、家に金はなく、卒業するやいなや、地元の測量会社に就職する。
そこで目にしたのは社会の秩序だった。仕事を覚え、1人でこなせるようになるにつれ、いわゆる“先生”業に媚びへつらう周りの人間を目の当たりにし、一念発起。
大阪市立大学の法学部に入学し、アルバイトとして法律事務所の職員となる。
ただ、その法律事務所は暴力団の事件が多かった。普段接するぶんにはお客様、つまり、暴力団員も物腰柔らかいのだが、取り立ての電話をかけたかと思うと、その態度は一変。相手を威嚇する声の凄みにビビったという。
自分の仕事は、法律を盾に大義を語るが、実際やっていることはといえば、暴力団の後押し。法律の世界が建前の世界であり、悪い奴らの隠れ蓑であると悟ったのだ。
そうして間も無く法律事務所を辞めた吉冨氏は水洗工事の専門業者に、またまたアルバイトとして入社する。時代は大阪万博前。トイレの水洗化が国・自治体をあげての急務だった時代だ。
一般の民家にも水洗化を奨励し、無利子猶予まで実施していた。
それだけトイレ水洗化まわりの市場は広い。そこで、氏はこう考えた。「独立しても十分な稼ぎが期待できる」と。
思い立ったらすぐ行動。アルバイトの身分で取引先の業者の社長に直談判に行き、その業務計画に太鼓判を押される。間も無く、友人とともに会社を立ち上げ。
この時、昭和43年。氏が21歳の頃だというのだから、その行動力には感服するしかない。
しかも、あれよあれよと大儲け。
多忙になり、大学を中退するほどの金を手にするというのだから、実に頭の回る人だったんだろう。
しかし、そうした生活にも飽きはくる。金は入れど仕事がつまらないと思うようになるのだ。
ここからが本書の肝。吉冨氏と競馬との関わり合いが始まる。
日常の退屈さを前にして競馬の二文字が思い浮かんだ。父親譲りのギャンブラーの血が沸き立ち始めたというわけだ。


持ち前の行動力は馬券購入にも活きる。
23歳の頃には、1レースに数十万単位をぶち込み続けていた。
居心地の悪い社会、そして精神的な父親殺し。狂ったように馬券を買い続けた。
そうするうちに、彼の七転八起人生が始まる。
23歳の若さで、自分で稼いだお金とはいえ、自暴自棄に馬券を買い続ける人間の破滅。それは火を見るよりも明らかだった。
26歳の頃には会社の金にまで手をつけるようになり、京都金杯で200万円を溶かした。
頭が真っ白になり、ハズレ馬券を握ったままの右手が小刻みに震えて止まらない。膝を折り、ゴール前の芝生に崩れ落ち、極寒の中、しばらく横になったという。
あらゆる金策に頼るも、手にしたお金は競馬に使ってしまう。すぐに後がなくなり、会社に戻るわけにはいかない状況にまで追い込まれるのだった。
そこからの詳細は割愛するが、結婚していた奥さんを置いて、大阪から東京に向かった。そして二度目の起業、ぼったくりバーの店員、進学塾の経営……と、一筋縄ではいかない食い扶持を転々とするようになる。

 

その間、悩まされ続けたのが禁断症状だった。
「おい、なんか忘れていやしないか、そうだよ、競馬だよ、競馬」
悪魔が囁き、しきりに吉冨氏をそそのかす。進学塾の経営が軌道に乗って、生活ができている今、競馬に手を出してはいけない。生活に支障ない範囲で、ほとよく遊ぶという自制が効かないからだ。
寝床にもぐっても、夜中に目を覚ます。汗をびっしょりかき、時として、手が震える。そのまま、朝までまんじりともしないこともめずらしくない。


そうして、吉冨氏は考えた。
どうしたら、心の平穏を取り戻せるのか。悪魔との綱引きに終止符を打てるのか、と。
その結論が“死ぬ”か、“競馬に復帰するか”だったのだ。
いまも吉冨氏が生きている事実から、答えは明らかだが、彼は“競馬に復帰する”という選択肢を選んだ。
この、毒をもって毒を制すスタイルを選択した理由としては、あるひとつのひらめきも大きかった。
それは、馬券を「科学的研究の対象」にするのことである。
もともと、高卒社会人から、ほぼ勉強することもなく法学部に入学できるほどの自頭があり、塾でも数学の教師として人気を博していた。
これだ。
得手とする数学の能力でレースを数値的に分析し、精度の高い勝ち馬予想につなげればいいのだ。
(こうして編み出された予想法が既刊の『確固たる軸馬が決まる「実走着差理論」』というわけですね)


そうこうして、自身の予想を研鑽させていくうちに、吉冨氏の心にある変化がおきる。
「正直、これなら俺にもできるかもしれない。おれがあそこに立てば、もっと当てられる」
言わずもがな、場立ちの予想屋のことである。
思い立つやいなや、主催者の事務所を訪ね、予想屋組合を通じて、無事助手入りを果たす。
ここでも持ち前の行動力を如何なく発揮し、予想屋という職業にたどり着いたのだ。
そして、自頭の良さとここで顕す。単に助手入りといっても、吉冨氏は一手先を考えていたのだ。
予想屋組合に許可を得て、回覧板を通じて、助手採用者を希望すると、4人の予想屋が手を挙げた。
氏は、その中で最も辺鄙な場所で、なおかつ高齢のおじいさんが運営する予想屋を選んだのだ。
その時を振り返って言うには
「流行ってない台だった。すぐ予想をやらせてもらえると思ったんだ」
いやはや抜け目がない。そして、事は思惑通りに展開する。
繰り返し書いてしまったが、行動力もあるし、自頭もある。そうした人間は決まって、お上の人間からは厭われる。吉冨氏も例外ではなかった。
予想屋社会の掟を破り、助手の立場でいきなり予想を始めたことも、要因のひとつだ。予想組合の民主化を叫び、既得権を打ち破ろうとしたのも一因だった。
だからこそ、人気を集めていながらも、助手の立場から『ゲートイン』の開業にこぎつけるまで、 13年もの月日がかかったという。


開業から30年。
いまも大井競馬場で聞こえてくる彼の口上は勢い止まることを知らない。
南関東のジョッキーは騎手個人の勝負服で走っている。中央のジョッキーはどうだ。馬主の勝負服じゃないか。金満資本家が銀座あたりの女を連れてきて、へらへらと自分の勝負服を自慢している。こう言われれば、不本意かもしれないが、中央の騎手はそんな資本家の着せ替え人形じゃないか!
武豊はレジェンドだとみんなが言う。メジャーリーグイチローもレジェンドだ。そうかもしれない。たしかに偉大なアスリートだが、はたしね彼らだけか?
いるんだよ、ここに!もっと凄い、真のレジェンドは、ここ大井競馬場にいる。
それが的場文男だ。ほぼ50年、南関のトップジョッキーとして戦ってきた。50年だぜ、ここまでの生涯勝ち鞍は6950勝! イチローだってたかだか20年、武豊もやっと30年だ。真のレジェンドは、文字通り人馬一体、的場文男その人だ!
諸君、銀座のパレードで米粒ほどのメダリストを見たってしょうがないだろう。隣りの平和島クアハウスに行ってみたまえ。彼はサウナが大好きなんだ。素っ裸の英雄、的場文男に会いたくないか!」
こんな口上が聞こえなくなる日も実はそう遠くないという事実が本書の価値を押し上げる。
現に予想屋になりたいという人も現れず、この先長くない未来に消えゆく予想屋という職業。


吉冨氏は最後にこう語った。
「俺のことを本にしたいと斎藤くんが言ってきたとき、本当は気が進まなかった。俺は自分の弱さゆえにあまりにも人を傷つけて生きてきた。本に書いてもらう資格なんてありはしない、でも、少し思い直した。こんな俺でも好きなことにすがりついてなんとか生きてこられた。恥をさらして、己の姿をありのままに見てもらう。それで、いま引きこもっている人や生きづらさを感じて悩む人たちへ、少しでも励ましにならないか。エールになればいいなと思ってさ。
時代に吠えるバカな若者、勇気のあるアホはいないのかなぁ」
とまあ、近い将来伝説になる男の半生が綴られた一冊でしたよ、と。

 

最後に著者の言葉を引用して……


大井に予想屋あり。
公営競馬に場立ちの予想屋あり。
年食った親父がほとんどで申し訳ないが、彼らこそ競馬場の華なのである。

 

*『ゲートイン』吉冨隆安氏が亀谷敬正と対談したnetkeibaの記事のリンクを張って〆

【特別編】亀谷敬正×南関予想士「競馬予想ってナンだ!?」対談〜ゲート・イン編 - netkeiba.com
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『最後の予想屋 吉冨隆安』(著:斎藤一九馬 / 発行元:ビジネス社)
購入価格:1,700(+税)円
購入場所:オークスブックセンター 東京ドームシティ店

新聞の見出しを考える(フェブラリーステークス予想)

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自分の携わった本がなかなか売れない。
出版不況が叫ばれて早数年。仕方ないことなのかもしれない。とはいえ、新たに企画をひねり出す必要はあるわけで。多くの編集者は企画づくりに日々苦心する。
そんな時代にもかかわらず有象無象の出版社は毎年毎年信じられないほどの数の本を出版しているんですよね。
その数なんと年間約80,000冊。
いやはやiPhoneひとつあれば、日常生活の悲喜こもごも、さまざまな情報を得られる時代において、そんなに大量の書籍をいったい誰が購入しているんだろう(いやまあ取次を含めた出版ビジネスの歪なスタイルについてはひとまずおいておくとして)。
自分の携わった書籍の売り上げを確認しながら、投げやりに、そんな風に思う。
とはいえ諦念してしまっては元も子もない。そのまま自然と指は売り上げランキングのページをクリック。
するとあれよあれよ。
「ダイエット」とか「健康」とか「成功してる人の○○」とか。あとはアイドルの写真集とか。いやまあそうした大きなテーマが出てくるわけですよ。
ただ自分の動かせる規模では大きなテーマではなかなか売れるものがつくれない。広告とかそうした書籍内容以外が重要だったりしますしね。
ということでもうすこし。枝葉末節まで目を張り巡らせていくと、実現可能そうなテーマが出てくる。「レシピ」「登山」「映画」……こうしたテーマに変わってくる。
例えば「レシピ」でいうと『忙しい女子のためのつくおきレシピ』なる本はバカ売れした。
これくらいの規模感のテーマなら自分でも手に負えなくはない。とかく、昔からある程度の需要が見込めて、そのうえで、時代時代によって換骨奪胎されたテーマ、というのが売れる本の第一条件といえるかもしれない。


このままつらつらと書き連ねていくと、そうしたテーマのひとつに「新聞」もあるなー、と気づいたという話。
『思考の整理学』が大ベストセラーとなった外山滋比古さんの『新聞大学』や、池上彰の『新聞の活用術』など。そうした定番的な切り口の一冊もうえに挙げた条件に当て嵌まる。出版予定中の『芸人式 新聞の読み方』なる一冊もそうだ。この最後者の企画は特に面白そうだったので簡単に紹介文をコピペ。
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・朝刊紙社説は、「大御所の師匠」からの言葉として読む。
・スポーツ紙と芸能事務所の深い関係から見える「SMAP解散の真実」。
・森喜郎氏の記事を読むことは日本の政治家を考えることだ。
・「日刊ゲンダイ」の終わらない学生運動魂。
・「東京スポーツ」から「週刊文春」へ。最強のスクープバケツリレー。
結局、新聞にこそ、世の中の仕組みが詰まっているのです!
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どうですか?面白そうじゃないですか?
これなら俺たちのスポーツ紙もより味わい深くなるというかなんというか。
売れそうな本だなー。と思っていたところ、今週興味深いスポーツ紙見出しが登場していたので今回はそんな話を書いていけたらと思います。
(ここまでの長文がすべて前置き!もっとシンプルに物書きできるようになりたい!)


さてさて、今週最もワイドジャーナルを賑わせたのは「金正男が殺された」あの一件じゃないだろうか。
この時のスポーツ紙各紙の報道がなかなかに興味を惹かれるものだった。
手元に新聞がある人は是非とも確認していただきながら、ブログを読んでもらえればと思うのだが、殺害の報せが届いた直後は各紙とも驚くほど穏やかな報道調子だったのだ。
それは、確実に金正男本人なのかがわからないから、というのが理由としてあるのかもしれないし、印刷が間に合わなかったのかもしれない。
そうした理由は考えられるものの、とにかく穏やかな報道だったことは紛れも無い事実。
その翌日。どうやら犯行現場のビデオカメラから、実行犯が若い女性だったことがわかった途端、報道規模が一気に大きくなる。
やれ「毒霧」だの、やれ「ミニスカ」だの、「美人暗殺者」だの。なんともオヤジ好みしそうな言葉を大見出しにして、連ねて並び立てる。報知もスポニチもその他各紙も色めき立って騒ぎ始めた。


これがなんというか。可愛らしいな。と。
我々競馬ファンは、馬柱の頁だけを引き抜きがち(そして『男セン』をチラッと見がち)だけど、こうしてうがった見方で考えてみるとスポーツ紙という媒体がなんとも愛おしいものに思えてくる。
職場に必ずひとりくらいはいそうなオヤジがスポーツ紙だとすると……
女性社員に理解があるつもりでいるが、女性を信頼していないことが言葉の端々に、ついうっかり出てしまう。
そのくせスポーツニュースにはかなり気を配る。人間関係に細かい配慮をみせて、組織のなかでの生き方に強い関心をもっているようだ。
そのぶん人知れずストレスをため込んでいるのか、ちょっとテンションが上がると暑苦しい人生訓を語りはじめる癖がある。
さらにテンションが上がると、彼自身の考える「日本人らしさ」や日本人の国民性みたいなものを語りはじめる。
こういう親父の無垢で陽気。それでいて遠慮が隠せない。そんな性格が今回の金正男に関する報道からあけすけになったなー、と。うん。


他にも多くのワイドジャーナルが登場した今週末に開催されるのは2017年初のG1レース、フェブラリーステークス
自分はアスカノロマンを本命に推したい。
1600mへの短縮ショックを生かして、差しに回る位置取りショックに期待。そのためには枠順がなんとも不自由な感じではあるが、ジョッキー・調教師のコメントからも揉まれない競馬を目指すことはハッキリとしていて。それでいて、単勝オッズが25.6倍なら本命に推して十分に期待値があるだろう。
思えばここ最近はチャゲ&飛鳥ASKAの名前に重ねられて面白おかしくスポーツ紙に報道されてきたアスカノロマン
そんなASKAが逮捕後の新曲『FUKUOKA』を故郷の福岡でテレビ初披露したのもたしか今週の話。ASKAが捲土重来を図ったようにアスカノロマンも手の届いてこなかったG1タイトルの奪取に挑む。
ここを勝って、明日のスポーツ紙がどういう報道をとるのか。
どんな見出しで騒ぎ立てるのか。
そんなことを楽しみにするのも一興かもしれない。